サウサンプトン城壁巡り

 サウサンプトン市内をぶらつく時間があったので(ここまで来たからにはぶらつかないと二度とこなそうな気がしたので)ぶらついてみました。
 基本的に有名なのはBar Gateという門の跡でありまして,かつてはここが城の北門てきな場所だったようです。で,今も残る城壁なんかを見てみますと,港の北側をぐるっと城壁が城域を囲んでおり,ここで囲まれた部分がかつてのサウサンプトン城だったのではなかろうかと思う次第です。とりあえず英語版WikipediaにはCastleTown Wallの2つの記事があったので(使われてる写真は共通してたりしますが),あとで読もう。

 で,前回見たBarGateから。この先というかこの前の道がAbove the Bar Streetという名前でして,おそらくこのAbove the Barというのは飲み屋のBarではなくこのBar Gateの上の道という意味でしょうな。この部分だけ残ってると単に道路の邪魔にしかなってない気もしますが,これを残すことが重要なのだろうと思われます。周囲が破壊されてるのは戦争が原因なのか都市計画上の問題なのかは不明です。どっちなんでしょうかね。

Bar Gate これって各貴族の旗ですかね? 上を向いてるのでいまいち顔が分からないのだけど
たぶんライオンじゃないかと……
案外あばらがくっきりしていて痩せております
あと,舌出してるのはなんででしょ?
横から

 そこから南下。ここも前回見た場所であります。Holy Rood Church Ruin。これも英語Wikiありました。その前にはQE2の碇も。クイーンエリザベス2の母港がサウサンプトンだったようです。Wikipedia情報だと今現在完全に行き場を失っているようでありますな……。

HighStreet QE2の碇 Holy Rood Church Ruin
とりあえず11時30分に
鐘が鳴りました
1837年11月7日の大火で亡くなった方々を
顕彰しているのではないかと思われます
これがなんなのかは
当然分からない
廃墟
ドラクエだとこの敷地内に
旅の扉の一つでもありそう
ここに入るには
最後の鍵が必要
これは記念碑的な意味の
碇なのではないかと
ここの意義 フォークランドで
亡くなった方々の顕彰も
顕彰碑
なんでアーチ部分が崩れてこないのか
不思議でならない
(日本なら地震で一発だろうな…)
噴水

 さらに道を進んでいくと,右手に廃墟がありました。解説には”Watergate”とあります。ウォーターゲートというと,賢明な皆様はウォーターゲート事件を思い浮かべるのではないかと思われます。そのまま,水門,ということでいいのでしょうか。
 解説版の絵が日焼けして完全に死んでいるので,往時の姿がどうであったのかとかさっぱり分かりません。もともと往時の姿を描いた絵があったのかもわかりません。Southampton市はおそらくタイタニック(の映画)の所為で中世の城郭への興味を失っているのではないかと思われるところでして,もうちょっとなんとかならんのかなと思う次第です。

さらに南下 ここからイタリア商船の
地中海産物が荷揚げされたっぽい
こうやって切り取ると絵になりますね

 ここで大通りを渡っていくと,おそらくワイト島へ向かう高速船とフェリーの船着き場に到着であります。ここの船はいつか乗ってみたい。
 とりあえずぷらぷらしてみました。

チケットオフィス
建物が2つあったけど
どういう役割分担かは不明
フェリーと高速船が並んでおります マリーナもありました 時刻表 なんとなく貧乏人の立ち入りを
禁止してそうな建物があったので
とりあえず撮ってみた

 先に城の中央通りを突っ切ってしまったので城の周りを歩こうと思うとどうしても無駄が出ます。
 城壁は基本的に海側のものがしっかりと残っているっぽいので,とりあえず陸側にちょっと進んで折り返すことにしました。
 で,見えてきたのはGod's House Tower。近くの病院の名前が先にあってあとから塔の名前がついたようです。1780年代は監獄だったようで,ちょっと中を見てみたいですね。
 あと,歩いてたら”World's oldest Bowling Green”なるものがありました。ボウリング業界については当然素人でありまして,英語のWikipediaを見るまでPin BowlingとTarget Bowlingの2種類あるなんて知りませんでした。で,このターゲットボウリングなるものがなんなのかがイマイチよく分からん。ちゃんとした英語力があればWikipediaを読めばいいんだろうけど,読みたくないです。検索してたらCiniiで「ターゲットボウリングの紹介」という中伊豆温泉病院の赤見先生の論文が見つかってしまった。てか,日本語でターゲットボウリングを探してもなかなか見つからない。もういいや。

