陸奥と水族の周防大島
「周防大島」という島は東京にいた頃は名前も知らなかったのでありますが,周防大島に向けて船がある,しかも周防大島には陸奥の記念館もあれば水族館もあるということで,せっかくなので訪問してみました。
いや別に陸奥に特別な思い入れがあるわけでもないですし,格別な魚マニアというというわけでもないんですが,行けるものは行けるうちに行かないと。
というわけで,フェリーで周防大島。先日民事再生を申立てた防予汽船あるいは譲渡先の防予フェリーと周防大島松山フェリーとの関係はよく分からないのでありますが,多分完全な別会社(ただし資本関係あり)という感じなのではないでしょうか。
石崎汽船のビル 歴史と風格ある石造ですね |
フェリー乗り場向かいの休憩所 |
三津浜から伊保田を経由して柳井に向かうフェリーは1日4便。深夜運行しているのは便利ですが,いかんせん本数が少ないので,寝坊したら計画が即座に破綻してしまいます。休みの日なのに休まりませんな。
三津浜はご存じの方も多いかと思いますが,昔競馬場があった場所であります。さらに,柳井にも昔柳井競馬場があり,その跡地が柳井オートレース場となり,山陽オートに移転して今に至ります。つまるところ,競馬場フェリーなのでありますな。はっきりいってこの時代に旅打ちして全場制覇しようと思ったら余程の覚悟と資金と暇がないと無理でしょうね。
さて。日曜ということもあり,フェリーには大勢の人が乗っておられました(船内写真がないのはそのため)。ちょっとびっくり。もっとも,伊保田で降りたのは少数で,ほとんどが本州に向かう方々でありました。
そんなわけで,あまり船内をうろつくこともなく(うろついて楽しめるほど大きい船でもないですが),NPは競馬の予想をしつつ惰眠を貪り,船は1時間強で定刻通り伊保田港に到着。
周防大島と松山を結ぶフェリーは今回乗った「しらきさん」だけのようで,しらきさんがドック入りする期間は伊保田寄港便がなくなるようです。こればっかりは仕方ないですね。しらきさんに何らかのアクシデントがあったらこのフェリーも危ないんだろうな……。
ところで。しらきさんってのはてっきり周防大島の「白木山」のことだと思ってたのでありますが,今見たら周防大島の「白木山」は「しらきやま」らしいです。あれれ。
三津浜港にしらきさん入港 | 伊保田港に到着! | |||
下船を待ちます | 内海造船2004年 441トン |
伊保田港からしらきさんを見送る |
さて。
僕の予想では,伊保田港の待合室には周防大島の観光地図と観光パンフレットが置いてあって,当然陸奥博物館に向けた矢印なんかもあると思っていたのです。
だけんども,しかし。
そんなものありゃしないのでありました。ありゃまこりゃま。
伊保田港ターミナル | 砂浜の地図 |
まあ,おそらく西方向に歩けばいいんだろう,ということで,とぼとぼと歩きます。日曜の昼なのに,歩いてる人は一人もいません。地元の方々は自動車利用してるだろうからいいとして,自分以外に観光客ゼロなんですな。そりゃ地図も矢印もパンフレットもないわけだ。
しばらく進むと,バス停が見えてきます。自分の中では,徒歩数分で陸奥博物館だったので,バス停1つ分歩いたことに衝撃。方向としてこっちで間違いないはずなのに,無駄に不安になってきます。
そして,砂浜に。砂浜はどうでもよいのですが,砂浜にあった地図にちゃんと陸奥博物館の表記があったので安心安心。
さらに進んでいくと,木々の中に飛行機が!!
想定外のものが出てきてかなりびっくり。と同時に,陸奥の予感も感じてちょっと嬉しい。
それにしても,茂る木々の中に突如として飛行機が現われる様は,まさに戦争のような雰囲気。予備知識無しで行ってよかったよかった。
しかし,さらに飛行艇に近づくと,飛行艇の下でくつろぐ人々。そこは単なる公園でありました。戦争の雰囲気台無しなのはいいとして,人が楽しい休日を過ごしているのを見てしまうと,なんとなく邪魔するのが申し訳なく思えて,とりあえず遠巻きに飛行機を見て陸奥博物館を目指すのでありました。
突如として飛行艇!! | 木々の中に飛行艇! 飛行艇の全容を撮影できるポイントは発見できず…… |
解説。PS-1飛行艇 新明和工業で開発 この飛行艇は昭和52年〜昭和62年まで 日本の平和を守っていたようです |
そんなわけで,どうも公園一帯がキャンプ(ピクニック)の場所として家族の憩いの場とかしているのでした。当然三十路の男一人がそんな中を闊歩するのですから,不審者以外の何者でもありません。いち早く陸奥記念館に退散。
陸奥記念館の前には錨が展示されております。おそらく実物。沈没当時は収錨されていたとのこと。これだけきれいに残っているんですね。風雪に晒されて大丈夫なんでしょうか。あと,陸奥の雰囲気とは全く違うBGMが流れておりました。
陸奥記念館はきれいな建物で,中に入ると広々としたくつろぎスペースと土産物屋。受付にお金を払って展示室の中に入ります。
