桑名の諸々その1

 ここ最近,妙に桑名に縁があります。長島城,多度,いなべと,このあたりに見たいスポットが多いからです。そして,難度も桑名を訪れているということは,それだけ桑名が交通の要衝であり,重要な場所であるということを意味するのです。東京にいると,桑名=はまぐり,としか認識されてないから困ります。いや,勝手に自分の印象を東京全体に広げていいのか分かりませんけれど。このあたりの感覚は東京にいると全く分からず(というか,長島願証寺がこのあたりにあるってのも正直よく分かってなかった),旅行してみて初めて分かります。もちろん,このあたりに生活している方々にとってはまた違った考えがあるのかもしれないですが……。

 そんなわけで,夜行バスで名古屋に入り,そこから桑名。多度に向かう前に,まずは前回見られなかった桑名市内の名所を巡ることにします。
 なお,ここを訪問したのは2012年の春。これを書いているのは2014年の秋。もはや記憶は遠くなりにけり。さらに長島に行った際(というか四日市競輪場に行った際)の旅行記となるともはやなにがなんだか……。

海蔵寺

 まずは海蔵寺。薩摩義士のお墓があります。薩摩義士のお墓,というのだから,戊辰戦争か西南戦争がらみかなと勝手に予想してしまうのですが,どっちもハズレ。治水工事の際に様々なトラブルによる工事費の増大があり,その責めを負って殉難した方々のお墓ということです。工事中に被災した,というのならまだしも,責任を負っての殉難とは……。時代的な背景や,その他いろいろな背景があるんだろうと予想しますが,ちょっと現代人的にはよく分からない結末だな。しかも24人って,一体どういうこった。

タケル遊歩道ってのがあるらしい 海蔵寺 本堂 薩摩義士の解説
解説によって微妙に内容が異なるのが気になる
本堂 お参りの順番 賽銭箱にぺたぺたと 千本松原の松の木 六地蔵
治水観音 義士のお墓 鳥居が見えた

仏乗寺&本統寺&西福寺&常信寺&香林寺

 さて,仏乗寺は檀家寺っぽかったので外観だけでスルーして,本統寺。広々とした境内で,いかにも真宗っぽい雰囲気です。芭蕉の句碑があるようですが,なぜか発見できず,代わりに「毫」の字だけくっきりと残る解説板を発見。平成8年に作った解説板が,10年ちょっと経って完全に日焼けして読めなくなっております。「冬牡丹 千鳥よ雪の ほとどぎす」 うむ,自分には善し悪しを語る能力がないことが改めて認識できました。
 続く西福寺も檀家寺なので外観だけでスルー。常信寺は,参道の壁面が面白い。こういうのは初めて見ました。触りませんでしたが,どういう材料で作ったのかな。そして,最後の香林寺も檀家寺っぽかったので,外観だけ。
 このあたり,お寺が数多くありました。さすがは城下町,といったところでしょうか。常信寺(「じょうしんじ」ってサッカー選手みたいな響きですね)の壁面を見られたのでよかったよかった。こういう予想外のものに出会えるから宗教施設は嫌いじゃない。

仏乗寺 本統寺山門 解説 本堂 境内

毫だけ新しい

西福寺

香林寺

左端にある仏さんの顔が
なんか面白い

歴史を語る公園

 しばらく歩くと,川沿いになんか開けた場所が登場。明らかに意図的に整備されています。よく見ると,「京橋」とか書いてあります。京橋,というと東京と大阪にある京橋が思い浮かびますが,ここにも京橋という場所(橋)があるのか……とか思ってなお散策を続けました。すると,「歴史を語る公園」という案内板登場。どうも,ここに東海道五十三次を再現したようです。なるほど。で,あちこちに東海道の宿場町のような場所がありました。まあ,面白い試みではあると思います。
 また,なんか面白そうな意匠の建物があり,「石取会館」とありました。これも全然知らなかったのですが,ここには日本一やかましい祭りとの呼び声もある石取祭というお祭りがあるようで,現在は中でその祭車の展示をしているようであります。で,この手の石造りの建物にありがちに,かつては銀行(四日市銀行桑名支店)として使われていたとのことであります。なるほどねー。まあ,今回はスルーしました。


意味ありげに広くきれいな道 きょうばし 現代から未来へタイムカプセル 市制施行時の市役所跡地 桑名市博物館
コンドル展には若干惹かれる
石取会館
川べりの遊歩道 アブナイ! 三条大橋 桑名宿の解説
歴史を語る公園 東海道五十三次
旅籠120軒は,熱田に次いで
東海道第2位の宿数とのこと
この点からも高越の要衝っぷりが
よく分かります
東海道 富士山 日本橋 しつこいくらに
とびだすなアピール

