北沢豪引退試合(前)
2003年6月21日。国立競技場。
Jリーグ設立当時から、日本のサッカー界を支えてきた北沢豪選手の引退試合が行われました。
NPは、友人2名とともに国立競技場へ出陣。北沢選手の最後の雄姿を見てまいりました。というわけで、当日の様子をチラリとお伝えしつつ、自分の心の中で当日の様子を思い出して自己満足にひたりたいと思います。
いちおう、最初から言い訳めいたことを書きますと、NPは「感動的な文章」を書くのがとてつもなく下手糞です。「感動的な文章」以外も下手糞ですが、それに輪をいくつもかけて下手糞です。自分で読み返してて腹が立ってくるほど下手糞です。が、勢いで書いてしまいました。どうかご勘弁を。
さて、NPが浦和レッズのファンであることはまあご存知の方も多いかもしれません。
ですが、当時読売新聞をとっていた、といういたって単純かつ子供らしい理由で、僕は三菱とともに読売クラブも応援しておりました。日本リーグ時代のお話であります。
当時の日本リーグの扱いの低さは散々話題にのぼっているのでまあ触れませんが、僕も、新聞の片隅に、現在で言うなればハンドボールの日本リーグの結果のごとき扱いを受ける日本リーグの結果を見て一喜一憂しておりました。無邪気なものです。
当然、北沢選手が本田技研にいた、とか、そんな高度な話は知りません。
さて、ドーハです、ドーハ。なんと言ってもドーハです。「ドーハの悲劇」。福田選手ともども、北沢選手もその場にいました。正確には、その場の外にいました、というべきなのかもしれません。まあとにかくドーハ組です。
なんつーか、ドーハ組、ってのには不思議な感情を抱いてしまいます。何でかは分かりません。同じように、フランス組にも一定の感情があります。2002組なんかとは比べ物にならんくらい。多分、「予選」ってもんの存在が大きいのでしょう。
とにかく。北沢選手はドーハ組であり、「フランス組」であり、フランス組ではありません。
そんな北沢選手。
実際に会ったことがないから分からないですが、多分いい人なんだろうな、と思います。コメントとか見るに。読売に入ったのがよかったのか悪かったのかは微妙だと思いますが。ただ、この人がいなかったのならば、日本代表がフランスW杯に出ることもなかっただろうし、日本Wカップ開催権返上、なんてことになってたかもしれません。それくらい、フランス行きにおける北沢選手の貢献度は大きいと思ってます。最終選考での落選もまあ妥当といえば妥当、とも思います。難しいですが。
ただ、よくも悪くも横にカズがいたなあ、という印象はあります。
近時の惨めなヴェルディの中で、北沢選手がどういう存在だったのかはよく分かりませんが、まあ僕がイメージする北沢選手は青いユニ着た日本代表選手としての姿が5割、常勝ヴェルディの緑の姿が5割、ってな感じです。まあ所詮浦和から見たらヴェルディは敵です。
まあ、自分でも書いてることがよく分からなくなってるので、いい加減6月21日に話を移します。
6月21日。10時に千駄ヶ谷で待ち合わせ。早起きは辛いです。
駅前は緑一色、役満ドカン、ってほどではないですが、それなりに緑のユニが目立ちます。
ローソンへ寄った後、入場門を間違え(最初はAWAY・マリノス側へ行ってしまった…)るなどのまあありがちなことをかましつつ、青山門へ。会場1時間前だというのに、並ぶ人数は数十人。ヴェルディのサポータークラブかなんかの人は別の入場口があるとはいえ、なんだか先週の日曜日と比べるとさびしい限り。まあ、人数でどうこう言うのは馬鹿げてますが。
んでもって、入場。そんな並びの人数なので、いい位置をゲット。しかも、席を広く使えるおまけつき。
さて、とりあえずの感想は…暑い!!本当に暑い!!
そして、国立は初参戦だったのですが…ピッチが遠い!予想はしてたけど…
とにかく暑いので、裏に避難しつつ、トイレに行き、売店を眺めます。
記念品としてはパンフレット1500円、ペナント、Tシャツ。の3つだったと思います。もう少し買いやすい商品売ってくれれば買ったんだけどなあ。どうなんでしょ。ストラップとか、キーホルダーとか。値段が3桁の商品があってもよかったような…。
そして、なぜか目立つ位置にあるジュビロユニ。気持ちはよく分かるけど、なんだかねえ。