水都にすいすいその2

 とりあえず,水の都らしい場所ということで,南方向に水路を目指します。

市役所
岐阜国体に向け盛り上がっているようです
自転車競技は大垣なのか岐阜なのかそれ以外か
俵町薬木広場

 続いて,秋葉神社。まあ,よくある地元で愛されている小さな神社さんであります。

鳥居 秋葉神社 拝殿 後ろから本殿拝殿 これも犬ごと禁止なのか
フンが禁止なのかはっきりせず
境内だから犬そのもの禁止でもよい気が

 この秋葉神社の脇を歩いて奥に抜けると……きれいな船溜まりのような場所に出ました。おお,これはきれい。
 どうも,ここは四季の広場と呼ぶようです。解説を読んでもイマイチどのあたりが四季なのかちょっとはっきりしないところもありますが,そんなこと考えるくらいなら,ここでのんびりと過ごした方が有意義ですね。

四季の広場 案内図 広域図 これも犬がダメなのか
フンがダメなのかよく分からない絵
まだ8時30分にもなってない
虹の橋と船がいい感じ 橋を渡って逆側から
眼鏡橋の前に船を置いたらメガネは成立し得ないような

 この綺麗な雰囲気を維持するのは大変なんではないでしょうか……と思って,歩き出します。

 続いて,愛の泉。願いを込めて……いるのはいいのですが,枯れております。愛が枯れたのか,金が枯れたのか……。まあ,この手の施設にありがちなことなのでこれはやむなし(注:再訪してるのでこのページだけ見て文句言わないように)
 あわせて,句碑や船町道標等も。

愛の泉 願いを込めて 枯れてます さびしさや すまに勝ちたる 浜の秋
岐阜県の補助で建てられた句碑のようです
敦賀は,芭蕉が大垣の前に訪れた地みたいですね
船町道標 左 江戸道
右 京みち
散策マップ

 まあ,道標は道標で,携帯・スマホから地図を見られる現代人としてはそれ以上でもそれ以下でもないわけでありますが……。それでも旅行をしてて一里塚とかを見ると「歩いた!」っていう実感が出ていいですよね。

 そんなわけで,川から離れて全昌寺。戸田氏鉄の奥方様であらせられる,大誓院が建立されたとのことであります。
 ここにまつられているみたらし地蔵,大垣市の興文小学校のホームページを見るに,弟子の多いお寺で弟子は食事が少なく辛かった→禅栄という弟子が,歯痛に苦しんだ末「私の墓のかわりにお地蔵様をお祭り下さい」という書き残しとともに亡くなった→そこに毎日みたらしが供えられ,弟子はこれを食べて飢えをしのいだ→歯痛が治る,という,分かったような分からないような流れで崇拝されているようです。とりあえず,みたらしを供えたのが誰なのか,なにゆえ歯痛で亡くなった方のためにみたらしを供えたのかが気になりますね。きっとお寺の外の人なんだと思いますが(そうじゃないと食べ物の量が増えないもんね)。その方も合わせてお祭りしたいと思う部外者NPでした。

鐘楼門 お墓の案内 石仏 みたらし地蔵
本堂 内側から鐘楼門 横の空き地が凄いことになっておりました
無縁墓なのかな?

 そして,水神神社に向かう途中の大泉寺と,稲荷神社。

大泉寺 本堂 稲荷神社 鳥居 拝殿

 さらに,極楽院空也堂大垣別院という建物も。GoogleMapで名前を見てちょっと興味を持ったのですが,なんか想像してたのとは違ったので門だけ。
 よく分かってないのですが,空也って天台宗系の方ですよね?確か松山の浄土寺に空海上人像があるって話だったし。ここは単立の宗教法人なんでしょうか。ちょっとイマイチ空也さんとの関係がよく分からないのでありました。

山門

 で,目的の水神神社であります。
 まあ,名前が特徴的なだけで,よくある地域の神社なのですが……。せめて由緒書があると嬉しかったなあ。

水神神社 鳥居
手前の鉄門はお祭り用?

平成13年のものですが,内容的に
昔からのものを引き継いでるんだと思われます
境内
水神!! 拝殿 本殿

 そして,道を渡りつつ元来た場所に帰ります。
 馬賞・木因遺跡と愛宕神社。

解説1 石碑 解説2 幽齋先生之墓 お地蔵様とまわりの石仏 芭蕉翁と句碑
愛宕神社 境内 拝殿 上にあります

 さらに進むと,毘沙門天をがんがんアピールしてくる常楽寺。面白そうなので境内に入ってみましたが,毘沙門天様は障子の向こう。
 鐘楼門は表通りではなく脇道側にあったので,裏門から入って正門から出たっぽいです。でも,沿革は表通り側にあるんだよな。

沿革 お地蔵様 入っていきます 本堂 百萬霊塔 鐘楼門 常楽寺
開運厄除毘沙門天王霊場

 さらに進むと,面白そうな建造物(鐘楼門)を発見。
 日蓮宗常隆寺という案内は立っておりますが,見るからに力尽きかかっております。
 とりあえず,検索してみたところ,高崎泰策さんという囲碁棋士がどうもここに本因坊秀和・村瀬彌吉らを招いて披露会をおこなったようです。はい,出てくる個人名がまーーーったく分からないので,コメントのしようがありません。なんか本因坊○○とかいうと凄い人っぽく聞こえてしまうのは囲碁のことが全く分かってないからなんでしょうか,どうなんでしょうか。
 詳しい門の名前についてよく知りませんが,どうもこの手の門は竜宮門と呼ぶらしいです。この手の門の呼び方を馬鹿なNPにも分かるように解説してるサイトはどこかにないもんだろうか。よく分かってないから(繰返し使ってる「鐘楼門」という呼び方も正しいのか分からずびくびく)知りたいんだよなあ。中学や高校の日本史って伽藍配置とかは頑張って教えるけど,正直これって京都の寺院以外の寺院を見に行っても特に応用がきかないんだよなあ。これ,しっかり勉強したら中学・高校の教科書レベルから応用してこういう地方寺院でも楽しめるようになるんでしょうか。

おおっ 日蓮宗 常隆寺 手前側の瓦に「常」の文字がありますね 境内? キツネはいますが,お稲荷さんは…? ちょっと引いてみた
壁に限界 上も限界 たぶん本堂
小さいですが,「お願い」には,
お墓のことが書かれております
檀家寺としては機能してるんでしょうか
門から奥を見る 引いて境内

 とりあえず,この建物が崩壊しないことを願ってやみません。
 というわけで,続く。

大垣1大垣3

旅行記