おおまちまちめぐりその2

 そして,若一王子神社。
 さんどうをまっすぐ進むとまずは右手に日本アルプス遭難者慰霊碑があります。吉村知事作成(といっても吉村知事のポケットマネーではなく,税金から出てるんでしょうが)のもののようです。吉村知事というと,東京都民的にはスピードスケートに対するミズスマシ発言しか記憶に残っていないのであります。

鳥居と参道 アルプス遭難者慰霊碑

 さて,そんなわけで参道を進んでいくと……いきなり目に飛び込んできたのは三重塔!!なんだこれ。一瞬,来るところを間違えたかと思いました。しかし,間違ってなんかいません。その横には赤い鳥居が見えます。
 いやあ,全く予想も予期もしてませんでした。こんなところで神仏習合の影響が強く残る神社に出会えるとは。なんども書きますが,事前準備を適当に済ませていると,現地で予想外のものに出会って新鮮かつ大きな驚きを得られるからたまりません。

 そして……それだけではありませんでした。
 拝殿でお参りをして,ふと右手を見ると,さらに(正直拝殿よりも)重みと風格のある建物が。あまりにも特徴的,あまりにも神社に似合わない屋根であります。なんだなんだと近寄ってみると……「観音堂」と書かれておりました。うへぇ〜。三重塔にとどまらず,観音堂まで残ってるのか……。中をのぞき込むと,厨子は閉じられていて,観音像があるのかどうかは不明でありました。いやはや,それにしても,びっくりです。
 ちなみに,神社内にある観音堂や仏教ものって二礼二拍手一礼すべきなのか,それとも仏教的に真言唱えたりお経唱えたりすべきなんでしょうか。逆に,お寺にある神社ものについてもどうすればいいのか分からんのだよな。いやまあ,細かいこと言い出したら二礼二拍手……なんて明治から始まったもので,そもそもそれ自体が云々という話に繋がっていくのは分かってるんですが,そうはいってもまあ神社庁としてなんか思うところはありそうだし,こちとら一庶民はそれにあえて逆らう気もしないしね。

 で,神職さんから伺ったところによると,三重塔は「物見櫓」,観音堂は「神楽殿」だと言い張って破壊を免れた,という説もあるようです。神職さん自ら「中に仏様もあるのにどう考えても無理ですよね」とおっしゃっておられたtので,つまるところ,寺院が当地にてそこまで嫌われていなかったか,寺院が大権力者でとても壊すことなんてできなかったか,まあそんなところなんじゃないかと思います。
 また,これらに関心を示したところ,簡単な説明の書かれた紙をいただいてしまいました。いろいろとありがとうございます。
 この紙によると……まず,この神社の読み方は「にゃくいちおうじ」神社です。この紙を見るまで分かってなかった自分を恥じ入るべきですね。それにしても,おもしろい名前です。
 ご本殿は,仁科盛康による1556年の造営とのこと。仁科氏というと,最後まで武田氏に殉じたたいへんイメージのよい一族という印象であります。おそらく武田氏のことを考えるにあたっては甲斐と信濃の複雑な関係や入り乱れるこのあたりの血縁関係なんかをしっかり勉強しないといかんのだろうと思いますので,自分としては信長の野望と新田次郎知識にとどめておいて自己満足に浸りたいと思う次第です。
 観音堂は仁科三十三番札所めぐりの第1番とのこと。実際に巡ってる人はどれくらいおられるのだろうか……。ぱっと見年季の入った建物で,事実1706年建立のようですが,市の有形文化財止まりのようです。
 三重塔は1711年建立で,人身獣面の彫刻が飾られているのが特徴。どうも上層階に向かっての低減率が少ないこの塔は,江戸時代の特徴の示しているようです。なるほど,いままで低減率と建立年代は意識したことがなかったな。また,平安以降の密教系の寺院に建立される塔の心柱は二層にとどまり,初層には五智如来が配される形式が広がったとのことです。心柱というと,先日日光東照宮で見たばかりです。案外心柱ってないものなんですな。

まず三重塔が登場! 鳥居と三重塔のコラボ 手水
これが男清水?

バックの塔がいいですね
塔!
由緒書 社叢について 本殿は重文 護国神社 旧神輿の解説 八坂神社
境内 左右から拝殿 摂社 燈籠には葡萄の絵が
観音堂 木鼻
若干白みがかってるのは木の材質の問題かな?
全体に丸みを帯びてます
奥を見る
彫刻 内部 境内 別角度から三重塔
人身獣面であります
いまいちどの動物か分かりづらいな
あらためて 鳥居と三重塔 神社を出たところに筆塚が
なんでここに?

 さて,仏崎観音寺を目指して自転車を走らせます。道中,道祖神発見。とともに,野口神社への矢印。う〜む,時間がないのだが……まあせっかくだし,行ってみることにします。ぶらり途中下車の旅だと適宜編集してうまくやればいいんでしょうが,こちとら競馬の時間は決まっており,寄り道してたびたび大惨事を招いてきているのであります……。学習能力の欠片もありません。

大正十三年の石碑も 道祖神

 こうして乗り込んだ野口神社。社号標には「神明社」とだけ書かれております。野口さんはどこに。野口さんは多分地元の名士で,この神社に合祀されているのだろうと推測します。
 境内は広いのですが,建築物が一般的にイメージされる神社のそれとはちょっと違っております。また,神社の境内のほぼど真ん中に藤棚があります。これもまたあまり見ないような気がします。

鳥居 境内 右手のこれは神楽殿?参集殿? 拝殿 拝殿と本殿を横から 「水神様」
摂社 これはなんなのか… 山神社 元御神木と,この藤棚は現御神木扱いなのでしょうか? マレットゴルフ場があります
マレットゴルフってどういう競技なのだろう

 さらに進みます。このあたり,本当に道祖神と二十三夜塔が多いです。なぜなのかはこれから穂高神社の本を読んで勉強したいと思いながらこれを書いております。

道祖神と二十三夜塔 旅順で亡くなった方の慰霊碑のようです

 いよいよ高瀬川を渡ります。だんだん仏崎観音寺が近づいてきました。ああ,疲れた。なんせ朝っぱらから無駄に走ったからな…。
 それにしても,霞がかっているとはいっても,やはり雪が乗ったアルプスってのは美しい。東京にいたら見られない景色だもんなー。いやぁ,気持ちいい。これで疲れてなかったら道を渡ってもっと景色のいいであろう場所に行って,「川と山」の写真でも撮るのですが,疲れているし先を急ぎたいしで,道の左側からの写真のみで次へ。

蓮華大橋 奥にアルプス 劣化してますが
一応案内があります
案内を見た上でもう1枚 龍と子ども
なにかと思ったら,
答えは仏崎観音寺にありました


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