からっと佐野市その2

 そんなわけで,桜馬場を歩いて引き返します。再度二の丸へ。やはり本丸下の石垣が美しいのでこれをもう一回しっかり見たかった。そして,二の丸に入るあたりの石垣も再チェック。いやあ,このあたりの石は石の質も関西と異なってる気がしますし,なんとなく独特の石垣ですな。どう独特なのかはいかんせん知識がなさ過ぎてしっかり語れないのでありますが。
 そして,二の丸から,今度は武者詰方向に抜けます。
 この武者詰に抜けるあたりの二の丸石垣もしっかりしてはおりますが,それ以上に武者詰から本丸を見上げた際のどど〜んとした段組と,石垣と土の切れ目の雰囲気がなんともいえません。これぞ山城,というかなんというか。

 そして,本丸下を抜けると立派な堀切登場。こういうのがしっかり残っているのは素晴らしいですね。

上から見る桜馬場 桜馬場
幟の色は枠色とは
関係なさそうです
武者詰から見る
二の丸虎口
今はこんな感じ
建物も特に復元とかではない
右手が本丸 三の丸方向振り返る
石垣と段の切れ目 上を見上げる 途中から石垣が出てます
昔は総石垣だったのかどうか
本丸を過ぎたあたりの堀切。下の道が見えます
ただ,この切り方だとかえって登りやすくなってないか
本丸を見上げる

 さて,人気が全くありませんが気にせず進みます。
 続いて,長門丸お花畑と,金の丸であります。長門丸は現在も特にお花畑感なし。長門丸と金の丸との間には今は舗装道が走っておりますが,そこがわりとしっかりと切られており,昔はどんな感じだったのかな。
 このあとは一気に寂れます。おそらくかつては青年の家があったり金の丸ロッヂが稼働していたりして栄えていたのでしょうが,今は既に青年の家は跡形もなくなっており,金の丸ロッヂも冬場なので人の気配が無く,なんというか,兵どもが夢の跡感が一層高まっておりました。
 北城に向かうところに再度堀切。おお,結構深くてしっかりしている。これは素晴らしい。そして,北城の先に,地図上2本の堀切が見えます。これが最後の見所。若干草ぼーぼーで見えづらくなってはおりますが,最後にこんなのまで出てくるとは。
 唐沢山城というと,やはり石垣があまりに有名で,実際あの石垣(というか,石ですね)が素晴らしいと思うわけですが,何本も走っている堀切も素晴らしいと思ったのでした。まあ,堀切を目がけて城に来る人なんざいないだろうからいいんだけど。

長門丸お花畑 解説 長門丸と金の丸の間の道 なんとなく土塁っぽいですが… 金の丸には金の丸ロッヂ
今も使われてるのか?
奥には土塁っぽい盛土
御姫御殿&青年の家跡 金の丸を振り返る だだっぴろい広場です 御姫御殿と北城の間の堀切
堀切がしっかりし過ぎているので立入禁止案内も明確になっております
北城側から見る堀切 北城跡
単なる公園状態
北城から手前の堀切を見下ろす 手前側の堀切 奥側

 さてさて。帰りは本丸や引局の下,車井戸の道を通って帰ります。井戸はかなり深そうでした。怖い怖い。
 で,桜馬場を歩いて帰りました。そういえば見てなかった唐澤山神社の由緒書はこんなところに。ということは,普通の参拝客はここを歩いてくるのか。

さっき見下ろした道をいく 車井戸 深そう さっき見下ろした堀切 本丸方向を見上げる
ここも上の方から石垣になってますね。
由緒書 ちょっと解説
ほかとスタイルが違うので,
神社がつくったのかもな
ここにも立派な堀切
多分この馬場も切れるように
なっていたのでしょう
最後に西曲輪を遠目から レストハウスで買った本
おそらく市報か何かへの
連載をまとめたもの
レストハウスでソースカツ丼
昨年の桐生以来だな