桑名城城壁

 この川沿いの遊歩道を歩いていると,「桑名城城壁」の案内が登場しました。対岸なので刻印のある石垣がどれかはよく分からないところですが,とりあえずこの石垣は桑名城の現存遺構ってことのようです(但し,川に降りる道は明治期以降のものとのこと)。昔の石垣の上に家を建てるってのはなかなか怖いですね。まあ,今まで残っていることからして頑丈なんだろうけれど。




奥にも解説板

さて,さらに桑名城に向けて歩いて行くと,よく分からないスペースがありました。なんだこれ。

石仏 奥には石が山積み

二の丸堀

 そんなこんなで,盛大に整地されて,当時の桑名城の堀の原形をどこまで留めているのか分からない,水堀に到着です。「二の丸堀」という名称はついておりますが,「当時から二の丸を囲うようにできていた堀」なのか「二の丸を潰して作った堀」なのか,ちょっとよく分からん。
 桑名城は現地解説板としては,昔の絵図をちょこっと引用して櫓の説明をしているくらいで,それ以上の昔の縄張りの説明を発見できず。今ネットを見てると,こことかにはちゃんと載ってて比較されているので,単に自分の見落としだな。
 で,上記サイトを見てると,二の丸堀の一部は昔からある堀ではあるけれど,やはり堀は拡張されてるな。あと,当時から「二の丸堀」という名称だったかは不明ですね。

 まあ,いずれにしても,美しい水堀だなあ,くらいに平和的に眺めておくのが無難かという結論に達しました。

二の丸堀 おそらく菖蒲が咲くと思われます


鎮国稲荷神社

 というわけで,本丸跡にいくつかある神社を攻略していきます。ひたすら国を鎮めていくことになります。まずはお稲荷さん。解説板が消えかかってます。これは神社側の管轄なのか,教育委員会とかの管轄なのか。


高麗神社

 てっきり高麗神社かと思ったら,「麗」の字がよく分からない字でした。せっかく買った新明解を使ういい機会なんですが,残念ながらこれを書いているのは外出先なので手許に新明解がありません。そして,家に帰ったらこんな記事のために新明解を見ることなどするはずもなく。


九華招魂社

 ここは護国神社でなく招魂社という名前です。名付けの基準ってどうなってるんでしょうか。


これは盗難防止というより
糞害ぼうしなのかな

鎮国守国神社

 で,一応これがメイン。鎮国守国神社。

印象的な灯籠 鳥居 首回りの皮の襞が凄い 拝殿

神戸櫓&辰巳櫓跡

 小高い櫓台があります。これはおそらく往時のまま。
 1つは神戸櫓跡とのこと。まあ,特にそれ以上でもそれ以下でもなく。伊勢神戸城の天守を移したとのことですが,それにしては櫓台が小さすぎる気もします。まあ,そこまで大きな天守じゃなかったのかもしれないな。
 もう1つは辰巳櫓。その名の通り本丸の辰巳方向にある櫓でありますな。辰巳櫓の先(東)は往時は水堀だったようですが,この水堀は埋められております。


九華公園その他もろもろ

 てことで,現存する遺構でわかりやすいのは2つの櫓台。あと,石垣が部分的に残っている様子。
 もうちょっと観光客に優しく,どこに何があるのか見やすくしてもらえると助かるんだけどなー。

現在の公園 本多忠勝 下半分が隠れていて
しかも日焼けのために
二重の意味で解説が見えない

水門&蟠龍櫓

 で,このあたりは伊勢湾台風のみならず,これまでに洪水で大きな水害を繰返し出している地域のようで,水害対策・治水にはとても気を遣っている様子。
 というわけで,先ほどの三の丸の解説とはうって変わって,綺麗な治水についての解説が掲げられておりました。小学校の頃に習った輪中とかはこのあたり(正確には長島のあたり)のことなんだな……。これだけ水害を出しながらもここに人が住むってことは,やはり交通面でここに住む意味が大きいんだろうと推察。
 なお,蟠龍櫓はまだ入れる時間ではありませんでした。ちなみに,この蟠龍櫓,てっきりやる気のない管理棟かと思ってたら,きちんと外観復元しているようでした。最近の建築は文科省がうるさいんだろうな。




七里の渡跡

 続いて,七里の渡跡地。熱田からここまで,船で渡ってこれたようです。桑名市の解説はしっかりしてていいですね。
 ここの鳥居は,住吉神社関係かと思ったら,伊勢神宮の一の鳥居とのこと。てことは,ここから内部は神域ってことになりますな。


住吉神社

 そして,本陣跡などの脇を通りつつ,住吉神社。海の守り神でありますな。このあたりは前回も見ているので,軽く流します。雲行きが怪しいので早歩き。


 てことで,桑名めぐり後半へ。前半は急造お城マニア(=にわか)っぷりを発揮したので,後半は急造庭園マニア(=にわか)っぷりを発揮することにします。

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