一般に,男一人がわざわざ陸奥記念館に行くのだったら,普通は戦艦陸奥についてなんらかの知識があるのでしょうが,お馬鹿NPは「戦時中なぜか瀬戸内海に沈んだ悲劇の戦艦」という知識しかないのでありました。遠い親戚にも大和に乗ってたと聞いた人はおりますが,陸奥の話は聞いたことがないんだよな。
それはさておき。博物館としては,おそらく,町の戦争記憶館の役割も果たさないといけないので,全年齢対応であります。ここ数年,1年に1回はこのテの記念館・博物館に行っているので,だんだん展示に鈍感になっている自分がいるのですが,それでもやはり,国(邦)のために亡くなった方々の写真や若かりし頃の姿,遺品などを見るのは重いものがあります。ただ,所詮平和ボケ人間ですので,そんな人間が感じる重みなど本当の重みとは全然違うんでしょうね……。
さて,陸奥記念館を出て丘を登ると,陸奥の艦首やスクリューが展示されております。これも野ざらしにしてしまってよいのか気になるところではあるのですが,陸奥の沈没現場が見える丘に陸奥の遺品を飾ることにこそ意味があるのではないかと思うのでありました。
記念館 | 戦艦陸奥艦首錨及び錨鎖 | 旧陸奥記念館表札・鬼瓦 | 推進機 | 副砲 射程14.8キロってんだから凄いですね |
||
艦首 在りし日にはここに菊の紋章が輝いていたらしい… |
若鷲の碑 | 陸奥について | 陸奥之碑 | 感銘碑 |
さて。陸奥記念館の向かいには,「日本で最も小さな水族館」として名高い(らしい),なぎさ水族館があります。
普段平和島競艇⇔大井競馬の往復の際にしながわ水族館の脇はたびたび通過していたのでありますが(別件で池袋サンシャイン水族館にたびたびニアミスしたこともありますが),水族館に行くのはオーストラリア以来ですから,約5年ぶりになります。
中に入ると,一瞬生け簀かと思うような雰囲気が漂い,さらに先には子ども達が楽しく魚と戯れるコーナーもあり完全に場違いか!?と,入ったことを後悔しかけましたが,なかなかどうして。意外と奥が深い。単純にじっくり水族館を歩くのが久しぶりだったので楽しかったのもありますが,普段自分が見慣れない風貌の水族を見るのはなんともいえないものがあります。人によっては「グロテスク」の一言で片付くのかもしれませんが。
水族館と言うからにはおそらく学芸員のような方がいて,いろいろな解説文を書かれたりするのではないかと思うんですが,気になったのがイシダイ。「幼魚には『しま』がありますが,成長するにつれ不明瞭になります。歯が強く芸達者な魚です。美味で刺身が好まれます。」とあります。さらにその横のくらかけとらぎす。「おもに練製品として利用されていますが,塩焼きなどにしてもおいしい魚です。」とだけ説明されています。
……イシダイはまあ幼魚と成魚の違いなどかろうじて魚の説明があります。それにしても「芸達者」とは,一体どういう目線で魚を見ているのか,その一周回って変な方向を向いた学芸員の方のイシダイに対する愛情が垣間見られます。多分研究室で色々な芸をさせて楽しんでいるのだと思います。NPはイシダイマニアではないので分かりませんが,マニア的に非常に楽しいのは想像つきます。まあ,鯛の刺身がおいしいのは実際その通りですし。研究室で芸をさせて楽しんだ後は刺身にしてるんでしょうか。
そして,くらかけとらぎす。魚については疎いNPは,そもそもこの魚の名前自体が初見です。キス(鱚)の一種なのかどうかが気になります。が,そんな一般人の気持ちなど完全に置き去りにして,練製品として利用されているという完全な生活目線。愛情が3周くらい回っていってる感じです。塩焼きなどにしてもおいしい魚なのはいいのですが,この魚には食用以外に存在価値はないのでしょうか……。
水族館全体がこのノリだったらそれはそれで「アリ」だと思うんですが(むしろ積極的に行ってみたい),ほかの説明はいたって普通なのです。なぜイシダイとくらかけとらぎすだけこうなってしまったのか,NPにはさっぱり分かりません。
それと,人気者ぽかったのが「コブ平」くん。コブダイです。一見シーマンっぽいリアルな顔立ち。じっくり見てるとだんだん愛嬌のあるかわいらしい顔に見えてくるから不思議です。でもやっぱり「かわいい」という形容詞とは一線を画すお姿なのであります。あと,NPメモによるとタコクラゲがきれいだったようです。自分で書いたメモを伝聞系にしないといけないくらい記憶にございません。
なぎさ水族館 | 自販機 | じゃこ天!! |
このあといったん森の中の飛行機も再度見にいって,バスまで時間があるので陸奥記念館の中で馬券購入。罰当たりなことをしてますね。
で,バス停の場所を確認して,飲み物を仕入れようと再度水族館前に帰ってくると,じゃこ天売りの方がおられました。こちとら何も食べてないので,1個購入。宇和島当たりのじゃこ天よりもアブラギッシュな感じでありましたが,おいしくいただきました。
バス停。バスはバス停のない側で待つ |
そんなこんなでバス。周防大島をゆらりゆらりと進み,大島大橋を渡って大畠駅。鹿島の岩政はこの大畠の出身らしいです。
で,当初の予定ではここで昼ご飯を食べるはずだったのですが,お店が閉まっていたので断念。こんなことになるならもっとじゃこ天買えばよかった。