春木競馬をひょうす

 電車に揺られて和泉大宮で下車。続いての目的地は兵主神社…と見せかけて中央公園…ではなく,春木競馬跡地であります。
 和泉大宮の「大宮」というのはこの兵主神社らしいですね。でも,春木競馬は最寄り駅は春木駅で,競馬廃止の際には春木駅から春木競馬場に向かう道の商店街の扱いが問題になった,ととあるサイトで読みました。てことは,競馬場の出入り口は春木側にあり,神社参拝客のいる和泉大宮駅方向と区分けしていた,ってことになるのかな?

 そんなわけで,10月とはいっても日差しの暑い中,兵主神社までとぼとぼ歩いて行きます。世が世なら,競馬親父たちもこの道も歩いたのかもしれませんな。

和泉大宮 ホーム 駅舎 線路は続くよ

 と,いうわけで,めでたく兵主神社に到着。いやぁ,暑い。10月の日差しをなめてたな。
 神社は広く,見所も多かったのですが,競輪の日だからなのかだんじりの日だからなのか,境内には誰もおりませんでした。
 読み方は「ひょうす」神社です。日本語って難しいですね。

社号標 由緒書 説明 鳥居 参道 鳥居
存続碑 手水舎 龍が並んでいます
結構珍しいのでは
参道
拝殿 なんとなく馬鹿面に見えてしまう 奥に見える重文の本殿
摂社 龍王神社 蛇渕
三宝荒神社 牛王神社 石塔
神仏習合の名残?
奉納者の名前が分かるから
多分奉納年も分かるだろうな
大宮稲荷
大宮戎社 拝殿
厳島神社

 そんなわけで,兵主神社参拝を終えて向かい側にある中央公園であります。
 春木競馬場跡地に作られた中央公園。岸和田市も,一応過去を隠すことはしておりません。そういう意味は紀三井寺よりもマシなのかな。

 公園に入ると,なんだかよく分からないけれど桜島の溶岩がお出迎え。別に岸和田と鹿児島が姉妹都市ってわけでもないんだな。

桜島溶岩 鹿児島県民ふるさとの森??

 で,いよいよ春木競馬場コース跡へ。
 春木競馬場は跡形もなく破壊されており,唯一3〜4コーナー,特に4コーナーポケットにその痕跡を残しております。特に,地図で見るとあまりにもポケットらしいポケットが残っていて,自然とにやけてきてしまうのでありました。
 が,現在存在する公園内の通路は当時の馬場とはずれていて,若干混乱を招きます。なので,ポケットの存在はその混乱を防ぐ意味でも重要。

 ポケット部分は現在は駐車場。上空地図がないと,ここがポケット部分だとは思わなかっただろうな。


スペースがあるが,これはダミー こっちの現駐車場が旧4コーナーポケット ポケット奥を見る 4コーナーから3コーナーへ
4コーナーから3コーナー方向に進む 振り返れば馬の跡 これは競馬場があったころのもの
……ではない
「治安維持」という言葉が
サラッと出てくるのが岸和田っぽい


 ここでいったん公園外へ。
 紀三井寺のときに,紀三井寺に馬頭観音があったので,ここでも近くのお寺になにか痕跡はないかな,などと甘い考えを持ったのであります。
 てなわけで,まずは西光寺。住宅街の一軒家に紛れてたたずむ寺院であります。

公園外から見た4角ポケット
昔はこのスペースで輪乗りしてたのだろうか
西光寺 本堂 卒塔婆 地蔵など 山門

 はい,何もありませんでした。この雰囲気だと完全な檀家寺で,馬頭観音なんて期待出来なさそうだよなあ。
 と,嫌な予感しかしないなか,もう1つのお寺,西蓮寺へ。
 ……中に入ることさえできずに終わりました。ぐは。

