七戸城

 七戸に到着。到着バス停は七戸案内所。「バス待合所」はありましたが,当然鍵がしまっており,無人です。1%位の確率で綾町バスターミナルみたいにコインロッカーがあるのではないかと期待しましたが,そんなもんあるはずもなく。
 さすがにここに鞄を放置して町歩きに出る勇気はないので(ちょっと考えたけど),おとなしく負担重量を背負いながら観光に出ます。

待合所 定期券更新期などには
有人になるようです
行先板が多数 この洗車機は現役なのだろうか

 とりあえず,まずは天王神社。本当は七戸神宮を目指したんですが,GoogleMapさんがよく分からない場所を指してくるのでちょっとさまよって断念しました。なお,あとで簡単に到達できまして,いったい誰がGoogleMapを混乱させたのか……。また,天王神社に向かう途中,なんか面白い建物があるな,でもまあ田舎だからそんなものかと思ってスルーした建物がありまして,あとで見たら旧七戸郵便局という有形文化財でした。タダなんだし,写真の1枚でも撮ればよかった。

 それはさておき,天王神社は静かなたたずまいでしたが,高台にあるだけあって眺めがよく,七戸城方向もよく見えました。七戸城の鬼門にある神社ってことみたいですね。ただここの創建は室町時代とのことで,実際に七戸城と関係があるのか,それともたまたまその方角にあっただけなのかはよく分からんところです。神社側の解説になにもないし。

天王神社へ 由緒 拝殿 鈴緒がアンバランスなのは
おそらく地域の方が
作って寄付したからなのではないかと
それだけ地域に愛されてるのでしょう
ボウケンブラッグって
最後の濁点必要なんだっけ
あと,「どこかへいきたい」って
なんかいいですね
天王神社から七戸城方向

 てことで,天王神社参拝を済ませたのでそのまま七戸城に突撃します。出迎えるのは七戸城東門。これだけ唐突にどかんと登場するので,なかなかに浮いておりますが,資料に基づいて復元されたものとのことです。とはいえ,おそらく復元されたのは門だけで,左右の壁は違うんじゃなかろうかと。もちろん平時の門であればまあこんなんでいいんだろうけど。

解説
史跡七戸城跡総合整備
活用推進実行委員会という
よく分からない委員会名が
なんとなくお役所っぽくていいですね
東門
とりあえずレンズをきれいにしなさいという突っ込みは不要です
きれいな門ではあるのだけれど,なんか防御的にイマイチに見えます
(まあ左右の曲輪からいかようにもできるんだろうが)
屋根の形が見慣れないのだけれど,雪国だからかな
案内図

 さて。東門を突破すると,そこは左右を曲輪に挟まれたスペースです。ここに「堀跡」という案内がありまして,この低地部分それ自体が空堀として機能していたのか,この低地部分の中にさらに堀が作られたのか,ちょっとよく分からん。おそらくはこの低地帯全体が巨大な空堀という扱いで,巨大すぎて外敵が滞留できるから東門を作って実質曲輪みたいになったんじゃなかろうかと妄想する次第。

巨大な堀跡であります

 ここをさらに奥に進むと,菖蒲池が現れます。昔から菖蒲池だったのかが気になりますが,食用にもならんものを広々と植えていたかどうかは疑わしいところもあるので(まさか勘違いした敵が食べて力尽きることを期待するわけでもあるまい),多分違うのではないかと。菖蒲池になってるくらいだからこのへんまで水堀だったのだろうか。どうもよく分からん。とりあえず,このあたりは一応板の道があって池に嵌まらずに歩けるようにはなっておりますが,まあ若干老朽化しておりまして,トラップがあったりします。まあ,お城ですからね。トラップはつきものです。

二の丸方向を見上げる 菖蒲が並ぶ 上手く撮る方法がよく分からん

 で。ここで最初の全体図に戻って,どういう行程でこれから七戸城を攻めるかを考えるわけですが,とりあえず貝ノ口に進むことにします。ここと北西郭との間の土塁をとりあえず眺めに行きます。てことで,奥まで乗り込んで,右折。昔からあるのか自動車(時代によっては馬車か)用に新たに作られた道なのかよく分からない折れ曲がった道を上ると,そこは……草ぼーぼーお荒れ地でありました。
 さて,どうするか。一応晴れた気持ちのいい日であり,どこかに水溜りトラップがあるようには見えない。が,獣道的な道も存在しない。草自体は基本的には膝上くらいまでの高さではあるけれど(出口付近では),奥に進むと明らかに背の高い草がはえまくっている。
 ……ちょっと迷った結果,とりあえず重い鞄を置いて身軽になって進んでみることに。なお,鞄が草に隠れて見つからなくなる大惨事を避けるのも重要な作業であります。てか,普通に出口を見失いそうで怖い。
 ……で,進んでみた結果,やはりどこまでいっても草は草。途中,目線よりも高い草を抜けたりして,これ本当に進みすぎると帰り道を見失って迷子になりかねない。まあ距離的にはたかがしれとるが。晴れてなかったら絶対入り込まないな。そして,結局土塁の遺構っぽいのは(案内板も含めて)発見できず……無念であります。無駄に時間を使っただけでおわってしまった。でもまあいいや。
 そして,無事鞄を回収して帰り道を発見。いやほんと,怖いっすね。

