後閑AS制覇記念上州城めぐりその5
川原湯温泉

 さて,基本的に旅行日程は直前に考えることにしています。ことにしている,というと偉そうですが,単に仕事と休みのメリハリの付け方が下手くそなだけです。
 で。真田がらみの城を攻めるとして,どこに泊まるのが正解か,という問題です。いろいろ思案した結果,沼田駅回りではなく,川原湯温泉に泊まることにしました。もちろん,「川原湯温泉に泊まることにした」時点では「川原湯温泉」を「かわはらゆ」と読んでました。いったいどの時点でこれが「かわらゆ」だと気付いたのか,ちょっと今思い返してみたところ,とりあえず現地に着く前に気付いていたんではないかと考える次第です。

 この川原湯温泉は,草津温泉のネームバリューに隠れつつもファンの多い温泉のようです。そして,この川原湯温泉,数年前に思わぬことから話題になりました。そう,民主党八ッ場ダム問題です。ちなみに,八ッ場ダムを「やんばだむ」と読めるようになったのは民主党のおかげです。この地域にお住まいの方からしたら東京もんに読んでもらうよりもしっかりとした政治運営してもらう方が圧倒的に大事でしょうが。
 で。川原湯温泉は,「ダムで沈む温泉街」です。NP的には,「八ッ場ダムで沈む集落があるとは聞いていたが,これが川原湯温泉だというのは今回の旅行で初めて知った」ということになります。
 まあ,このあたりにある温泉街の中でもあえて川原湯温泉にしたことには特に理由はなく,今回泊まった丸木屋旅館さんが一人者に優しい旅館っぽかったから,というのが理由になります。失礼な話ですが,川原湯温泉に特別なこだわりがあったわけではないです。このあたりは一軒宿の温泉があったりもするようで,温泉マニアの方からしたらこのあたりを巡るのは楽しいんだろうな。
 ですが,いざ泊まるとなったらやっぱり興味がわきますので,あらためて八ッ場ダム問題や川原湯温泉と八ッ場ダムのことなんかをWikipediaで見たりしてはみました。東京ものはこのあたりの方々の犠牲のもとにおいしい水を飲んでるわけで,頭が下がる思いです。とりあえず,ある程度はこのあたりにお金を落としたいな,と思いながらの旅行であります。

 前置きが長くなりましたが,とりあえず川原湯温泉に到着。予定より遅くなりました。
 この丸木屋旅館には駐車場がなく,とりあえず王湯前の駐車場にとめました。どうも,旅館前の道に路駐してもよかったらしい…。

 んで。まずはお食事。お一人様にも対応していただける食事内容でありました。この年は夏の積翠寺温泉に続き,昔ながらの旅館泊は2回目だな。普段はビジネスホテルでちまちまやってるので,こういうところに泊まると身が引き締まります。
 ちなみに,お風呂は源泉掛け流しのためとても熱く,江戸っ子が銭湯に入ってるだけならそれでもいいんでしょうが,温泉でこれはきつい。で,実は浴室にホースがあり,「これはなんだろう」とちょっと考え,文系なりに,「中のお湯を循環させるためにホースの片側を浴槽に入れてもう片方を外に出すことで,底の方のお湯だけを外に出すことができる仕組み」というよく分からない結論づけをしました。が。改めて考えてみると,単に蛇口から水を入れるためのホースだな。これだからたいした知識もないのに余計なことを考えようとする文系はダメなのです。
 それはさておき,1泊2食付なのに,ネット予約だったためにいろいろ値引きされて,かなりお安く(5000円台!)泊まることができました。なんかこんな大変な時期に泊まってるのに申し訳ない気持ちになります。もしかしたら補助金が出まくっててウハウハだったりするのでしょうか……。

夕食 朝食 だるま
さすがに高崎だるまですね
丸木屋旅館外観
この姿を保つのもあと何ヶ月なのでしょうか……

 さて,翌朝。部屋で朝食をとる以上,早起き必須。てことで,早起きしたので気持ちのいい朝の散歩です。

 まずは,既に営業を停止しているという共同浴場,聖天露天風呂。かつては混浴露天風呂だったようです。川原湯温泉は湯温が高いので,露天風呂向きだな。
 無事,温泉跡地に入っていくことができます。これは,温泉跡地を開放しているのではなく,聖天様を解放していて,途中にまだ聖天湯跡が残っているだけってことでしょう。
 聖天湯跡地は,まだまだ露天風呂時代の痕跡を強く残しており,このままここにお湯を注ぎ込んだら露天風呂として十分に機能します。
 自分が入ったことのある混浴露天風呂というと,式根島の露天風呂が思い出されますが,あそこは露天風呂というよりは海水浴のおまけみたいなばしょだったからなあ。ネットを見ているとここに挑戦された女性の方も多数おられるようで,冒険心はすばらしい。それにしても,こういう場所を見るにつけ,男に生まれてよかった,と思うのでした。