 てなわけで,唐沢山城おしまい。最後にレストハウスでソースカツ丼食べました。なんかあちこちのサイトを見てたら,この手のレストハウスにしては珍しく食事がプッシュされております。こちとら普段から公営競技で鍛えられてる歴戦の馬鹿舌なのでいいんですが……。
 さて,帰りはおとなしくタクシー使いました。レストハウスまでの迎車料込みで,城山公園まで2800円也。既に書いたとおり,東武は鈍行を使ってしまったため,東武の往復とこのタクシー代がほとんど変わらないというなんとも残念な事態となりました。あと,運転手さん自体はいい人だったんだけれど,あわよくば公園の北側につけてくれればちょっとタクシー代ケチれるかな,と思ってたら,見事駅側にとめてくれました。まあ,ちゃんと指示しなかった俺が悪い。

 そんなわけで,佐野城址城山公園であります。駅直結の凄い奴。
 階段を登って乗り込むと,まあ普通の公園なのに,いかにもかつて鐘があっただろうと思われる建築物。特に解説も無く,一体何だったのだろうか……。
 とまあ,ここまでが三の丸。

公園(旧三の丸)と鐘

 で,続いて道を渡って二の丸。ここに解説があります。鳥瞰写真とともに解説があり,結構わかりやすい。残念なのは,若干写真が古くなっていることですかね。
 そして,二の丸には城山記念館なる建物があります。「まぁ〜た北関東は金を引っ張ってこれるからこんなもん作っちゃって」とか舐めてかかっていたところ,解説を読む限り,どうも電話開設時の寄付金の余剰金をもとに作られたのがベースになっているという,かなり由緒正しい奴でした。まあ,入ってすぐ薬師寺東塔が出てくる内部についてはなにも申しません。そもそもあまり展示部分は広くありませんが,佐野城についても少しだけ歴史や出土品の解説などがありました。なお,リニューアルに際して「万葉の里」という冠がついたようです。

 この佐野城の見所は,この二の丸をぬけたところにあらわれます。本丸との間に素晴らしい大がかりな堀が待ち構えております。これは素晴らしい。見応えあります。
 そして,本丸は発掘調査時にいくつか石が発掘されたようですが,保存のために埋め戻されたようであります。まあ,少なくとも短期的にここを佐野城址として売り出す気はなさそうですね。まあ,仕方ないところです。
 その先には北出丸。本丸と北出丸の間にも立派な堀があります。ここの堀は,先ほどの二の丸との間の堀と異なり,底が高いです。高いというか,周囲の道から階段を登って堀の底を歩く方式になっております。現代になってあえて土を盛る必要もないでしょうから(むしろ水堀等を埋めるために土が必要になっただろうし),これは昔からこうだったんではなかろうかと。それにしても,ここの堀もしっかりとしております。ブラボー。

解説板 二の丸 万葉の里 由緒正しい建物のようです 佐野城解説
撮影禁止サインがなかったので
撮っちゃったけどよかったのかな
二の丸と本丸の間の堀 本丸と発掘状況
北出丸への堀 北出丸 駅側から三の丸を見上げる
もともとこんな感じだったのかは不明

 ここでその3を作るか迷ったけれど気にせずここに書き続けてしまおう。
 そんなわけで,帰宅方法(バスか電車か)を悩みつつ南口へ。目指すはあの有名な佐野厄除大師です。その前に,大きめの神社があるのでそこへ。駅から西に向かう通りは「昇栄通り」という名前の通りのようです。そして,その案内右側にある写真に写っている池が,旧佐野城の水堀の名残だったとか。現在は既にこの池も埋め立てられており,佐野駅の南口に城跡っぽいものは特に発見できず。
 そして,星宮神社の裏から星宮神社へ。若干古くは鳴っておりましたが,拝殿・本殿まわりの彫刻がしっかりしていたり,参道階段の手摺りに干支が飾られていたりと,なかなか面白い神社でありました。地元で大事にされてるんではなかろうかと。

