すきよ清須

 そんなわけで,一宮に泊まったので,名古屋に向けて南下します。
 この日の名古屋は名古屋競輪場で記念競輪,中京競馬場で高松宮記念が開催されるという名古屋市にとって1年に1回のお祭りの日でありました。どっちに行こうか迷いはしましたが,未だに名古屋競輪場に立ち入ったことがないということで,名古屋競輪へ。

平和神社 本殿

 その前に,ホテル近くの平和神社。
 平和神社とはこれまた勇猛果敢な名前をつけるなあ,と思ってたのですが,どうもこの近くには「平和」という町名もある様子。もしかしたら語源は地名の方かもしれません。でも地名の語源はPeaceの平和かもしれんな。

 それとは別に,一般論として「平和」の語源が気になりますね。ピンフは平たい和了が語源ってのはどこかで見ましたが。まさかこのへんで神様が麻雀してたから「平和神社」だなんてことはあるまいな。まあそんな理由だったら適宜麻雀牌が奉納されてるだろうから違うんでしょう。


 まあ,くだらないことを考えていても仕方がないので,JRに乗り込みます。目指すは清須。

 ところで,清洲城は信長の野望をやって織田家を選べば嫌でも出てくるお城であり,名古屋城よりもむしろ清洲城の方に愛着を感じてしまうものであります。
 で,次に気付くのは,「きよす」は「清須」なのか「清洲」なのか,ということ。まあ昔は河川を使った交通がメインだったから清洲で今は洲がない内陸地になったから清須なんだろう,というのはなんとなくイメージつきますが,それ以上のことはよく分かりません。というか,関東人的には清須と名古屋の位置関係もよく分かってないのでありますが。

きよす
駅名は「清洲」
駅。最近改築されたっぽい 案内図 矢印

 清洲駅からは清洲城に向けて矢印が出ていて,迷わないようになっておりますが(清須市的には清洲城が最大にしてほぼ唯一の観光資源なんだろうと推察。違ってたらごめんなさい),ここであえて反対側の総見院を目指します。
 事前収集した情報によると,総見院は織田信長の菩提寺であるとのこと。おお,そんな簡単に信長ゆかりのお寺に出会えるとは,さすが清須,いや清洲。
 ここには信長の供養塔があり,ほかに焼兜もあるとのこと。常時拝観は行ってないので焼兜(←食べ物だったらおいしそうな名前)はあきらめて,お寺の中を散策させていただきました。

お寺外観 お地蔵様 本堂
本堂右手の花
この花に近づくと犬がワンワン吠えてきました。よって,花はあまり撮れず
信長の供養塔
左は徳川義直のお墓らしい

 さて,犬に追い立てられるように総見院を出て,いざ清洲城を目指します。元来た道を戻るのはやや悲しい。とはいえ,ここで冒険するのもね…。
 駅に戻り,矢印に沿って清洲城を目指します。歩くこと10分〜15分程度,清洲城跡地に到着。

 そこは,単なる公園で,簡単な丘のてっぺんに祠があり,その横に石碑。歴史の表舞台に立ってきた清洲城とは思えないたたずまいでありました。
 この丘が一体何なのか,一応天守台らしいんですが,ほんまかいな。ネット上には本丸土塁跡っていう表記も見られますが。まあちょっとよく分かりませんということで,清洲越し万歳。

解説 右大臣織田信長公古城跡 井戸?

 そこからしばらく進むと,見えてきました再建清洲城。清洲の経済レベルから見て,この模擬天守を建てるか建てないかで相当揉めたんだろうなあ,と,戦国期よりも現代の戦いの方が気になってしまいます。
 まあ,そういう下世話な話を忘れてお城方向を眺めます。新しく出来たであろう赤い欄干の橋と,奥にそびえる清洲城のコントラストが綺麗です。
 そこはまさに観光地。顔出しパネルもあります。そして,地味にたたずむ石垣の解説。台風やらなんやらで壊れないのが不安になる展示であります。地味ながら,結構わかりやすい解説だと思います。銅板にしたせいで解説が読みづらいのが玉に瑕ですが。
 ふるさとの館の前にはパン屋さん(パンドクエットというお店)が出店を開いていたので,朝食代わりに買ってみました。