露天風呂は閉鎖 道はあいております 清掃時にはお湯が
一杯でないこともあったようです
進む 旧露天風呂に到着! 川原湯音頭
入浴料100円。100円玉を入れると鐘がなったようです。
ところで,1円玉は論外としても(寄付的な感じで入れる人はいそうだが),
50円玉×2枚って人はいてもおかしくないような……
脱衣所
露天風呂なだけに,脱衣所も開放的です
子供育成会の提供で清掃しております
浴槽。今も昔のままですね 眺め自体はまあ仕方ない お願い

 せっかくここまできたので,さらに聖天様まで登っていくことにします。「聖天神社」と書かれた鳥居があります。聖天って神社だっけか。まあいいや。
 露天風呂が閉鎖されてより一層参拝者が減った,という雰囲気の参道ですが……お堂も同様に崩壊寸前状態で,保護のためにトタン屋根が設置されておりました。彦根井伊神社を思い出します。
 おそらくこの聖天様も水没することになるんだろうけれど,やっぱりご本尊だけ遷移して,お堂は放置するのかな?この状態のまま放置してるってのは再建前提なんだろうな……。

 とまあ,真面目な空気で終わってもいいんですが,やはりここに来たからには注目せざるを得ません。これでもかというチ●コ・マ●コの奉納品。こりゃすごい。こんなのがあるとは思ってなかったので,ちょっとびっくりでした。川原湯って安産のための温泉だったりしたのかな?なんか温泉って妊婦さん禁止だったりして,温泉と出産・子孫繁栄の関係ってよくわからんのよね。ああ,でも聖天って子孫繁栄の大根が象徴になってるな。こっちか。なんかこれ以上書くと仏教についての無知をひたすら露呈するだけになりそうなのでこのへんでお開き。
 そして,お堂が壊れかかってるのにチ●コはわりとしっかりしてます。というか,先端が割れてるのは経年的なものなのか,もとからなのかも分からんしな……。これ,どうするんでしょう?あと,新しくできるであろう神社はこの雰囲気を残すのでしょうか。それとも,現代的な綺麗な姿になってしまうのでしょうか。

いざ参拝 鳥居
雪や雨で倒れないのか
心配になるほど
細い鳥居です
到着 壊れかけのお堂
素晴らしい奉納品の数々 不動明王
新しめの案内板付ですが
昔から石彫りのものだけだったのか,
それとも神仏分離期になにかあったのか

 というわけで,なくなりゆく川原湯温泉の早朝散歩。続いては笹湯跡地です。ここはさっき聖天湯まで降りてくる際におおよその場所の目星はつけておりました。どうも既に建物ごと撤去されているようで,「明らかに最近空地化されたと思われる空地」が笹湯跡地なのではないかと考える次第です。もちろん,往時の姿を知りませんので,実際はどの程度の大きさの浴場だったのかは分かりませんが。

 てことで,空地に降りて,「建物跡地」を眺めます。まあ,往時の姿を知らない人間にとって特に感慨がわくはずもなく,適当に「昔はどこが浴槽でどこが脱衣場だったのか」を予想するだけでした。ある意味,お城マニア的な発想で見ていたわけですな。
 繰り返しますが,ここが「笹湯跡地」であることは特に案内があるわけでもなく,完全に地図上多分この辺りだろうと思われること,廃墟化したのが最近だろうと思われることから,勝手にNPが思ってるだけですので,「実は旅館跡地でした。残念!」という可能性もあります。まあ,こういうことを気にしてはいけない。


 てことで,既に廃止された2つの公共浴場跡地を探索し終えたので,あとは旅館を挟んで逆側,川原湯神社を参拝して王湯に入って終わります。
 それにしても,全盛期の温泉街ってどんな雰囲気だったんでしょうね。今となってはここに「過疎地集落」以上の姿を見ることはできず,温泉街ってことも言われないと分からないレベルですが……。

