千葉すず落選問題について



 初回なので、少し前のネタですが書きたかったことを。

 千葉すずがシドニー五輪に行けないというのは、僕にとって寝耳に水の話でした。朝、いつものように新聞を読もうとしたら、1面に、千葉すずシドニーを断念、のようなことが書かれていて、驚きました。後から思うと少し表現が違ったんでしょうが、僕は上のような見出しから、彼女のことだからなんかの理由で辞退したんだろうな、と勝手に考えていましたが、中の記事を読むとどうやら違うのです。日本水連の選考からもれていることが明らかとなった。そんなバカな。たしか、この前の選考レースで勝ったはす。とにかくよくわかりませんでした。
 しかし、これで千葉すずと世論がどう動くか楽しみになりました。このまま引き下がってもらっては面白くありません。彼女は、もうどうでもいい、みたいな発言をして、すぐにカナダ(アメリカ?)に帰ってしまいましたが、マスコミやファンの盛り上がりとともに国際スポーツ調停裁判所(CAS)に提訴することを発表しました。この時、出したコメントは、私が選ばれるかどうかの問題よりも、将来、また私のような思いをする人を作らないためにも選考基準をはっきりさせておきたい、というものでした。
 ここで僕の意見を書かせてもらいます。やはり、多くの人たちと同様、選ばれるべきだったと思います。では、なぜ選ばれなかったのでしょう。まずは、日水連側の選考基準を満たしていなかった。これは昨年の世界選手権で16位以内のタイムというものです。一般的には、選考会で2位以内に入り、オリンピックA標準記録を切れば、まず代表入りは間違いないと思われてきました。ところが、日水連は、世界で戦える条件として、上の基準を持ち出してきたのです。しかしこれだけで世界と戦えない、といえるのでしょうか。実際、千葉選手は去年の世界2位の記録を出しており、今回タイムが悪かったのは、風邪により体調を崩していたためと考えられます。年齢的に、成長が見込めないという声もありましたが、これも、復帰した途端日本記録を出し、それからまだタイムを伸ばしている彼女の底知れない成長力を認めないわけにはいかないでしょう。また、彼女の発言に、選考会は通過点であり、あくまで目標は9月(シドニー五輪)、というものもありました。競馬をやるものにとっては、ごく当たり前の考え方です。トライアルはあくまでトライアルであるから、権利さえ取れれば、あとは本番につながるレースを、というのはよく聞きますよね。ましてや、体調が悪いのに、無理をしてタイムをねらう必要が無い、というのもわかりますよね。A標準を切って、2位以内に入ればいいわけですから。そして、彼女は、水連が上の基準をはっきりと公表していたなら、しっかりとそのタイムを切っていたはずです。これは憶測に過ぎませんが、僕はこれについては確信を持っています。なぜなら、彼女は上記のような考えの元で、A標準を切った、と考えているからで、ある程度なら狙ったタイムを切る能力はあるはずだと思っているからです。つまり、千葉すず選手は、今回の選考会のタイムをどうこう言う必要も無く、去年の実績、むしろ体調がすぐれないながらも勝った今回の選考会から、十分世界で戦える、と結論付けることができるのです。ということは、水連が挙げた、去年の世界選手権16位以内という基準は、後からつけられた表向きの理由に過ぎないのです。
 では、本当の理由は何か。水連の役員に嫌われていたから。前から彼女は、歯に衣を着せない発言や、それに伴う行動から、水連の役員から煙たがられるような面がありました。アトランタ五輪でも、彼女だけではなく、日本チーム全体の惨敗も彼女のせいだと言って、千葉はチームワークを乱す、というような発言もしています。公然と協会を批判する彼女との間に元から確執はあったのです。そこに今度は、選考会を軽視するような発言。他の各選手がそこに目標を置いて体調を合わせているのに、この発言は許せなかったのでしょう。ここに周りに与える悪影響、また集団の和を乱す、というものがあると言うのでしょう。しかし、上にも書いたように、彼女のようなレベルの選手にとってそれは当然なのです。これに対して、千葉はなめている、という発言まで出ています。このような考え方をしているから、選手も結果を出せないのではないのでしょうか。
 結局、水連は彼女をオリンピックの舞台から排除することにしたのです。

 CASの裁定は、日水連の選考は公正であり、千葉選手の訴えを棄却する、というものでした。と同時に、日水連には訴訟の費用の一部を補償金として支払うように指示しました。これは、選考基準が元からはっきりしていれば、このようなトラブルは起きなかった、という判断によるものです。僕は、少しだけ期待してしまった分残念でしたが、妥当な判断だと思いました。水連が基準をはっきりと示していなかったため、後から具体的な数字を出して説明をつけられれば、CASとしては文句をつけられないからです。しかし、訴訟金の一部を支払うという裁定は、不透明な選考をしてきた水連に対して、大きな衝撃を与えたはずです。これまでのように、理由は言えないがおまえはだめだ、とは言えなくなるのです。水連だけではなく、他のスポーツ関係者にも大きな影響を与えたのではないでしょうか。
 4年に一度のオリンピックはたくさんの人の注目を集めます。その中にはもちろん、4年に一度しか水泳など見ないという人もたくさんいるわけです。そのため、オリンピックの選手選考は、普段は水泳など全く見ない、水泳に関して素人と言える人にも注目されているのです(現に僕がそうです)。つまり、その選考はそういう人たちにもわかりやすいものでなければなりません。今回これを書くために久しぶりに彼女の応援ホームページを見ましたが、未だに活発に意見が交わされていました。それだけ関心の高い出来事だったのです。また、これだけの人に注目されることは、水泳界にとっては普及のチャンスなわけです。それなのにこんなことばかり繰り返していてはイメージダウンにしかなりません。裁定が下された後も、水連の幹部の発言には全く反省などしていないようなものが多々ありました。今後、少しずつでもこういう体質が変わっていくことを望みます。

 千葉選手にとってもこれでよかったのではないかと、僕は勝手に考えています。もちろん、彼女とてオリンピックに出たかったことには間違いないでしょう。ただ、アトランタ五輪の後で一度引退してから復帰した時に彼女はこんなことを言っていたはずです。今までは泳いでいて楽しいなんてことを感じたことは無かったが、子供たちと遊びながら教えていて初めて泳ぎが楽しいと思えるようになった。そして彼女は復帰したのです。また、マスコミの過剰な報道が始まりましたが、もう彼女は他のことはどうでもよかったのです。楽しいから泳ぐ、ただそれだけ。だからオリンピックにしても、思ったことを口にしてしまったがために出させてもらえないならしょうがない、と潔くあきらめました。それから、周りの人にいろいろ言われて考え直し、このままではまた同じような思いをする人が出てきてしまう、という思いでもう一度立ち上がったのです。つまり、彼女の思いは果たされたわけです。



 <追記>
 これを書くにあたってほとんど資料を調べずに、自分の記憶に頼って書いたため、明らかな間違いが含まれているかもしれません。もし見つけたら、メールを送るか掲示板に書くかして、教えていただければうれしいです。また、意見なども歓迎します。