柳川回遊

 続いて柳川です。
 柳川というと,立花宗茂というのが自分にとって唯一のまともな知識で,どうも水堀がいまでも多く残っているらしい,というのが今回の旅行前の知識。
 本来であればここに行くまでにいろいろ調べていくべきだったのでしょうが,時間的に無理でした。で,短時間で調べた結果として分かったことは,城跡はそんなにないこと,名勝庭園は御花庭園と旧戸島家住宅の2つ。名物はうな重で,焼くのではなくせいろ蒸しをするということ。その他,神社がいくつか。あまり面白そうな寺院はないな…。やなながここのゆるキャラでないことは名古屋を書いたときに確認済であります。

 そんなわけで,睡眠不足ながら乗り越すわけにはいかないので,変な体調で柳川入りです。まず,自転車を借ります。自転車を借りる事務室は改札内にあります。なんというだまし討ち。まあ,出てからも自転車借りたいっていえば入れてくれるでしょうが。

西鉄には福岡競艇の広告
全然競艇場の広告に見えないな
今回の自転車

 で,調べていたのは名物がうな重であるというところまでなので,どこでそれを食べられるのかは分かりません。
 と思って駅前をチャリチャリしようとしたところ,さっそくお店を発見。悪いお店じゃなかったようなので入りました。なかなかのお値段でしたが,まあ,鰻ってそういう種類の食べ物だよね,というわけで,ここは旅行中のテンションである程度高いのはやむなし。ここでケチる必要もなかろう。
 てなわけで,せいろ蒸しされたうな重が登場しました。
 ところで,ウナギって一時期値段が爆裂に上がってましたが,不足は解消されたんでしょうか。

 なお,NPは馬鹿舌・貧乏舌ですので,味については特に語る能力がございません。どっちかというと,「せいろ蒸しって珍しくて面白い!」という,機能的な部分に関心がいってしまうのであります。


 さて,食事を済ませたので,続いて観光です。
 実は,食事を待ってる間,「柳川の川下り」をネットで調べていたのでありました。その結果,分かったことは以下の4つ。
・ 運営会社は複数(4つ?)。それゆえ,出発地も複数
・ 基本的に下るだけで,出発地まで戻ってこない
・ 御花周辺で川下り終了。そこから戻ってくるための交通機関として,バス・タクシーがある
・ 基本的にどの会社でも大きな違いはなさそう(少なくともスマホからネット見てる限りは違いはよく分からない)
 ってなわけで,実は自転車を借りたのは失敗だったのでは(不要だったのでは)という疑念が出てきました。まあ気にしない。

 とはいえ,自転車をすぐに返すのもあほらしいので,川下りの事務所に自転車を横付けして,川下りの申し込み。会社の違いがよく分からないので,とりあえず目に入った会社さんにしてみました。
 出発時間は決まっていないが,とりあえず待ち時間は最大30分。それまでに客が集まれば随時出発。とのことでした。まあ,祝日とはいえ,午後の遅めの時間帯なので,ほとんどお客さんはおられないのでしょうね。花見の時期とかもすぎちゃったしなあ。
 なお,自転車は別の場所に停めるように指示されました。川下りがあるために自転車観光する人は(特に自転車借りてるくせに川下りする人は)極めて珍しいようで,最後に自転車を回収するときに珍しがられました。まあそりゃそうか。

 そんなわけで,この川下り。一方通行というシステムは極めてよくできたシステムだと思います。メジャー観光地が限定され,かつ集まってるからこそできることかもしれませんが。御花で降ろされたらとりあえずそこに入るし,そもそも普通の人は柳川に来たからには御花に行きたい&船に乗りたいわけで,乗った場所に戻ってきたら大変だものね。そして,うまくすればバスやタクシー会社にもお金が入るというわけで,こりゃいろんな意味でいいシステム。うむ,本格的に自転車いらなかったんじゃなかろうか。

