磐城の丹後

 2日目です。まずは,競輪の前に平城を目指します。ここは駅から歩いて行けるから助かります。まずは,駅から城山を見上げます。うむ,近いし,たいしてのぼる必要もなさそうです。これは安心。

駅から見上げる城山

 さて,進みます。進んでいくと,なんかそれっぽい石垣がお出迎えしてくれますが,果たしてこれがそれっぽいだけなのか,まさにそれなのかは素人には分かりません

それっぽい石垣と虎口

 で,無事龍ヶ城美術館に到着。開いてないのは事前情報通りです。
 そして,その横にある石垣。本丸の上には明治天皇像があると,どこかのウェブサイトかブログで読みましたが,震災の影響か,ここは閉鎖されております。そして,その脇,丹後沢公園へ降りる階段への道の脇には,崩壊した石垣をみることができます。これもネット情報をもとにするかぎり,この石垣は平城の石垣のようであります。これが震災前から崩れていたのか,それとも震災によって崩れたのか,あるいは震災後に別の理由で崩れたのかは私の知るところではありません。
 いずれにしても,平城が観光資源としてイマイチなのは理解するところでもあり,とにかく近隣の皆様に危害が及ばないような形で遺構を保存していただければいいなあ,と無責任に思うのみであります。
 ……と思っていたところ,ふと検索したら,磐城平城本丸跡地のウェブサイトができていて,さらに磐城平城一夜城プロジェクトなるものが持ち上がっていたりと,どうも昨今のお城ブームに乗っかって磐城平城を盛り上げようという空気がありました。今は旧仮藩庁を見られたり白蛇堀を見られたりするみたいです。
 あと,立ち入り禁止の本丸跡地があると噂に聞いていたんですが,これが発見できません。あれれ。

鉄道記念碑再建のことば
記念碑それ自体は発見できず
龍ヶ城美術館 本丸へ上る階段と,脇の石垣
こっち側の石垣がどういう組まれ方をしていたのかは
ちょっとよく分からない
丹後沢公園入口 丹後沢公園を見下ろす
崩壊している石垣 石や土が入ってるのかと思ったら
枯れ葉が入っておりました

 さて,平城をあとにして,飯野八幡宮へ。本当は前日に参拝したかったのだけれど,まわりをうろうろしても駐車場が見つからなかったのでありました。
 ここはちょうど消防訓練中でありまして,消防隊員の皆様が日曜の朝早くから勢揃いされておられました。なんかこうやってぷらぷらしてるのが申し訳なくなります。
 それにしても,こんな住宅街に,楼門や太鼓橋があり,重要文化財がそろったこんな立派な神社があるってのは凄いことなんじゃなかろうか。氏子さんたちがこれまで熱心に神社を崇敬してきたのでありましょう。

鳥居 楼門 重要文化財がたくさん
境内 神楽殿 唐門 拝殿 本殿
若宮八幡 名称不明 下が濡れているのは,
放水訓練のためです
朝早くから
お疲れ様です……

 さて。丹後沢公園に戻ります。ふと先を見ると,ネットで見覚えのある,本丸跡地への入口が見えました。近寄り,隙間から写真だけ撮らせて貰います。今は(期間限定で?)この中に入ることができる,ということのようですね。
 それにしても,この平坦な「本丸跡地」と,石垣が崩壊している,階段がある「本丸跡地」との関係がイマイチ分からない。天守台・櫓台にしては高すぎるし。


 で,再度崩壊した石垣を横目に,丹後沢公園。


 階段をおりて丹後沢公園にいくと,ここにも石垣。ここの石垣も果たして昔からあるものなのか,それとも公園をきれいにするためのものなのかは不明であります。昔からある石垣だとしても,当時の姿とは大きく異なるであろうと思われますので,石だけ再利用している,という感じなのではなかろうか。
 水自体は当時の水堀を利用しているのはよく分かるのですが,堀を掘るのに使った土はどこにいったのだろうか。やはりさっきの崩壊してた石垣部分は,盛土なのだろうか。

見下ろす 見上げる
ここの石垣は昔からあるのだろうか…
公園案内 名前の由来 堀の脇を進む

 それにしても,なんで磐城なのに丹後なのか,とか思っていたら,思ったよりも悲しい過去があってびっくりです。
 また,ここも戊辰戦争の舞台になってたんですな……。そりゃそうか。「戊辰戦争」「福島」というキーワードからだと,会津若松しか浮かんでこない。そりゃ浜通りも戦争の場になるよなあ。戊辰戦争についてはまったく知識がないからこれ以上のコメントができない。

 と言う具合に,さくっと平城を見終えて,ようやく競輪場です。

イワノシラミズいわき平競輪



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