キンチェムとの戦い
NP


※ 本記事は白馬22号に掲載した一太郎ファイルをそのままHTMLに変換したものです。表示が崩れている箇所があるかもしれませんが,ご了承下さい。

 みなさん、キンチェムという馬をご存じでしょうか。ハンガリーの歴史的名馬であり、ちょいと前まで世界の連勝記録を保有していた、54戦54勝の名牝であります。


 ハンガリー政府観光局のサイトより、全文引用。
 http://www.hungarytabi.jp/yumemiru/kiba_main.htm(現在はリンク切れ)
 世界の競馬史に名を残す名牝キンチェム。1874年にハンガリーに生まれた栗毛のこの牝馬は、故国の1000ギニー、2000ギニー、セントレジャーとオーストリア・ダービーなど東欧のクラシック・レースを4勝、4歳から6歳までドイツのバーデン大賞典を3連覇、さらに英国のグッドウッド・カップ、フランスのドーヴィル大賞典を制するなど、6カ国で4シーズン走り、54戦54勝の成績を残しました。
 名牝キンチェムは今でもハンガリーの競馬に携わる人々の大きな誇りとなっています。その偉業を称え、没後100年を記念する意味合いで、このほど『ハンガリー奇跡:キンチェム』という本が刊行されました。
 男まさりの実力を持ったキンチェムのような馬は、日本の言葉では「女傑」というのでしょうか。しかし彼女は、担当厩務員のフランキーや厩舎のペットの猫と大の仲良しで、遠征のときには汽車に乗ることをとても好んだといわれるように、愛すべき競走馬として語り継がれています。
 日本では「キンツェム」と表記・紹介されていますが、私たちの発音では
は「キンチェム」となります。
 ハンガリーの競走馬といえば、キンチェムだけがよく知られていますが、歴史に残る名馬としてもう1頭、キシュベールが挙げられます。この馬はキンチェムが2歳の1876年に英国ダービーに優勝していますが、これもハンガリーで生産、育成された馬です。
 ハンガリー競馬の歴史はおよそ170年。セーチェニ・イシュトヴァーン伯爵の呼び掛けにより、ハンガリーの競馬はスタートしました。同伯爵はまた1879年に完成した「くさり橋」を架けることを提唱した人物でした。ブダペスト市街のドナウ川に架かる荘厳な『くさり橋』はドナウ最古の橋として、観光スポットになっています。伯爵はさまざまな場面で国家の発展に貢献しましたが、「くさり橋と競馬をつくった人」として親しまれています。
 世界的な規模でみれば、現在のハンガリー競馬は日本の足元にも及びませんが、キンチェムやキシュベールが活躍した時代も確かにあったのです。
 もともと私たちの国は馬とは強い結びつきがありました。国土の3分の1を占めるハンガリー大平原。この地にウラル地方のアジア系遊牧騎馬民族を祖先とするマジャール人が移ったのが9世紀、日本では平安時代の初期の頃でした。
 この当時のマジャールの馬は蒙古系の小さな馬でした。この頃は身分の高い人物のお墓には馬も一緒に埋葬する週間がありましたが、発掘に
よってそれらの馬は小さなものだったことが知られています。その後、トルコやアラビアの民族と接したことによって、馬も交配・改良が加えられ、徐々に大型化したと思われます。
 騎馬民族の名残は大平原のいたるところにみられ、さまざまな馬術ショーが行われています。民族衣装を纏い、裸馬5頭のうち後ろ2頭の背に立って騎乗するなどは、特に騎馬民族を彷彿とさせる勇壮なものです。
 また、こうした馬術ショーのほかに、シーズンの3月から10月までは国際大会も含んだ障害飛越や馬場馬術など、数多くの競技会も行われています。
 少しのPRをお赦し頂ければ、「ハンガリー戴冠1000年」のほか、大平原のホース・トレッキングや馬車によるツアーは、ヨーロッパ各国からの観光を集め、お楽しみ頂いています。馬以外でも国内に100を超える温泉のリゾートや、隠れた名品のハンガリー・ワインも私たちのお薦めするところです。
 競馬ファンにはもちろん競馬場ですが、国内に競馬場はふたつ、いずれもブダペストにあります。ひとつはトロット競馬専門、もうひとつが「キンチェム・パーク」です。同競馬場は「ラコシュ競馬場」と紹介されたりしているようですが、ブダペストでは「キンチェム・パーク」と呼ぶのが一般的です。競馬場正門の横にはその名を冠したキンチェムの像が建てられ、訪れるファンを迎えます。例年6月にハンガリー・ダービー、ハンガリー・オークスなどのクラシックレースが行われます。
 ただ残念なことに、キンチェム・パークは工事中で2000年にレースが実施されるかどうか、現在のところ明確なことを申し上げることができません。今少し時間を頂戴したうえで、私ども観光局にお問い合わせ頂ければ幸いです。
 最後にPRが過ぎてしまったことをお詫び申し上げます。(談)
 