 さて,結局,NPのほかに3人組(台湾からの観光客の方々でした)を乗せて,船頭さんと合わせて5人乗りの船となりました。
 そして,船頭さんが随時解説を入れながら,ゆったり1時間の船旅でありました。
 これ,NPみたいな一人者でも非常に気持ちよく乗れました。天気次第では大惨事になるのかもしれませんが,多少風が強いくらいだったら完全に無問題。いやぁ,いいですね,こういう船旅。競艇だけが船の醍醐味ではないのです。
 なかでも,特に凄いと思ったのが
 ・ 狭い水門に入っていくこと。船の幅とほとんど変わらないんじゃないかとさえ思える。
 ・ 船の横が岸とぶつかることがない。もしかしたら天候次第なのかもしれませんが,あんな狭い水路に入っていくときも,横にぶつかったりしません。船頭さんの技術はとんでもなくレベルが高いんだろうと思います。
 ・ 道中,2回ほど売店の横を通ります。ここで,お酒やらコーヒーやらを買うことができます。これも凄い。
 ・ さらに,道中1回写真撮影タイムがあります。今回は大室山とは異なり,白馬様ご一行ではなくNPだけだったので,ちゃんと撮ってもらえました。但し,どこで買うのかすらよく分かってません。
 その他の知識。
 ・ 水深は1mくらい。下は柔らかいので,力よりも技術が必要。銀行を辞めてから船頭の仕事に就いている人もいる。
 ・ 10人くらい乗ってた方が船は安定する。
 ・ 川下から船を戻す際,17時までは2隻しか繋いだらだめ。それ以降は自由。最大40隻くらい繋ぐこともあるらしい。
 あと,船頭さんたちは基本的に日焼けしていて,「いかにも荒そうな船の男」という雰囲気を醸し出しているんですが,話をしてみると総じてみなさん温和で,本気でびっくりしました。

橋の下 水門
まさかここに入っていくとは
水門を通過 ぶれたけど,カッパ 一面の花 売店です
松岡修造を輩出した
柳川高校テニス部です
田中吉政像 現役なのかな? 待ちぼうけ 武者幟
お子さんが生まれると,
1年間幟を立てるとのことです

 さて,柳川に来るまでは,「柳川=立花宗茂」という通り一遍の知識しかなかったんですが,田中吉政の像が堀に面して建てられていて(堀の方を向いてるから,完全に観光客向けっぽいのが気になるけれど),田中吉政が柳川に関係しているということを,遅まきながら知るに至りました。遅すぎですね。しかも,Wikipediaなんかを見ると,柳川の都市設計は田中吉政期のものが残っているのだとか。完全に立花宗茂の城下町だと思い込んでました。

 で,御花周辺で船を降ります。
 到着してから,市内(乗り場)に戻る無料バスが出るまでの持ち時間は約30分。これはけっこうきつい。
 ですが,四の五の言っても始まらないので,とりあえず博物館から。立花家の博物館なので,田中吉政色は一切無し。
 そして,それから,洋館や大広間を経由して庭園へ。洋館と庭園(「ようかんと低塩」と出てきた)のセットは,旧岩崎家や諸戸家住宅みたいですね。これはコンドルさん設計では無さそうですが。中には今は亡き柳川城の模型と写真。写真が残ってるんですね。現存はこの1枚のみ,明治4年焼失とのこと。なんと,わりと最近ではないですか。しかも,戊辰戦争とか佐賀の乱とか西南戦争とか関係なく,放火か失火って……。なんともったいない。

苑内図 若干縦長の気もしますが
在りし日の柳川城の
1/60スケールモデルです
この写真だけ残っているとか これは想像図でしょうか 洋館の階段 洋館の廊下
洋館内 御役間 桃型兜
あちこちに展示がありますね
大広間
結婚式の披露宴会場
として使われているようです

 そして,披露宴会場の後ろに広がるのが松濤園。松島をモデルにして作られたようです。この前松島に行ったばかりの自分にぴったりの場所ですね。

 回遊式ではないので,縁側からぼけーっと眺める形になります。が,こちとら戻りのバスまで時間が無いので,ぼけーっとできないのであります……。
 なお,庭園を眺めるのはここと対月館の2カ所から。対月館は2階からの眺望があります。まあ,どっちの角度がいいかは人それぞれでしょう。なんにせよ,良くも悪くも都会ではないので,ビル群を借景に……ということにならないのはいいですね。電線もない。


 で,ダッシュでもどって,なんとか戻りのバスに間に合いました。この間,売店で博物館の図録を買うという一手間も入れているので,我ながらあせりました。でも,別にバスを待たせたわけではなかったのでとりあえずよかったよかった。