昇栄通り解説 裏階段とその脇の石碑等 正面から裏から拝殿と本殿。なかなかに興味深い彫刻群
 
略記 弁財天と蛇 干支の飾りがなんとも立派 銅鳥居と和算額が市指定文化財

 まだまだ厄除大師には到達しません。続いて目指すは銭湯。佐野市の銭湯は,どうもこのあたりに2カ所固まっている様子。どっちに行こうか……と思って,まずはみどりの湯へ。
 だけんども,しかし。見当たらないのであります。あれれ。ぐぬぬ。う〜ん。それっぽい煙突もない。うぬぬ。ということは,この空地がみどりの湯跡地ということなのでしょうか……。無念。
 しかし,俺にはまだおばな湯がある。というわけで,ちょっと逆戻りしておばな湯へ。おお,のれんがぶら下がっております。牛乳石鹸などにはめもくれず,橙単色のなかなかナイスな暖簾ですね。ロッカーなどという大それたものはなく,カゴに荷物を突っ込む昔ながらの銭湯です。厄除大師徒歩5分の立地にして,観光客などに目もくれない地元密着銭湯であります。もうちょっと観光客に目をくれてやってもいいような気もしますが,そういう姿勢が現代の銭湯なんでしょう。まあ,個人的にはせっかく持ち歩いているタオルとひげそりとシャンプーが無駄にならなかったことが何より嬉しいのでありました。

みどりの湯跡地? おばな湯 鮮やかな単色暖簾 靴箱 入口 脱衣所

 ようやく,佐野厄除大師に到達です。人が多い。ここはまだ正月気分に浮かれていやがりますな。
 この佐野厄除大師,正式名称は惣宗寺。「そうしゅうじ」で検索したらATOKさんは一発返還してくれました。徳島でもCM流れてるのでしょうか。この惣宗寺という名前は世間的に全く知られておりません。なぜなら世間はCMでしかここを知らないから。……などと勝手に世間を代理して断言してますが,もちろん世論調査などは行なっておらず,知らなかったのは自分だけの話です。
 惣宗寺といえば,まず山門が佐野城からの移築とのことです。とのことなのですが,参拝客が多くてのんびり眺めているわけにもいかず,また,特に解説などは発見できませんでした。まあ仕方ない。
 それから先も人でごった返しております。思ったよりも小さい寺院なのですね。道中,田中正造氏のお墓が大きく展示されていたり(お墓と言うよりも記念碑といった方がいい大きさだと思うのですが,お墓でいいのだろうか。こういう目立つ葬られ方を好まないタイプの人,っていうイメージなのだけれど),銅鐘やパゴタ慰霊塔など,面白そうなものもありますが……いかんせん人多すぎ。あと,参拝方法が良く分からん。拝殿参拝するには金払わないといかんのかしら?なんか人が多いのに解説が少なくてわけわかめ。
 ……てことで,下でお参りして退散しました。東照宮とかも見所っぽいんですが,なんか人の波が凄いあまりクローズアップする気もなさそうだし……そもそも,なぜここに東照宮があるのかきちんと説明してもらわんと素人には分からんのですたい。

旧佐野城城門 やけに金ぴかな鐘 田中正造氏のお墓
 
有形文化財の銅鐘 パゴタ供養塔 馬頭観音
 
本堂 お掃除小僧さん 授与品の自動販売機
ありがたみがなさ過ぎて誰も使ってませんでした
夜とかになると使う人が出るのかな
出口

 そんなわけで,最後に名物のイモを食べて,電車で退散。帰りも鈍行で帰りました。電車では熟睡。
 なお,先日同僚に「(普通の)電車で熟睡できる」という話をしたところ,「電車で寝たことがない」「どうしてそんなことができるのか」と真顔で聞かれました。もしかして電車で熟睡するのって東京の通勤電車ならではの特殊事例だったりするのでしょうか。

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