平成の江田島倉橋島

 以前ちらっと書きましたが,NPの田舎は広島県です。当時あった音戸ロッジも今はなく,他方で第2音戸大橋の架橋で盛り上がり(クレーンで橋を架ける現場には見に行きたかった……),さらには平清盛が切り開いた音戸の瀬戸近くに観光施設を作って頑張っている呉市音戸町。島谷ひとみは最近元気なんでしょうか。

 そんなわけで,久々に広島里帰り。久々,といってもまあ2年ぶりくらいですが。

 寝坊という想定外のイベントによってまさかの飛行機利用になったのはご愛敬。なんとか呉に到達。呉からはフェリーで江田島を目指します。

広島空港には787がいました 小用行きのフェリー
呉からは松山行きの船にばかり乗ってたので,江田島行きの船に乗るのは新鮮
ちなみに,江田島行きの船に乗るのは初めて,江田島からの船に乗るのも20年以上ぶりかも
親と一緒だったので船内写真無し

 さて,まず目指すは江田島海上自衛隊第1術科学校であります。場所が場所だけに,「行こう!」と思わないとなかなか行けない場所,特に関東人にとっては呉に行くだけでも大変なのに,そこからさらに船に乗らないといけないので大変であります。まあ,宮島も似たようなもんだけど。

 行ったのは土曜の昼でありました。繰り返しますが,場所が場所だけに人は少ないと思っておりました。なにせ呉には大和ミュージアムなど見所たくさん。ここに寄ろうと思ったら半日は確実につぶれますから,呉に2日キープする人以外は来るとは思えず,じゃあ広島に行くのに呉に2日キープするかというと,3連休ならともかく普通の週末でそんなことは……。
 と思ったら,想像以上に見学者がおりました。たぶん30〜40人。正直,びっくりです。

 さて。フェリーやバスは見学時間とうまく接続しております。このへんはやっぱり江田島のメイン観光資源なだけにしっかりしてます。
 そして,名前を書いて中に入ります。グループの場合は代表者1人の名前でOKのようです。セキュリティ的にこれでいいのかな。市ヶ谷はもうちょっと厳重だった記憶が。佐世保はどうだったけか。

 そんなわけで,一行は解説のおじさん(当然海自OB)に率いられて,まずは講堂。
 いやですね,NPはこんな場所に行ってるのに特に歴史を知らない人間でありまして,てっきり戦争でここも爆撃されてたと思ってたのです。なので,まさかこんな綺麗な建物が大正のものだなんて思いもしないのでありました。いやはや。なんというか,海軍に力を注ぐ旧日本軍の意気込みが伝わってくるような立派な建物であります。まあ,平成10年に大改築を行い(←無断リンク),花崗岩の外壁もいじったらしいですが。それでも凄い。
 中に入ると,これまたなんともいえない雰囲気。市ヶ谷はどうだったかな,と思い出そうとして思い出せないダメ人間なのですが……。これこそまだ10年たってないのに。
 それにしても,綺麗な天井,綺麗な講堂。高さ15メートルらしいです。いやはや,凄いですね。
 音響効果ばっちりで,マイク設備がないらしいです。きっとくしゃみとかすると果てしなく響き渡るんではないかと思います。こういう場所だけに前で人が話しているときにひそひそ話をする人はいないかと思いますが,もしそんな不届きなことをしようものなら一瞬でばれるでしょうな。
 それにしても,戦後唯一来賓席に座った議員が小沢一郎氏ってのも凄い話だな。ほかに議員のご子息でここに入った人はいないのだろうか。

講堂へ
こっちの入口は偉い人が使う…はず
全くもって見えないですが,
こっちの方向に古鷹山があるはず
講堂に入る 天井
錨をかたどった照明が綺麗です
正面 出口 広い! 再度講堂を

 続いて,明治建築の赤煉瓦,幹部候補生学校であります。
 いやはや,とんでもなくきれいな煉瓦であります。解説によると,1個2万円はする高価な煉瓦を使っており,一度も磨いたことがないのにこの美しさだとか。なんというか,国の威信を懸けて,国のために軍隊を育てたんだろうな,という明治の日本の意気込みを感じる平和ボケ日本人なのであります。
 そして,あえて電線を地下に埋めたというのも凄い話です。もしかしたら部外者に切断されるのを恐れたのかもしれませんが。