西蓮寺
閉まっている……
中を覗く 外から見たカーブ

 そんなわけで,公園外散歩終了。まあ,そうそう都合よく馬頭観音があるわけでもないだろうし,そもそも紀三井寺競馬場と紀三井寺は別に「最寄りのお寺」っていうわけではないから,まあ空振りは想定の範囲内。
 で,歩いてて思ったのは,本当に入り組んだ住宅街であること。道は狭いしぐねぐねしているので,おそらく区画整理前の古くからある家なんだろうな。まあ,はっきりいって,競馬を嫌う人が住んでてもおかしくないだろうな,と思いました。実際に反対運動に参加したのがこのあたりの方なのかどうかは知りませんが。で,公園からも近いんだよな−,家が。実際かつてどこまで馬場が迫ってたのかはこのページこういったページにのっている写真から想像するしかないわけですが,特にこの3〜4コーナーあたりは元々コースと住宅が近かったっぽいな。
 あと,さっきから大騒ぎしている4コーナーポケットですが,写真ではあまり目立たないな。

 さて,そんなわけで向正面に向かって進みます。コースを逆走してるわけですな。
 かつては旧橋桁土台が残っていたようですが,現在はそれも撤去され,より一層春木競馬場の痕跡が失われております。

3コーナー方向 こっちが進行方向をみる3角 3角方向から向正面を見る 世が世ならバックストレッチ 川に鳥がいた
3コーナー方向を見る 川を眺める 4角ポケットを見る 最後の直線はこの方向 もう少し直線を進む 堤防のコンクリの切れ目が
旧馬場部分だと思われます
対岸 切れ目を上から 最後の直線 多分こっちが襷コース方向

 というわけで,春木競馬の痕跡を確認し終えました。まあ基本的に跡形もなく痕跡を消されておりますね。
 かつてスタンドがあったであろう場所には今はこどもも遊び場とかわいいトイレ。ここを見る限りかつては結構大きくて綺麗なスタンドがあったようです。これを撤去するのに結構金がかかっただろうなー。なにもここまでやらなくてもよかったのにね。

園内案内図 トイレ 滑り台 内馬場方向を見る 何をしたいのか分からないオブジェ 競馬場が無くても
こういう風景は残ります

 この公園,もと競馬場なだけあって広いです。10月だというのにそれなりに日差しが強いので,こちとらバテます。しかも,旧内馬場部分に案外起伏があります。
 春木競馬場にはかつて(地方競馬最後の)障害コースが存在し,X状のコースになっていたことは残された写真や当時を知るサイトなどから分かります。が,障害の具体的な内容はちょっと簡単に検索しただけでは分かりませんでした。なので,当時バンケットがあったのか無かったのか,この起伏が障害コースと関係あるのか無いのかはよく分からないのでありました。
 仮にもともと起伏がないところにあえて起伏を作ったとしたら,この公園の用途を散歩に制限するためのことだったんでしょうね。まあグラウンド自体は旧1〜2コーナーの場所にあるようなので(暑さと時間のなさで行かず),これでよかったんでしょうな。しかしそれにしても真ん中を通る道すがらにあるよく分からんオブジェは何なのか分かりません。

沿革 旧向正面の直線だと思われる部分 あやしいオブジェ 使われていない広場 旧ホームストレッチ,だと思われる部分

 中央公園竣工記念の沿革を読む限り,「青少年や地域住民に及ぼす影響などを考慮して」と書かれております。地域住民よりも青少年を頭に持ってくるあたりお題目として住民よりも青少年の方が便利なんだろうな,というのが分かります。
 それにしても,明らかに「市民の皆様の有効なご活用」には役立ってないな。まあ,存続させたところで今頃大赤字になって大騒ぎになってる可能性は否定しないんだけれども。

 実際に岸和田に行っていろいろサイトとかをみるまでは,岸和田と言えば競輪とだんじりのイメージで,荒くれ者ウェルカムかと思ってたのですが,案外住民運動が強い土地だということが分かり,ちょっと意外でした。産業としては繊維産業がメインだったようで,それが崩れてからはとにかく大阪のベッドタウンとしての地位を向上させることが大事だったんだろうなあ。産業ナビを見ても,産業育成にはかなり苦労している姿が浮かび上がります。
 とりあえず,なくなった競馬産業は仕方がないので,競輪産業をなんとかPRしてほしいものです。


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