解説 1791年の絵 この角度は美しい 並びの建物もそれなりに古そうな
石造りだから,どこまでが遺跡で
どこから現代なのか
ぱっと見判別に困る
God's House Tower
脇の公園 World's oldest Bowling Green

 で,もう少し北上。街中に壁が残っておりました。
 このあたりの壁を見るとコンクリ補強がなされていて,結局どの程度過去のものを残してるのかはよく分からないな。あと,このあたりの壁は個々の石が小さい。
 そういえば,イギリスって各所に石造りの建物がありますが,石ってどこから持ってきてるのだろうか。


脇の公園に意味があるのか
ないのか分からない
石造りの椅子と机が

 再度海沿いを目指して南下。さっきと同じ道を歩いてるつもりが,違う道だった。俗に言う迷子ですが,まあ狭い区域なのでたいした問題ではない。
 で,またよく分からない遺構に遭遇。イギリス人って日本人みたいに縄張りを眺めてにやにやする文化ないのかな。


 そして海沿いへ。このあたりから城壁の保存状況がよくなります。というか,海沿い部分は幸か不幸か都市開発の都合で壁を破壊する必要がなかったんだろうな。
 このあたりは毛織物貿易全盛期に栄えたようですね。あと,スペインとの戦争(たぶんスペイン継承戦争)でスペイン人戦死者がこのあたりに埋葬されたようです。解説版に登場する時代が1200年代だったり1400年代だったり1700年代だったりして,自分の英国知識(完全に広告世界史知識を失ったので,山川のヒストリカルガイドで突貫工事的に知識を突っ込んだのですが,普通に教科書を読んだ方がよかったな……)
 あわせて,メイフラワー号の記念碑がありました。メイフラワー号については,アメリカの小学校で教え込まれておりますのでプリマスからやってきたメイフラワー号という存在だけはばっちり記憶にあります。Wikipediaを見ると,最初はこのサウサンプトンから僚船Speedwellとともに出港したんですね。これはまったく知らなかった。


 さらに進みます。なんか目立つ壁が残っております。一応Archadeというそのまんまの名前がついてますね。このへこみは一歩間違うと上から狙撃されない絶好の退避スペースになるように思うんですが,どうなんでしょうか。

裏側 城壁の上
通気口があります……
さらに先を見る
たぶんこの穴が西門 門の中 West Gateまわり
そのさきは船のオブジェ 中世期にはこのあたりで
船をつくっていたらしい
中世の貨物船のレプリカ
もう少し予算を割いて解説したりきれいにしたりしてほしいところです

 で,ちょっと脇道にそれてみました。解説板があったからそこに向かっただけですが。で,地面に対して垂直になってる解説板は日焼けもせずちゃんと絵も読める状態で残っておりました。なんというか,ちょっとがんばればほかの解説板もなんとかなったんじゃなかろうか。もう遅いけど。
 この先にあるテューダーハウスは,4ポンドの出費をいやがって入りませんでしたが,その向かいにある(というか通りを抜けた正面にある)St.Michael's Churchに入ってみました。なんというか,イギリスの教会は行くところ行くところ観光客ウェルカムなんですが,それはそういう場所に行ってるからそうなのか,それともイギリスの教会が全般的に開放的なんでしょうか。日本の教会ってあまりそういう空気感ないですよね。一部の観光者向け教会を除くと。
 ここは中に入るとお世話係のおばさまが2名おられて,パンフをくれて写真撮影OKだといわれました。ありがたく撮影させていただきます。

アーケードから右に折れると,Blue Anchor Laneに入ります 城壁の下を歩く形になるので,戦時はここから入ると
上から撃ち殺されるかたちになってたのではないかと
振り返る
Tudor Houseはまた今度 外観
六角錐?の塔が印象的
パンフ 正面 天井は新しめで装飾なし
正面 で,上を向いているSt.Michaelの木像であります。なんかなかなか見ない姿です
yewというのはイチイのことのようですが,どういう木なのかよく分からん
広島の平和公園にもこのJoseph Vasconcellosさんの彫刻があるようですが
ぱっと検索した限りではどこにどういうものがあるのか分からず
左前のステンドグラス