堀を振り返る 登っていく ←で倒れかかってる案内 登り口を見下ろす
登ると,そこは一面の草っぱら こんな場所を抜けると おそらくこの先に土塁があるのでは……

 さて。気を取り直して,北館地区へ向かいます。とりあえず,歩ける道が見えると安心してしまうくらいには貝ノ口に毒されました。
 そして,道路を抜けると普通の住宅街に到達します。西外郭は道路で真ん中をぶった切られておりますが,まあ大昔も住宅地(屋敷)があったであろうと思われるので,あるいみ正当に進化したのではないかと思っておくことにします。

貝ノ口を見上げる ここから道に出た あらためて振り返る 遠くに見える貝ノ口 西外郭方向 左が北館,右が角館
角館
奥が高台になっているのが果たして遺構なのかどうか
素人にはよく分かりません
西外郭の中まで進んで振り返る
北館。密かに「歴史の広場」という名前をつけられておりますが,なんか手入れもイマイチで歴史感も広場感もあまりありません……
模型を作るのはいいのだが,周りを囲われたせいでせっかくの案内が非常に読みづらい 西館

 とまあ,ここまではある意味導入。なんとここで水堀が登場。どこからここに水が流れてきているのかよく分かりませんが,とにかくはっきりと水堀と分かる水堀でした。そして,いまいち水の出入り口が分からないので濁ったり異臭を放ったりしててもおかしくない状況なのに,とりあえずきれいだったので,しっかり管理されているのではないかと思われます。
 そんなわけで,とりあえず水堀に沿って進みます。再度広々とした北館を確認。この北館は,二の丸方向にも土塁はないんですな。

素晴らしい土塁と水堀 ここを進む 北館 井戸跡っぽいのがありました
ロープの関係で真上から中を見られず

 で,いよいよ二の丸へ。
 二の丸は公園になっており,ほかの曲輪とは異なり,きっちり整備されております。
 で,せっかく登ったのにまた北館方向に下りて再度水堀を眺めてみたり。落ち着きがないですな。いかにも,な下り坂があるけれど,これはいつからあるのだろうか。後で見た地図を見る限り,むしろここがもともとの二の丸口だったのかもしれない。いずれにしても,この堀まわりは何回も見たくなる場所です。
 んで,登ったり下りたり我ながらせわしないですが,二の丸をまわってから姫塚を見にいきます。姫塚のお話自体は古今東西どこにでもあるようなお話ですが,やっぱりこういう話はどこに行っても人気になるんでしょうね。ただ,姫塚をつくることによって2人があの世で一緒になれる,という発想はどこまで一般的なのかちょっと気になるな。なんというか,仏教の輪廻転生的発想と若干ずれてる気がする。


水堀を振り返る 二の丸 北館の間の堀を見下ろす 下りる 西側 東側
二の丸 奥にある小高い丘
堀の土を積み上げたのか
ほかになにかあったのか
庭園 二の丸から堀を見下ろす 奥に見えるは
貝ノ口
遠くに見える天主神社 町の風景 姫塚 地図

 本丸跡には七戸神明宮があります。いったいなぜGoogleさんはあられもない場所に七戸神明宮の表示をするのだろうか……。
 なお,そんなGoogleさんから冷たい扱いを受けている神社ではありますが,社務所には人が常駐する(地域のたまり場的な雰囲気だな),しっかりと整備された神社でありました。由緒書の撮影に失敗したのが痛い。

ジョギングコースが
設定されてます
堀跡のようなのですが,解説もなく,いまいちよく分からん 木の周りは立ち入り禁止 そのせいでただでさえ見づらい案内板が
さらに見づらくなってしまった
レンズが汚すぎる
由緒書。ぶれぶれ
頑張って読んだところ,
明治14年に
ここに移転した模様
立派な拝殿です 熊野大権現 金比羅大権現 社務所の木箱に山口の
女子道社の名前があって
なんでそんなに遠くからと思ったら
おみくじはここで作られてたんですね
しらなかった……

 さて。そんなわけで七戸城をあとにして,バスがくるまでの時間を使って移築城門のある青岩寺に立寄ります。
 まあ,このテの移築城門のあるお寺にはよく行くんですが,門構えに関する知識とかを仕入れないので毎度毎度行って眺めて写真撮って終わってしまいます。我ながらこれでいいのか疑問であります。
 それにしても,移築城門なのに仁王像収納スペースがあるんですが,かつてはどうなってたんでしょうか……と思ったら,ちゃんと解説がありました。かつては二層の楼門で,左右に袖門があったとのこと。柱・梁・桁の並びが面影を残しているようですが,なんか今の姿と似ても似つかない気がするんですが……。素人的には,もはや移築城門といえないようにも思われるのですが,実際門の同一性ってどこまでが一緒なら同じ門扱いになるんでしょうかね。

親孝行踊りについて 解説2つ 移築城門を外から内から
仁王門。イタリアンカラー 境内 本堂 地蔵堂 無縁仏とか諸々

 そんなわけでして,無事バスに乗って七戸十和田へ。駅から徒歩圏内にジャスコがあり,さらに徒歩圏内にある東八甲田温泉に宿泊であります。どうもこの東八甲田温泉は,新幹線に合わせて作られたのではなくその逆で,たまたま近くに新幹線の駅ができたので宿泊棟を拡大したっぽいです。まあいずれにしても,こんないい立地に独り者にぴったりの温泉宿があるんだから素晴らしい。

相撲の巡業って
こういう場所にくるんだな
乗ってきたバス 東八甲田温泉外観 部屋
プレハブですが
必要充分

 温泉は湯量たっぷりで,しかもなぜか浴室には人が少なく(ロビーにはそこそこいたんだが),贅沢に温泉を堪能できました。素晴らしい。

三内丸山遺跡馬力大会へ


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