ペナン旅行記その6

 実質2日目です。
 昨日の競馬で,一応最低限ペナンでやるべきことはやりきったので,今日は普通に観光。気楽なもんです。

カピタン・クリン・モスク

 まずは,近くのモスクへ。インド系イスラム人の増加によって建設されたようです。インド=ヒンドゥー教と頭が凝り固まっておりますが,インドまわりの争いを考えると,インドまわりの宗教問題って根が深いんだろうな。なんか「東アジア=中国」と見てるアメリカ人よろしく,「南アジア=インド」と見てる自分がおりまして,これじゃいかんとは思う次第です。
 本当はここに来る前にイスラム建築に関する本を読み込んでおきたかったんですが,残念ながら1行も読まず。カザンに行ってから1年半,イスラムについての知識が全く深まりません。ネットを見てると,「ムガル様式」の寺院だったりするようですが,現在の自分は「そういえばムガル帝国って世界史で習ったなあ」レベルの知識しか有していないのでありました……。
 で,ここの門は閉ざされておりました。いろいろネットを見たりすると,どうも単に到着が早すぎただけのようです。まあ気にしない。時間短縮できてよかったと思うべきだな。


昨日の戦利品

解説

宝福社

 続いて,宝福社。ここによると,「秘密結社だった」てなことも書かれております。秘密結社って言葉,なんだかワクワクしますね。

 昨日の潮州会館の件もふまえ,いろいろ読んでいると,華僑がペナンに入るにあたり,一族・同族で団体を作っていたっぽいな。それで,その一族の精神的拠り所として寺院的なものが作られていると。ちゃんとした本を読んだわけではないですが,とりあえず自分的にはそういうことだ,ってことで現在納得しております。「20秒で分かるペナンの華僑とペナンの寺院」という本があれば是非紹介していただきたいところであります。

 さて,この宝福社,内部は普通の道教寺院です。ただし,昨日と同様,ここの宗教が道教なのか仏教なのかは素人にはよく分かりません。台湾での経験をもとにすると,仏教寺院には見覚えのある顔が1つか2つはあるので,おそらく道教で間違いないかと。

宝福社入口 入口まわり 中を進む

 ここにも,壁に解説が貼られていました。
 この手の解説は,他の宗教では見なかったので,中国系限定なのかな?どういう経緯で作られたのか気になりますね。


 で,内部は壁に囲まれた,そんなに大きくないスペースなんですが,そこに柳があったり竹があったり,なんとなく中国的雰囲気が漂っています。そういえば,柳を見ると,なんか東洋的雰囲気を覚えてしまうんですが,Wikipediaを見ると,どうもこれは自分がしだれ柳から勝手に受けてるイメージっぽいな。英語だとWillowか。Willowって言葉は見るもんな。

 それはさておき,ここは懐かしの2階構造です。中にいたおっちゃんが,奥も見ていいぞ,とか,2階もあるぞ,とか言ってくれました(多分)。何語か分からんけど。なお,2階に上がる際には靴を脱ぎます。ここだけ台湾と違うところですな。


正面から

懐かしの金紙があります

なんの金額だろう?

多くの寺院でこのプラカードを
見かけました
なんとなく意味は分かるんだけれど
どういう場面で使うのだろうか
お祭りか何かかな?
 
右奥のスペースにはこんな竹が
竹を見ると,なんとなく涼しさを感じます

これも懐かしの金亭
2階へ
  

近寄る

奥はStageとなってました
お祭りとかで使うのでしょうか

 なお,秘密結社にふさわしい隠し部屋は特に発見できませんでした。そもそも秘密結社ってそういうものを作る集団なのかも分かってませんが。

ヤップ・コンシー

 道路を挟んで反対側にあるのが,ヤップ・コンシー。
 この「コンシー」ってのが,どうも華僑の同族会館を意味するみたいですね。つまり,ヤップさん一族を祀る廟ってことか。日本でいう菩提寺に近いんでしょうが,ほかの一族も祀ってもらえるのかな?そういえば,日本でも古い町だったりすると,旧豪商の家が「旧○○家住宅」とかいって観光地として開放されてたりしますね。それに近い感じなのかな。

 潮州会館や宝福社は改装工事が終わったことをフルにアピールしておりましたが,ここは現在進行形で修復中。ジョージタウンの世界遺産登録は2008年ということのようなのでそのころから順番に修復を進めていっているのかもしれませんね。

向かって右が雄,左が雌でありました。このへんは台湾と一緒ですね

 ここは潮州会館や宝福社と比べても広くなく,建物も1つ。非常に単純な造りでした。まあ,単純と見せかけてどこかに隠し階段や隠し通路があるのかもしれませんが。

内部 中央をアップで
像が小さい。
どっちかというと,仏教に近いのか?
象がいました
この意味でも,
道教よりも
仏教寄りなのかも

年季が入ってます
右の部屋
先祖の位牌なのでしょうか

 そんなこんなで,朝食。宝福社の横にあった食堂にて,HOKKEN PRAWN MEE。HOKKENってのは福建のことのようです。日本人的には,もう少し出汁がきいてくれてた方がいいかな,という感じの麺でした。いくらだったか,メモ忘れ。なお,ここでも水を補充したので,水2本体制に。こんなことだったら昨日買った水は凍らせておけばよかった。

 ここで思ったんですが,気付いたら周囲からインド人がいなくなっていました。そして,完全に中国人街になっていあます。なんの違和感もなく住民の人種や町の雰囲気が変わっているのが,非常に面白い。

 福建蝦麺,と漢字をあてていいのかな。

 さて,朝食をとりおえたので,さらに南へ。いわゆるCanon Streetをひたすら進む形になります。多分このあたりも世界遺産区域のはず。

アチェ・ストリート・モスク

 そして,しばらく進むと,正面にそびえる塔(ミナレット,でいいんだっけ)。噂に名高き?アチェモスクです。

 ここは敷地内に入ることができました。今になっていろいろネットを見ていると,この「アチェ」というのは,この地域の人々の出自であるインドネシアのアチェのことであり,この地域にはスマトラのアラブ商人が多く移り住んでいたようであります。また,この周辺居残る家はモスク建設当時のもののようです。へぇぇ。
 また,さっきのカピタン・クリン・モスクはムガル様式のようでしたが,こっちはスマトラ様式と呼ばれる建築様式のようです。ううむ,イスラム建築について無知すぎて分からん。ただ,今になって改めて両者の写真を比較すると,確かに屋根の形が異なってますし,こっち(アチェ)にはいかにも「モスク」って言いたくなるようなドーム付きの建物がありません。なお,今試しに「スマトラ様式」で検索したところ,上位2つがこのアチェモスク,続くのがマラッカだったので,「スマトラ様式」が学術的にきちんと定義づけされた分類なのか,若干不安であります。

 それはさておくとして,実はモスクというものに立ち入るのはこれが人生初のはずです。感動の一瞬。
 とはいえ,礼拝所内部へは立入禁止。外廻廊から眺めるだけであります。このモスクには沐浴施設も併設されており,礼拝前に顔や頭を清めている方がおられました。なお,お馬鹿NPは,これを打っていた初めて淋浴と沐浴の違いを知ったことをここにてアッラーの神に告白いたします。

 
こんな通り 正面にどーん! 解説 周辺の家 裏側はほころびが目立ちます
礼拝所を正面から 中心部は立入禁止 周囲の廻廊 内部 沐浴施設

 そんなわけで,モスクを見られたので満足であります。続く。


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