越前の大野城

 大野城というと,100名城にも指定されている福岡県の大野城を真っ先に思い浮かべる方が多いのではないかと思います。ですが,今回訪れたのは越前の方の大野城。

 今回の旅行は,競輪場全制覇に向けて,福井記念に合わせた旅行です。福井には数年前のゴールデンウィーク白馬旅行で,四国から金沢競馬に向かう途中に寄っております。当時は三国競艇を押さえるのに精一杯で,競輪までは手が回りませんでした。
 てことで,福井再訪になります。

 東京にいると,「福井」という場所は非常に遠く感じられます。そもそも,どういうルートが正解なのかがパッと分からない。今は乗換案内サイトで飛行機なら小松空港,電車なら米原経由が正解だと教えてくれますが,一昔前は時刻表と睨めっこしながら楽しんでたんだろうな。ある意味そういう時代の方が楽しかったのかもしれません。
 福井には日曜に行くとして,じゃあどこに行こうか,と考えたとき,既に永平寺や丸岡城には行っており,一乗谷も山城は未踏ですが町の方は一応訪れています。てことで,お城ファン的に気になる越前大野城,Bスポ好き兼城・寺社好き的に気になる勝山に行くことにしました。場所柄,レンタカーはやむないところなんですが,越前大野や勝山には大手のレンタカー屋がないことが分かり,福井でレンタカー借りることにしました。本当は,深夜バスで福井に乗り込む関係上,電車で寝たかったんだけれどね。
 ただ,結論として,夜行バスで爆睡できたおかげもあって眠くならなかったし,福井の銭湯にも行けたしで,福井で借りてよかったです。

ちょっと停めて撮影
中途半端に停めるなら
車から降りればよかった
市内観光地図

 前置きが長くなりましたが,ちゃっちゃか旅行記を進めます。

 夜行バスではしっかり眠れたんですが,携帯を機内モードにし忘れたため,早くも電池が危険水域。どこか充電できる場所はないか……と期待して入ったマック(福井ではマックなのかマクドなのかどっちなんだろう)にも電源はなく,撃沈。結局昼にコンビニで車載用の充電器買いました。まあ今後も使えるだろうからいいってことにしておきます。

 上記の通り,車で越前大野に乗り込みました。道案内をカーナビに任せていたところ,小高い山とその上の城が目に飛び込んできました。おお,これは美しい。車だとパッと写真撮れないのが辛いな。

 で,適当な駐車場に駐車。このあたりは全部無料っぽいです。で,観光地図を見ていると,なんと朝倉義景の墓もある。朝倉義景というと,信長史観で育っている僕はとにかく空気の読めない文化かぶれ無能の代名詞として植え付けられております。で,考えてみたらどうやって死んだのか,確か景鏡が裏切ったんだよな,そのせいで信長の野望の景鏡の義理が低かったはず……というレベルの知識しかありません。朝倉義景は確か一乗谷で大河ドラマの署名やってましたが,是非とも大河ドラマ化して歴史知識を植え付けて下さい。なんかいい2時間くらいの映画があったりしないかな?

 特に何の考えもなく,カーナビ様の言うなりに停めた駐車場ではありましたが,目の前に城門があります。南登り口の入口というだけで,特に歴史的にどうこうといった門ではなさそうですね。

 で,このまま門をくぐらず,右手にある神社から攻めます。柳廼社。きれいに整備された境内と拝殿です。社務所?にちょっとした大野城の解説がありましたが,年季の入った窓ガラスだったりしてちょっと残念。いやもちろん,おそらく個人のお宅でしょうから,これだけやってくれて感謝すべきなんだけれども。

門が見えます 南登り口 脇に逸れていく 立看板はこんなのでした
解説 拝殿 屋根の出っ張り
雪の関係でしょうか?
摂社 明治15年の建造された拝殿
ぼろいですが,風雪に耐えられてるのでしょうか
その横。立入禁止扱いですが,昔ながらの倉庫かな? あじさい

 さて,早速登城開始。百間坂ルートもあるようですが,こっちは帰りに通ることにして(きつそうだったので),現代人向けのルートを進むことにしました。
 朝っぱらでしたが,散歩のために歩いておられる地元っぽい雰囲気の方も多かったです。
 途中,帆船大野丸の記念碑がありました。さっきの神社にも解説があったな。

 で,少し歩いてちょっとした広場に到着。ここには,土井利忠の銅像。銅像つくるのはいいんだけれど,下の台座が立派すぎて,顔がよく見えません。ちょっと前にNHKカルチャー青山で受けた講義で,この手の像の本体は上なのか下なのかという話があったのを思い出しました。ただ,この銅像,特に台座に言葉があるわけでも無く,上が本体としか思えないんだよな……。

 奥には四阿が有り,その上に解説がありました。なんでこう読みづらい場所に解説を載せるかな……。で,その解説の下でおじさんが座っておりました。どうも地元の方のようです。で,東京もんだと説明すると,「ここが目的で来たわけじゃないんでしょ?」といきなり先制パンチを食らいました。いや,大野に来たのはここが目的だったんですが……それとも,「競輪」という回答が正解だったのだろうか。
 このあとどこに行くのか聞かれ,勝山と答えると,「大仏さんは全然人が入ってないが,恐竜博物館は多いときだと1日1万人入る」とのことでした。勝山城(偽物の方)目当てのアホはほとんどいないんだろうなあ。それでもって,福井競輪場の1日の最大入場者は何人なんだろうか。