 というわけで、まずはこのキンチェムパーク競馬場を目指すことになります。レースは中欧の一般的な競馬場同様、週末開催なので、開催中の競馬場には行けません。ですが、そんなのは関係ありません。とにかくそこに競馬場がある限り、競馬場に行く。それだけです。(本人的には格好いいことをいっているつもり)
 
 行き方は非常に簡単。東駅の地下鉄から1駅か2駅(手許にガイドブックがないので正確な名前と駅数が出てこない)。そして、ネット情報だと駅を出てすぐに向正面側に出る、とのこと。
 というわけで、東駅に大きな荷物を預けていざ出陣。地下鉄を待ちます。が……しばらくまっていると、駅員さんがやってきました。英語を話してくれました。曰く、「こっちには電車が来ない」。
 が〜ん。そう、ハンガリーは今、地下鉄4号線を通すために街中大改造。そして、地下鉄3号線も東駅で折り返し運転なのでした。どおりで、ブダペストに着いた日に地下鉄が東駅で折り返してたわけだ。そして、あちこちに貼られていた張り紙の意味をようやく理解したのでした。
 もちろん、代行バスもあるのですが、どこ発着かが不明。しかも、この日もいろいろ予定がつまっている。
 というわけで、競馬場行きを断念。まあいいさ。次にキンチェム情報としては、wikiより…
キンチェムは13歳の誕生日に疝痛により死亡した。この日ハンガリーの教会はキンチェムを追悼するために鐘を鳴らし続けたという。キンチェムの骨格はハンガリーの農業博物館に展示されている。そして生誕100周年の1974年にはこの馬を記念してブダペスト競馬場が「キンチェム競馬場」と改名された。ここにキンチェムの銅像も建てられている。
 下線は筆者。そう、農業博物館に行けば、キンチェム(の骨格)に会えるわけです。


 ちょっと気になるのが、「ハンガリーの農業博物館」というあいまいなことこの上ない表現。ですが、まあ多分ブダペストの農業博物館だろう、ということで、行ったわけですよ、農業博物館。
←農業博物館

 農業博物館は英雄広場を抜けた市民公園にあります。入場無料で、ガイドブックにも載るか載らないかという酷い扱いの博物館なので、どうせちゃちな建物だろ、と思っていたら、ビックリ仰天。しっかりとした建物でした。
 入館は無料ですが、写真撮影には金がかかります。50ゾルティ。
 博物館はまあ本当によくある農業博物館。
 「昔の人の狩猟生活はこんなのでしたよ」コーナーや、「ハンガリーではこんな動物がとれますよ」コーナー。ハンガリーワインの紹介コーナーもありました。動物コーナーには、鹿や熊の剥製が。
 しか〜し!肝心のキンチェムがいない!鹿や熊なんてどうでもいいのです。馬ですよ、馬。馬はどこいった!
 ……そして、ついに見学終了。馬はどこだ〜〜〜!!
 
 意気消沈して入口に戻る途中、馬の絵が。おおっ!キンチェム!
 …これだけ。骨格はいったい何処に…。
←一応、キンチェムの絵。
 このままでは遠路はるばるブダペストまで来た意味がないので、受付で「キンチェムはいないのか?」という質問。
 すると、「キンチェム?ごめんなさい、ここにはいないの」というお返事。
 「キンチェム」という存在それ自体は通じているみたいなので、やはりハンガリーではキンチェムという存在それ自体はメジャーなのではないかと思います。しかしねえ、くそ〜〜。写真代50ゾルティ返せ!
 
 本当に意気消沈して博物館を後にしたのでした。しかし、キンチェムを探しに来た怪しい日本人、ってのはおばちゃんから見たらどういう風に見えたのでしょうか…。
 
 こうして暑い夏の日差しを受けながら、NPは博物館を後にして、公園を出ようとしたのですが…。ふと気付きました。
 「博物館の売店にはなにかキンチェムゆかりのものがあるかもしれない!!」
 もしかしたら骨格はキンチェムパーク競馬場に移転したのではないか、としても、博物館の売店にはかつて骨格が展示されていた名残としてキンチェムの何かがあるのではないか、と、まあ自分に都合のいいように考えたらどこまでも行きますね、と言う具合に推理。
 暑い中、せっかく抜け出た公園内をひーひーいいながら歩いて売店へ(売店は外とつながっているまあ、どっちみち無料なんだけど)。
 ……あるわけないですね。無駄足。がくっ。
 
 おしまい。

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