いずれも13Cからあるもののようです これは14cらしいんだけど
みたところ新しいので
もしかしたら別のものかも
右後ろのステンドグラス ここにも子供の遊びコーナー リチャードライスターさんのお墓

 2ポンドという破格の値段だったのでここで賛美歌のCD購入。基本的に5ポンド以下だったら買う方針でいきたいと思います。粗悪品をひたすら集める旅になる恐れもありますが,まあ善し悪しなんて分からんから別にいいのです。

 で,再び海沿いに戻ります。
 アーケードの開設を過ぎると,よく分からないアーチ遺構のある区画へ。このあたりは私有地と隣接しててどこまで入っていいのかびくびくしつつ,アーチのある区画には直接立ち入れないようでした。
 このアーケードは1338年にフランスとジェノバ勢に街が襲われたことを機に以後の防備のためにつくられたもののようです。

CD 再びアーケード やればできる垂直解説板
全部こうすればよかったのに
アーケードを近接撮影 Simnel Street West Hythe Quay &
Biddle's Gate
鉄階段が悪目立ちしますが監視台だったようです 奥は工事中でした 肝心のSouthampton Castleの
解説がこの有様
アーチのある区画 アーチを上から
同じく上から 反対側から
フェンスが邪魔でよく分からんですね
アーチ区画への入口側の城壁
明らかにあとからつくられた部分がありますが
後付け部分がいつのものなのかと
その目的がよく分からんですね
いや〜なひびが入ってます
立ち入れないのもやむなし
WaterGateとVaultの解説 このあたりの城壁はしっかり残ってます 奥に円形の塔が見えます

 で,下は工事中で歩けないので,城壁の上を進んでいきます。城壁の上は同じ高さに建物があったりするので,もともと丘だったところの防備を壁で固めたってことなのでしょうか。
 ここから,「いかにもヨーロッパ!」な感じの城郭に入ります。あまりきっちりとは残ってはいないですが,それでも円形の塔とか凸凹の城壁とかを見ると非日本的でうれしくなりますね。

 そして,Catchcold Towerを超えると,さらに塔がみえてきます。Arundel Towerという名前のようです。この塔から東に,BarGateに向かって城壁があるという構造です。つまりここが北西端ってことですな。
 この塔からBarGateまでの城壁は,一部道路のためにくりぬかれており,その上に歩行者用に橋が架かっているというなかなか面白い構造でありました。都市開発時に全て壊さなかった先人たちに感謝ですな。

城壁の上を歩く 工事の様子
何をつくってるんでしょうか?
さらにすすむ こういう狙撃用スペースは
万国共通
両方向いけます
相変わらず日焼けしてわけわからない解説 これがCatchcold Tower 下に降りてみた Forty Stepsってこれのこと?
上に戻りました この解説は非常に読みやすい Catchcold Towerからの眺め Catchcold Tower
さらに奥へ 塔がみえてきた 城壁と城壁の間に
橋が架かっております
あらためて,塔をみる 振り返る 塔を見上げる
のぼります! 小さな窓があいております
狭いので狙撃用ではなく視察用ではないかと思われます
解説。もうちょっと手すりとの位置関係を何とかしてほしかった
塔の上から下を見下ろす
かつてはどうやって
登ってたんでしょうか?
塔の上からの眺め リゾート地自慢
橋上から前後を スキーのジャンプみたいな姿勢のこの人物は
サウサンプトンの元市長とのこと
意味ありげなポーズしてるのですが,理由は不明
Town Walls


     
教会で,是非持って行きなさいといわれて渡されたパンフレット
下の地図は,ScannerMouseを使って遊んでみたもの。特に意味はありません

 そんなわけで,無事BarGateに戻ってきました。
 まあ往時の姿(といっても数世紀レベルで使われている以上最初と最後じゃかなり異なってるんでしょう)がよく分からないのは残念ではありますが,城壁探索はそれなりに楽しめました。できれば解説をもうちょっとなんとかしてほしいんだけれどねえ。



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