二の丸
 
帆船大野丸
 
土井利忠公の像
←おっちゃんが座ってたこともあり
上手く切れ目で撮れなかった

 で,さらに門(これもおそらく模擬)を抜けると,目の前に天守登場。その前に,お福池と武具櫓跡。お福池は井戸なのか堀なのかそれとも平和な時代の観賞用なのか,あるいは複数の目的を兼ねているのか,ちょっとよく分からないです。せっかく買った図録を読まない自分が悪い。とりあえず,お福というのは長近の正室らしいですね。
 武具櫓跡には一応解説がありました。それはそうと,案内矢印が「武具櫓跡」と「越前大野城」に分岐しているのは,おそらくお城マニアどころか各方面から苦情が来てもおかしくないのではないでしょうか。

門を抜ける 天守が見えます見上げます ううむ…… お福池
武具櫓跡 武具櫓跡地からの眺め
結構開けていて眺めがよい
武具櫓跡から天守方向


 さて,天守に入ります。天守内は撮影禁止なので天守からの眺めのみ。コンクリ天守で,内部構造は面白いものではなかったです。まわりは開けているので,上からの眺めはいいですね。

 そして,天守まわりですが,個人的に気に入ったのは,下に降りて天守を見て左手方向の,扇型に外向きに湾曲している石垣。この曲線は美しい。あと,その入口付近から天守にむけて上がっていく武者登りという急な石垣階段。そんな巨大な天守台というわけでもないのに,また,武者登り側に特別な入口があるわけでもないのに,なんでこういう構造にしたんだろうか。でも,この構造は面白いですね。

武具櫓からの階段 北大野駅・勝山方面 正面の山には戌山城があったらしい
解説パンフによると,
戌山城の石垣を大野城に
利用したという伝承があったり
犬山の石を切り崩した痕跡があるとか
緑に覆われると,
どこに石切場があるのか
よく分かりませんね
篠座神社・宝慶寺方面 市街地方向 本丸
←武者登り!

 そのあとは,金森長近像をみて,麻木櫓跡をチラ見して,百間坂を下って戻りました。
 金森長近像は,どういう経緯で好々爺風の銅像になったんだろうか。普通,武将の銅像って勇猛な雰囲気のものが多いと思うんだけれど。なんか肖像画が残ってるのかな?あと,金森長近の解説から賤ヶ岳の戦いの話が意図的にスルーされてるな。
 ちなみに,百間坂はその名に反してほぼ階段でありました。

 下に降りて,柳廼社の近くにあった歴史と風格ある建物は民俗資料館で,もともとは裁判所だったようです。

 
麻木櫓跡

この石垣はもとからあるのだろうか
 
新堀川

 続いて,移築城門のある光明寺を経由して,市の歴史博物館。博物館にはあまり城関係の展示はなし。光明寺にも,特に移築城門であることを示す案内は出ておりませんでした。ただ,博物館で簡単な城の図録があったので購入。このまま読まずに終わると思われます。
 そういえば,このあたりってやけに前向き駐車する人多くないでしょうか?気のせい?

光明寺城門 本殿 博物館 水の町らしい雰囲気 市役所は一部工事中

 さて,引き続いて目指すは朝倉義景公のお墓。今は義景公園として整備されております。駐車場があるか分からなかったので,歩きました。結果的に,駐車場はしっかりと存在したので,車で行けばよかったな。まあこの程度は仕方なし。

 朝倉義景の墓はきれいに整備されており,なんだかんだいっても丁重に扱われているのがよく分かりました。解説を読む限り,景鏡が完全な悪者扱いだな…。まあ最後の最後だから仕方ないのか。でも,武田を最後に裏切った小笠原とこの景鏡の処遇の違いは,単に織田勢の余裕の有無によるのかな。あと,結局朝倉を裏切った諸将があまりいい末路を迎えてないのは,武田を切った穴山さんの最期とあわせてなかなかに興味深いですね。


ここに賽銭を入れるのはほぼ無理

朝倉の家紋

これは誰?

脇にあった石仏

 慌ただしく動きます。続いて,篠座神社。そこそこ大きな神社のようなので,寄ってみました。車だからこそなし得る行動であります。でも,カーナビが中途半端なショートカットコースを推奨したために,農業用水路脇の狭い道を進むハメになり,ちょっとあせりました。
 神馬舎があり,中には黒いウマ。こういう場所の神馬って白馬が多いように思うんだけれど,実際のところ,どういう経緯で着色されるのでしょうかね。
 なお,篠座神社の「座」の中は,「人人」ではなく「口又」が正式なようです。


絵馬

御神木

なかなか立派な屋根
 
招魂社。箱館戦争の戦没者の慰霊のようです
大野全体が官軍側だったのかどうかは知識なくて分からんです
   
弁財天まわりの狛犬等々

 その後,某学校と同じ名前の学校前を経由して,蕎麦を食べて大野をあとにしました。
 越前はおろし蕎麦が有名なのは分かってるんですが,普通にいつもの癖でざるそばを頼んでしまいました。まあいいや。なお,カッコイイ大人として,蕎麦についてうんちくを垂れられるようになりたいんですが,残念ながら自分の貧乏舌では蕎麦の善し悪しがよく分からないのでありました。


 てなわけで,食事をとったので眠くならないか不安でしたが,眠くなりませんでした。安全運転で勝山に向かいます。


平泉寺白山神社へ


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