四の五の言わずに函館観光その1

 3日目。まずは朝市です。これぞ正しい函館観光。
 函館朝市って,函館の駅からかなり近い場所にあるんですね。一般的に朝市ってもっと漁港漁港した場所にあるもんだと思ってましたが,ここはそうでもないんだな。朝市っていうからにはお店の人が買付けに来たりするんでしょうが,そのわりに駐車場が小さいような気がしました。もしかしたら関係者用の駐車場を見落としてただけかもしれません。

 さて,朝市でやることといったら,とりあえず丼を食べること。とりあえずぐるっと一回りして,適当な店に入って適当に注文。やる気ある人なら事前に店を調査していくんでしょうが,こちとらこのあとのお城めぐりのことで頭がいっぱいなのでした。



 
建物が案外新しくて近代的 Welcome 内部 丼の名称すら忘れた ついでにメロンも イカ釣りは大盛況

 続いて,自転車を借りにホテルネッツ。函館のレンタサイクルは「はこりん」という名称のようです。函館競輪がこれに関与しているかは完全に不明ですが,多分関与してないんだろうな。ここの特徴は,坂の街函館だけあって,電動自転車を借りられること。電動自転車を借りるのは大津以来のような気がします。ちょっと記憶が曖昧。このあと訪れた松阪では電動も借りられたのに見栄張って普通のを借りたんだよな。
 ホテルネッツでは,普通にフロントで貸出手続をとることになります。ホテルだけあって対応が丁寧で恐縮しきりでありました。

今回の自転車
新幹線新函館開業対策推進機構……長い名前だ
開業対策を推進するってのもなんかまどろっこしいし
函館競馬の路面電車

 で,自転車を借りてまずは函館東照宮を目指します。
 東照宮自体にそこまで憧れがあったわけでもないのですが,もともとは権現台場の位置にあったものが北に移転する羽目になったという経緯はなかなかに興味深いもので,行ったらなにか面白いものが転がってるか,あるいは逆になんの趣もない新しい建物が出てくるのか,見てみたかったのであります。(どうも,手水鉢は旧東照宮のものがうつされたようで,銃弾の跡が残ってるようですね)
 そんなわけで,目的地をスマホに入れて移動開始。人生で初めてスマホのGoogleMapのナビ機能を使ってみました。

 ですが,この日の予定(最後に競輪)と体力とを考えると,なかなかきつい状況,どうしようか……と思案しながら自転車をキコキコやっていたところ,四稜郭に着いてしまいました。残り時間と残り体力を考えた結果,東照宮をあきらめて,四稜郭で折り返すことにしました。

 さてこの四稜郭。恥ずかしながら,函館旅行を計画するまで知りませんでした。西洋式城郭というと五稜郭は当然知っております。長野龍岡城の存在は,望月草競馬に行ったときに,佐久まわりの史跡を調べていて知りました。で,この2つだけだと思ってたんですね。まさかこんなものまであったとは。日本は広い。


 四稜郭脇には駐車場も整備され,トイレも設置され,函館市としてもそこそこのやる気をもって史跡保存に励んでいるようです。できればもうちょっと存在が知られるとよいですな。
 また,この四稜郭,どうもGLAYの中の誰かが昔ここでキャッチボールをしていたということでも知られるようです。たしかに,綺麗に芝生がはえててキャッチボールするには気持ちいい場所だよなあ。歴史好きとしては史跡保存のためにも中であまり無茶な運動はしてほしくないんだけれども,こんな土地を一部の城好きのために普段使いしないで放置しておくのがいいのかどうか,なかなかに難しいところです。