 
窓開けたまま廃業。廃墟となってます
営業時の姿を知ってる方からしたら
なかなか嫌な姿でしょうね…
    

ここは今も営業中
  
ここも何かが取り壊された跡なのでしょうか

 なんというか,「今自分が歩いている場所がもうすぐ水没する」っていう状況ってよく分からないですね。なんとも不思議です。それも,昭和の高度成長期とかではなく,平成の今になってってのがまた。

 で,川原湯神社に向かいます。
 川原湯神社への参道の麓には新源泉があったり足湯があったりします。てことは,ここは水没しないってことか。王湯の場所からここまでって大して標高あがってない気がするんですが,いまいちどこが水没するのかよく分からないな……。

 さて,こちらの川原湯神社は,先ほどの聖天様とは大きく趣を異にしており,至って普通の神社であります。ただ,地味〜にそれっぽいのがあったりしましたし,もちろん道祖神って子孫繁栄的な意味を持ってるんでしょうけれど。
 どうも,旧社殿が平成14年ころに焼失したようで,そのため社殿が新しくなってるんで「至って普通の神社」になってるっぽいな。でも,新社殿も意匠がなかなかしっかりしてて個人的には好きです。

 
参道脇の石仏
   
その他もろもろ
  
庚申塔。塔の下には猿がおります

解説云々よりも
木の形に目が行くのですが…

 さらに奥には薬師堂があるということで,先に進んでいきます。昨日危うく登りそうになった坂を登ります。う〜ん,いったいどこまで水没することになるのか……。
 この薬師堂は,かつては川原湯神社の中に保存されていた薬師像が川原湯神社の火災で焼失したのを機に,ここに新しくお堂が作られた,という経緯のようです。
 土地やお堂の建設費はいったいどこから誰が出したのでしょうか……?

スリップ止めの砂 ここを降りていくと温泉街 いったんとめられた工事は
今は順調なのでしょうか?
新設トンネル

経緯について

 そんなわけで,王湯方向に戻ります。
 足湯には絶えず人がおります。なんだかんだと人気スポットのようです。


 さて,いよいよお待ちかねの王湯です。
 川原湯温泉に最後に残った共同浴場ということになります。入ると,近代的な券売機でチケットを買うことになります。聖天露天風呂のアナログ雰囲気とはかなり趣を異にします。とはいえ,近代的な雰囲気が残るのはそこくらいで,あとは独創的な構造。
 まずは下に降りていくと,内湯になります。そして,この内湯,2段階の脱衣場構造で,さらに下に降りていくと浴槽があります。上にある脱衣場から浴槽を見下ろすという構造は,別府高等温泉を思い出します。

 そして,いったん服を着て,今度ははなれにある露天風呂。おそらくもともとは本館のみで,世間の露天風呂ブームを受けて別館の露天風呂を作ったんじゃないかと推察します。

 川原湯温泉の源泉が熱いのは昨日から重々承知しているところですが,ここは適度に加水されていて,普通に入ることのできる湯温でした。よかったよかった。
 それにしても,湯かけ祭りって源泉のお湯をかけあうんでしょうか。まわりが氷点下レベルの寒さのところに,高温の源泉をかけるってのはかなり凄いことになりそうです。

王湯 奇祭湯かけ祭り ここでやるみたいです この看板の命もあとわずか 成分表。ぶれた。
内湯へ 上の脱衣場 見下ろす 下の脱衣場
はなれへ 露天風呂脱衣場 露天風呂はこんな感じ。きれいです。
ケロリン桶でした 戻る 入口 舞台 崖の上に立っている建物なんですね
下が内湯ですね

 そんなわけで,川原湯温泉をあとにします。
 いやぁ,基本的に一人旅をしているとこういう温泉地にはなかなか入っていかないんですが(友人と旅行するときは当然温泉街によく行くけど,逆に飲んだくれるからあまり散歩しないんだよな),規模的にもいい温泉街でした。新装川原湯温泉にも是非行ってみたいですね。

 以下,吾妻峡を抜けたあとに寄ってみた川原湯温泉駅付近の様子です。この駅も水没することになるんだよな……。


 そんなわけで,続いて道の駅八ッ場に向かいます。


吹割の滝八ッ場ダム

旅行記