[ ナリタセンチュリー ] |
先週末は会津方面へ。ニワカ幕末ファンとしては会津は外せません。 昔は日光街道などを使って会津入りしていたようですが上杉にしてもその後の会津藩にしても,浜通りでは無く若松まわりが栄えたってのはやはり太平洋の海運がきつかったんだろうな,と思うところですが,このあたりの真相は知りません。 で,現代人はどうやって会津に入るかというと,基本ルートは新幹線郡山経由のようです。が,今回はまったりと東武でリバティ会津を使いました。リバティ会津という名前,普通に聞いたらLibertyだと思うんですが,どうも違ったようです。由来は調べてないので知りません。 このリバティ会津を使うと会津田島で乗換になります。そこから非電化区間だから,というのが理由らしい。この会津田島,実は駅前に鴫山城という城がありまして,なんと大手門の石垣が復元されています。というわけで,朝6時30分に浅草を出て鴫山城へ。 鴫山城には詰城もあり,愛宕山にかるく登ります。所用30分もかからないということで,健脚な皆様であれば東京競馬場の坂程度のもんなんでしょうが,私からしてみたら中山のバンケットよりもきつい。てことで,死にました。登って思い出ノート的なのを見たら,同日朝6時40分頃に登った方がおられたようです。……すごい。 そんなこんなで会津田島→大内宿→湯野川温泉とまわっておりまして,分かったことは,「南会津は会津とは違う」という当たり前のことでありました。そもそも会津藩に属してないし。「千代田区と足立区は違う」以上に距離もあるしな。 てことで,そもそも会津入りするのに1日以上かかり,2日目は神指城。ここは上杉さんが若松城から拠点を移そうとして作りかけのまま終わった城ですね。10月はまだ緑が生い茂った自然の要塞になっており,中はあまり見られずに退散。 市街地から涙橋や中野竹子碑あたりを経由して歩いて行ったんですが,徒歩の距離感が分かったのはいいとしてもやはり初老メタボが歩いて行っていい場所では無かった。疲れました。 そんなわけで,会津に行ったのにろくに会津らしい会津を見ないまま帰宅。
結論として,喜多方ラーメンは坂内で十分,ということが分かりました。
ちなみに,会津に行くのは3回目で,1回目は中2の旅行,2回目はローの卒業後の旅行でした。1回目で覚えているのは,今や上場企業の社長さんになっているN村くんが土産物屋で赤べこを値切って「あんたどこの学校?」的なことを聞かれてたことだけです。
大体想像がつくと思いますが,私の旅程は基本金を使わないところばかり回るので,地域貢献ができません(帰りに本屋には寄ったけど)。鴫山城も神指城ももちろん入場料かからんし。てことで,会津に経済貢献したいので会津に競馬場作ってください。
2020/10/10(Sat)
|
|