 さて,そんなわけで城域に入ります。ほんとに青い芝生が目の前に広がり,さらに土塁が見えます。土塁は見るからにあまり高くなく,まあ正直言って数日でつくっただけのことはあるな,という感じです。でも,幕府軍200+地元100でで数日あるならもうちょっとなんとかできたんじゃないかという気もします。もしかしたら士気がそこまで高くなかったのかもな…。あと,幕府軍200っていっても,この中に入るのはせいぜい50人がいいところじゃなかろうか。権現台場や五稜郭に移動した兵士もいたんでしょうけど,幕府軍は具体的にどういう配置だったのかな。
 土塁はあまり高くないとはいっても,城としての美しさはしっかり残っております。どれくらい残っていて,どれくらい函館市が復元したのかはよくわからんですが。
 まずは虎口。小さいながらもしっかりとかたちが残ってます。門も櫓もなく土塁も低いので,防御力には疑問が残りますが……。ところで,考えてみたらこの時代の戦争についてかなり無知なことを思い知るのですが,四方に砲台をおくとして,この時代の虎口防衛は通常の鉄砲や弓矢ってことでいいんでしょうか。大河の新撰組では確か鉄砲でドンパチやりつつ刀を持って戦ってた記憶があるので,虎口ではやはりそういう戦いをすることを想定してたんだろうな。そういう意味では,虎口周りの土塁が周りと比べてあまり高くないのはやや違和感。まあ時間的な限界があったんだろうから仕方ないのかな。
 そして,四隅には砲台が残ります。美しい。注意書きに「土塁等に登らないこと」とあるので,律儀に砲台にのぼってはおりて登っては降りてを繰り返してしまいました。ところで,土塁等の「等」ってなんでしょうか。砲台だとしたら土塁に登らなかったことを自慢できたもんじゃないな。

見えてきました 虎口へ 折れ曲がります 土塁 内側から虎口を 内部の様子
内側から見るとなお土塁の高さを感じない
外から鉄砲撃たれたらどうしようもなさそうな…
砲台へ この角度から堀と土塁をみると
結構土塁までの高さがあるようにも見える
南側土塁 南西砲台から内部を見る
対角線方向で
キャッチボールしたくなりますね!
北側土塁
明らかにドル以上を人が歩いた
痕跡がありますな……
でも,「歩行禁止」みたいな見苦しい
看板を立てないだけいいですね
北西砲台から内部を見る
北側土塁を低い位置から 虎口を見る 北東砲台 東側は堀がしっかり残ってます
美しいですね
東側の堀 北側の堀

 そんなわけで,四稜郭の探索終了。
 土塁と堀しか遺構がないのですが,西洋式城郭のかたちがきわめてくっきりと復元されていて興味深い城跡でありました。他方で,かなりの突貫工事でつくったと思われる規模のものであり,函館政府軍としてもこれはもはやどうしようもなかったんだろうな……。
 それにしても,五稜郭→権現台場→四稜郭と一直線になるのはわかるんですが,四稜郭の場所自体はわりと平坦で,正直防御に適してるようには思えません。なんでここにゼロから城郭を築こうと思ったんでしょうか……。権現台場をもうちょっと固めた方が,あるいは権現台場に四稜郭的な城郭をつくった方がまだいい結果になったんじゃないかと思ったり。この近辺になにかあったのかな?
 と書いていて,やはりこの時代の軍事知識が皆無なのがよくないってことを改めて思い知ります。結局このころの飛び道具の射程距離がよく分かってないんだからこれ以上あれこれ妄想しても限界があるな。

 で,四稜郭を出て権現台場に向かいます。四稜郭からは若干下りですね。四稜郭の位置から権現台場はおそらく射程距離だったんだろうと思います。これこそが幕府軍が四稜郭の位置を抑える理由だったんでしょう。
 ちなみに,この頃には既に電気自転車の目盛りが1つ減ってました。下りなので,電源を落として走行。東照宮まで行ってたら実は危なかったのかもな。

若干下り

 若干彷徨いましたが,自転車なので無問題。GooglMapさんに助けられて権現台場に到着であります。
 権現台場跡地を示すのは,函館市の看板のみ。歴史のはかなさを感じさせます。で,神社に向かっては階段をのぼっていきます。途中にある鳥居は戦火でも破壊されずに残ったものであるとのこと。見たところ,砲弾の跡もありません。で,どうもこの神社内をくまなく調べると土塁の跡なんかを発見できるようなのですが,自分が見た限りではそういった戦争の爪痕はとくに見つかりませんでした。四稜郭⇔権現台場の導線を函館幕府軍はどれくらい押さえられていたのかなぁ。そこを新政府軍に押さえられていたら,土地の高低的に鳥居側じゃなく四稜郭側から攻められたと思うのでまあ鳥居が残るのも無理ないな。



解説 戦争と関係あるかと思ったら
全く関係のない
三百年碑でした
神社へ 鳥居
文治2年とありますね
拝殿
パッと見て思ったのは,
「山の中のペンションみたい」ということでした。

 そんなわけで,権現台場も落としたので,いよいよ本丸五稜郭です。ここから先も下り坂なので楽ちん楽ちん。


函館競馬場五稜郭へ


旅行記TOPテーマ別