 さて,そんなわけで戻って自転車を回収。このまま引き下がると自転車を借りた意味が無くなる上に,柳川城趾碑も見ないで終わることになるので,とりあえず町をチャリチャリすることにします。ここで,自分が勘違いしていたことが発覚。三柱神社って,Google Mapで検索かけると御花寄りの場所にある三柱神社がヒットするんですね。なので,有名な三柱神社ってのは御花付近にあるんだとばかり思っていたのです。ところが。実は有名な三柱神社は乗船場付近にある三柱神社であることが分かりました。もちろん,真の神社マニアであれば有名であろうがなかろうが行くんでしょうが,こちとらそんな高尚な人間ではないのです。
 ってことで,とりあえず三柱神社に向かいます。なお,事前準備ゼロなので,どこから入るのか若干迷いました。

 で,中はかなり広く,ちょっとびっくり。でも,なんかその割に手入れがいきとどいておらず,それも含めてちょっとびっくり。特に,奥の八十臣神社あたりは何でこんなことになったのかさっぱり分からないレベル。地方の田舎神社であれば理由は分かるんですが,ここ柳川で極めて重要な人物である立花宗茂を祀った神社です。それこそ,放っておいても日本中から色々と集まってきそうなものなのに……。

 と思って神社をあとにしようとしたところ,衝撃的な看板を発見。放火に遭ったのか……!!なんともはや。かつては廻廊もあったりしてかなり立派な社殿だったようです。なんだかねえ。ほんと残念だな。先日愛媛宝厳寺の火災跡地を訪問する機会がありましたが,本当に火ってのは恐ろしいですな。そもそも柳川城天守も火災焼失だしなあ。放火と失火じゃ話は違うんだろうけれど,それにしてもやはり火は恐ろしい。そして,こういう恐ろしい火災等々をくぐり抜けて現存してる木造の文化財ってのは大事にしなきゃなりませんな。と,優等生的なまとめ方をしておきたいと思います。

 
橋から堀を見る
17時以降に出発する船会社もあるようです

石鳥居
場所的に,旧参道が
跡形もなくなってるのかな?
 
境内にも武者幟がありました

神池

「復興」の意味はあとで分かった

脇の鳥居は細い木で

正面から
 
狛犬
  
太郎稲荷

水天宮
 
道了神社

眼鏡は野口屋

石碑に書かれた築山ってこれかな

八十臣神社
近づくのさえ困難
なんでこんなに荒廃してるんだ

社務所
ここも色々と限界が
 
護国神社

放火とは…

 さて,続いて,玉の湯前を通過しつつ柳川城跡へ。正確には,柳川城本丸跡地というべきなのかな。
 いずれにしても,現在は学校の脇に簡単な緑地となっております。中途半端に文化財だから中途半端に残さざるを得ないという複雑な状況であります。まあ,これから人口が減っていく時代だからこれでいいのか。


昭和三年開田とあります
 
どの石垣が現存石垣なのだろうか

 さて,まだ日も出ていて時間があるので,とりあえず柳川市に唯一残ってるっぽい銭湯,玉の湯に行ってみました。この日は熊本ドーミーイン泊予定だったので,特に銭湯用具を持参しておらず,タオルとシャンプーを貸していただきました。なんとどちらも無料という出血大サービスっぷり。ありがとうございます。


 そんなわけで,一応やることはやったかな,という感じで,だんだん日も傾いてきました。
 最後に田中吉政のお墓があるという真勝寺に寄って,この日の行程を終えることにしました。道中,神社があったので例によって寄ってみます。風浪神社というらしいです。なかなかナイスな名前ですね。御祭神等は不明。
 あまり意識してなかったのですが,真勝寺との位置関係的に,もしかしたら真勝寺と関係のある神社なのかもしれません。

 
石仏?を祀るお社

逆ミッキー

 真勝寺の入口がどこにあるのか,手許の地図ではおおざっぱにしか分からず,墓地越しに大きなお堂が見えたので墓地を突っ切って乗り込んだところ,ビンゴでした。こういう参拝方法がいいのかどうかは分かりませんが,まあいいってことにします。
 で,真勝寺は北側から床下を通って田中吉政のお墓をお参り出来るという,なんか面白い構造になっているようです。まあ,見世物として一般開放しているわけでも無さそうなので,本堂にお参りしただけで退散。

 
瀬高御門外の道標

お墓越しに真勝寺

本堂

田中吉政顕彰碑

山門

山門内にありました

さっき通った水門
改めてみても,狭い

植木の講演会が
あるらしいです
一般公開みたいですね

柳川駅にも島鉄高速船の
運航状況があるんですね

 そんなわけで,柳川観光終了。
 川下りは本当にお勧め!暑すぎず寒すぎず,いい時期に川下りを経験できてよかったです。

福岡城登城その2

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