とにかく威風堂々としていて,美しい 戦前はやはり菊の御紋だったらしいです
現在は桜に錨の海自マーク
きれい! 144mらしい

 最後に昭和建築の教育参考館。
 ここはじっくりと見学。親と2人でじっくり見過ぎて最後はかなりの駆け足になりましたが……。どうも親と話しながら見ると頭でっかちな見学になるんだよな。大和ミュージアムのときもそうだった。
 解説者の方は横山大観の絵を猛プッシュされておりました。まあ確かに値段をつけたらとんでもないことになりそうだな……。

これまた綺麗な建築 特殊潜航艇

 そんなわけで,拝観終了。
 平和ボケ日本に住む人間でありますが,ここで育って日本のために戦った方々,今もなお戦っておられる方々には心底頭が下がります。

赤レンガと講堂 講堂 赤レンガ カレー 構内案内図 入口

 ここの売店は佐世保より広かったです。佐世保の時も思ったのですが,店が複数入っているのはなんでなんでしょう?
 最後にせっかくなのでカレーを食べておしまい。

 バスで港に出て,再度フェリーで呉に戻ります。
 松山から東京に戻り,なかなかフェリーに乗る機会も少なくなったので,船旅は新鮮で気持ちよく思えます。いやはや,船はよいねえ。

フェリーに乗ります

 さて,呉の宿に戻り,親とは別の部屋。単独行動を開始します。

 まずはボートピアで散財。いやもちろん散財したくてしてるわけではないのだけれど。
 このボートピア,呉駅(あるいは呉港)から歩道橋を歩いていって,なんで一度下に降りなきゃいけないような構造になってるんですかね。直接中に入れるようにはできなかったんでしょうか。まあ,そんな構造にしたら歩道橋にむさいおっさんが集結してたばこふかせることになった可能性は大ですが。
 あと,意識しないとこれの存在すら気付かないと思うんで,もうちょっと存在をアピールしてもいいんではなかろうか。

 で,その後は銭湯へ。呉の駅前にスーパー銭湯があるという情報は入手していたのですが,4桁も払っていられないので呉駅から最も近い赤ビル温泉へ。実はこの近くの病院にNPの亡祖母が入院してたことがあったんだよな。その意味でもこのあたりを歩いてみたかったのです。
 夜なので赤ビルなのかどうかはよく分からず。とりあえず外観的には,銭湯は漫画喫茶のおまけのようなたたずまいであります。
 エレベーターにのって3階へあがると,なんともいえない異空間。こりゃあおしゃれなヤングは怖くて近寄れないだろうな。まったくおしゃれではないNPはこういう雰囲気大好きなんですがね。

ボートピア呉 赤ビル 入口。牛乳石けん。 おそらく薬用風呂は1日おきに変わると思われます。
入口 窓にも暖簾が 内部
トイレが中央部にあるのが特徴
あと,番号をデデン!とアピールする
ロッカーのお風呂は初めて
消防法は大丈夫なんでしょうか

 さて。翌日は倉橋島。
 あまりかくとプライバシーがだだ漏れになるので,八幡山神社だけを。
 この八幡山神社の階段脇に特殊潜行艇の碑があります。歴史を知らなかったNPはこれを戦艦大和に乗っておられた方々の忠魂碑だと長らく思い込んでおりました。単に親族に大和に乗ってた人がいるっていうだけの情報による,倉橋島と大和を強引に結びつけた思い込みなんですが。やっぱり歴史はしっかり勉強しないといけないな。
 いずれにせよ,日本のために戦われた皆様には,平和ボケ日本人として頭が下がる思いであります。

ご由緒 拝殿 神社から瀬戸内海を見る 由緒
鳥居は芸予地震後に修復したらしいです 鳥居 もうちょっと引いてみる 由緒 瀬戸内海


旅行記TOP