付近案内図 赤い橋とお城 アップで 顔を出しつつお城 角度を変えて橋と城
石垣の案内板
なぜ銅板にしたのかさっぱり分かりませんが,
何者か(風の可能性もあるな)によってぼこぼこにされております。
石垣
こういうふうに積むんですよ,の図
去年金沢城で勉強したな
こんなに手の込んだ積み方してるんだなあ

 そして,電車のガードをくぐって,清洲公園の信長像を見に行きます。う〜ん,なんで1カ所にまとめてくれないのか……。もしかしたらもともと1つの公園だったのを電車が貫通して2つになったのかな。だとしたら川の反対側にある天主はなぜあっち側に。

 まず,椅子に座って買ったばかりのパンを食べます。う〜ん,なんか普通に旅してますな。
 で,梅はたぶん1週間見ごろを外した感じ。ちょっと悔しい。

 その奥にあるのが信長像。真っ正面を向くのではなく,横を向いた像です。なんか未来を見据える姿みたいで,カッコイイですな。少なくとも岐阜駅前の金ぴかおじさんよりはこっちの方が味があって好きです。

川には鯉のぼり
3月末なんだけどね
パン 公園の概要 梅林植樹
信長像
岐阜駅のものよりこっちの方が格好いいと思う
戦争記念碑。西南戦争〜第2次大戦までの戦没者の慰霊碑ですね。 使われてない橋脚 ここを抜けていく

 そんなわけで,清洲城に入っていきます。

橋を進む

 この清洲城,まあ見るからに模擬天守なのですが,どうも名古屋城清洲櫓が清洲越しの際に清洲城の材木等を再利用したらしいんですね。まあここまでは事前情報としてもっていたわけなのでありますが,お馬鹿NPはてっきり名古屋城清洲櫓は清洲城天守をそのまま移築したものだとばっかり思っておりまして,「清洲櫓をベースに模擬天守を作ればよかったのに」などと思いながらこれを見ていたのでありました。
 日本庭園は,あまり期待してなかったので,綺麗でびっくり。これでこのあと時間的余裕があって,かつ,雨も降ってなかったらここでボケ〜っとしたんでしょうが,時間的にも天候的にも,そそくさと進みます。

清洲城と歴代城主 個人的には,日本庭園でなくても
ジャリ石は投げてほしくないなあ
信長塀 Hey!
正面から 枯山水
イマイチどういう角度で
写真を撮ったらいいのかが分からないなぁ
池と木々 吊されていた,よく分からないもの
とりあえず触れてません

 そして,いざ天守閣,いや,天主閣。
 清洲城では,信長公記に「天主閣」とあったことから,表記としては天主閣を採用しているようです。こんなところで厳密さを追い求めるなら,天主閣本体の建築についても厳密さを追い求めればよかったのに……などと思ってしまいますね。まあこれは部外者の戯れ言。
 また,入場券裏側にはこのほかにも清洲と清須についても書かれております。

 お城の入場口はまさかの自動ドア。エレベーターを搭載した名古屋城もびっくりであります。まあいいんだけどね。
 城内の展示は基本的に撮影禁止なので場面は最上階。「戦国新聞」(←名前忘れた)みたいな,学校の授業書かされるような展示物なんかがありました。その他,特段特徴的な展示はなし。まあ新しい建造物なので,展示するべき1次資料がないんでしょうね。このへんは致し方なし。坂の上の雲ミュージアムも似たようなもんでした。ただ,もうちょっと清洲城らしさを求めてもいいんじゃないかなあ,という感じも。

 「清須越し」って言葉はこのとき初めて知ったのですが,結構大々的に,というか思いっきり全面的に名古屋への移動作業をしたんですね。いやはや,凄い凄い。

 そして,最上階。模擬天守ですから,当然最上階は外に出られる展望台であります。しかし,雨が降ってきていて,なんかもうぐだぐだでありました。

入場券の裏側 名古屋城方向を眺めるも…… 庭を見下ろす なにか凄いシステムなのか,と思いきや,
単に透明の清洲城がパタンと出てくるだけでした

 そんなわけでお城を出ました。
 雨が降っていて,雨がやむのを待てるような時間的余裕もなかったので,雨を気にせず,次の目的地へ。

発掘調査中 見上げる 工事現場越し

浜名湖競艇清須2

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