タガジョーノーブルPart2(多賀城跡編) 〜三景松島杯その3〜

 さて,めでたく東北歴史博物館をあとにしたNPは,駅をこえて多賀城跡地を目指します。
 多賀城への推奨ルートは下にある観光案内所で伺いました。この案内所,なかなか人が来ないので暇そうです(特に,電車の時間と無関係に来る人間は少なかろう)。なので,親切丁寧に教えていただきました。
 なお,レンタサイクルを使うことも考えてたんですが,最後に廃寺からタクる予定を立ててたので特に借りず。本当は松島は別の機会に押し込んで,1日多賀城を回るほうがいいんだろうけれどな。特に陸奥総社宮には寄ってみたかったし,塩釜神社とかにも行ってみたいっすよね。まあ,このあたりはまたいずれ。

 さて,推奨ルートは館前遺跡内を歩いて抜けることになっております。この館前遺跡,当然ここに行くまで知りませんでした。ATOKさんもこの遺跡を知らないようで,「たてまえ」で「館前」を出してくれません。徳島はもうちょっと東北に関心を持つように。
 さて,「館前」というからにはなにか館があったわけで,どうも国司の館があった場所なのではないかとされているようです。へぇへぇへぇ。まあ,現在は単なる台地なんだけれど。国司の家が台地の上にあったってのは,偉いからなのか外敵対策なのか。他の国の国司の家ってどういう場所にあったんですかね。

歩行ルート 館前遺跡解説 台地

 さて,続いて南門跡。せっかく親切に道案内してもらってたのに,いったん左折場所間違えました。南門よりも,石碑が有名な場所であります。前のページにも書きましたが,この石碑がこれだけ解読可能な状態で発見されたってのは本当に大きいことなんだろうな。ゴッドハンドが余計なことをしてないことを切に祈ります。あと,木簡なんかも東北歴博でいくつか拝見しましたが,なんだかんだ後世に残るのは石とか木とかに書き込んだものなんだよなあ。現代はよく分からんパソコンに向かって0と1をひたすら書き込んでるんですが,これって1000年後に残ってるんですかね。このサイト自体はさくらインターネットさんが死んだらほぼ同時に死にますんで,さくらさんと一蓮托生であります(データは(多分)あるけれど)。

 それにしても,桜がきれいです。いやぁ,素晴らしい。ちょっとここまでとは予定してなかった。基本的に普段上を向いて歩かない人間なので,首を上に向けて桜を見上げるっていう作業はなかなかに健康的です。普段使わない骨と筋肉を使うのはいいですね(ポキポキ音が鳴るのが怖いけど)。

 で,まあいまとなっては石碑以外に特に何も残ってないのではありますが,この多賀城という場所が特に中近世に破壊されなかったってのはそれはそれで凄いんではないかと。

解説板
もうそろそろ作り直してほしい
南門跡 解説 土手が残っております
桜の品種はよく分からんのですが,これは最近
植えられたものなんですよね?
石碑 青空をバックに桜であります

 そして,いよいよ多賀城跡です。幅10メートルを超す階段をまっすぐ上がっていくと,政庁跡に到達できます。
 ところで,この階段,見た目に美しいですし,政庁の高級感を出すには必要不可欠なものだと思うんですが,政庁建設のために牛や馬や車輪を使う観点からだと階段って邪魔ですよね。

ピーンと一本道が伸びていたと思われます 近づく 階段をアップで
1段1段は広く,段も低い
動物対応してるんじゃないかと
勝手に想像してみる
解説
写真の腕も悪いのではありますが,
見づらいのは解説が劣化してるからです
各種案内。正直もう1回予算つけて刷新してほしいところですが,そうもいかないのかなあ 復原模型

 そんなわけで,政庁跡。まあ,もちろん跡地は跡地で,なにもないことは以前訪れた太宰府の経験から分かっております。
 で,現在のこの政庁跡を戦国的発想からみると,場所的には平城にあたることになろうかと思います。もちろん,当時と今とで周囲の整地状況は大きく異なるでしょうが……。仮に本当に平城状態だったとして,近くにはエミシが迫ってるわけで,防御力的にはどうだったんでしょうかね?戦国期だと居館の裏に詰城があったりしますが,こういう時代だとどうなんだろうか。でもまあ,待避用の拠点くらいはあったんだろうなあ。まあ,それもこれも当時の土地状況がどうだったのか分からんことにはなんともいえないか。

 まあそれはさておくとして,やはりそれなりに広いです。そして,桜が綺麗です。この品種の桜が当時からあったのかは怪しいですけれども。てか,きれいな桜なのはいいとして,政庁殿の前にどどんとある桜はさすがに問題なんじゃなかろうか。

南門からまっすぐ 南門跡 政庁殿跡へ
政庁殿から南を見る 同じく北を見る 東殿跡 東殿跡から政庁方向
 
今一度南門跡から正面左右を 階段を見下ろす 最後に階段を見上げる 脇にあった石仏群
見たところ新しいですが…
最後に桜!

 さて,続いて,また線路をまたいで,今度は多賀城廃寺跡に向かいます。まあ,廃寺跡にはせいぜい礎石くらいしかないであろうことは想定してますが,行ってみないとなにがあるか分からない。
 てことで,廃寺跡に到着です。ここでタクシー呼ぶ予定があったので,タクシー会社の番号もチェック。携帯がない時代は市外局番書かなくてよかったけれど,このご時世市外局番かかないといけないから大変ですね。でも,紙の雰囲気的に携帯時代になってから市外局番抜かした紙を作ったようにしかみえないんだよな。

 それはさておき,無事廃寺跡に到着です。ここは完全にお花見公園となっており,多くの家族連れがシートを広げてお花見してました。
 で,伽藍配置を見ると,かなりしっかりしてます。正面に講堂があって左右に塔と金堂がある配置の名称は完全に忘れましたが,とにかく「とりあえずお堂だけ作ったからあとは皆様ご自由にお参り下さい」的な甘っちょろいお寺ではなく,立派なまさしく官寺というべきお寺です。政庁並にしっかりしてますね。それだけ政庁と並んで寺院というのが重要な施設だった,ってことなんでしょう。個人的な印象として,このあと行くことになる胆沢城よりこっちの方が立派な気がします。

市外局番022 入口脇に並ぶ石碑 昭和9年の馬頭観音 解説 太宰府観世音寺に似た
伽藍配置とのことです
中門跡から講堂跡方向
金堂方向 塔の方向
塔は平地でなく,
丘の上に立ってたのでしょうか?
講堂付近から中門方向を
振り返ってみる
講堂から左奥 僧房跡 講堂から右奥

 ついでなので,その先にある多賀神社にも参拝。多賀城廃寺の奥から外に出る道がなかったので,柵を乗り越えて外に出ました。提灯が出てますが,お祭りなのか,年中出てるのか,それともお花見シーズンだからか?

多賀神社 境内 山神 今村氏の顕彰碑
最後に塔跡に登ってみた
礎石が残っております
塔跡から中門方向 同じく金堂方向 同じく講堂方向

 そんなこんなで,タクシーを呼んで,塩釜港から松島へ向かいます。

仙台東北歴史博物館多賀城跡松島瑞巌寺東北輓馬大会涌谷天平

旅行記TOP