ドウカンヤマ合宿

 

2015/9/6()-7()で新潟遠征してきました。メンバーは長老・トリです。

 

そもそものきっかけは長老から、

 

「ドウカンヤマの新馬@新潟を見に行かない?」

 

という大井野外飲みでの誘いでした。

 

当初、日程的に厳しいかなと思ったものの、有休をあまり消化していなかったこともあり、参戦を決めました。

 

初日

 

始発から2番目くらいの新幹線に乗って、9時に新潟駅着。

口取る気満々だったので、普段の仕事で着ないスーツやネクタイを引っ張り出して、着用しました。

 

新潟駅南口で長老の車にピックアップしてもらいます。

長老は夜通し運転して、浜松から来たとか。信じられない熱意とタフさです。

 

そこから競馬場へ直行。行きの車内で話し合ったのですが、どうやらトリの前回の新潟遠征は第1回アイビスサマーダッシュのとき(白馬新潟合宿)だったようです。

それは2001年のことなので、なんと

 

14年前!!

 

あまりに年月が経っていることにビックリします。

そして、そのときの記憶があいまいになっていることにも驚きます。

やはり、旅行記は書いておくことに、越したことはありません。

 

そんなこんなで、競馬場へ到着。

入場して、すぐ右側の建物に馬主受付があります。

今回も例によって、ふぁみさん席です。

14年前には下のスタンドに陣取っていたわけで、これまただいぶ状況が変わりました。

ちなみに、ふぁみさんはサハリン遠征中のため、欠席でした。

 

3000円以上馬券を買った人の抽選会に行ったり、高木先生の顔をチェックしたり、平場の馬券を買ったりしているうちにいよいよ、ドウカンヤマの新馬の時間です。

 

ドウカンヤマは断トツ人気のチェストケに続いて、2番人気。

パドック党ではないので、馬体はよくわかりませんが、人気的にはそれなりに期待できそうです。

 

いざ、レース。ドウカンヤマの逃げでレースが進み、いざ直線へ。新潟ですから、内側のダートといえども、直線長いです。

しかし、二の足を使って、なんとか逃げ切れそう・・・。

と思った瞬間にチェストケに差されました。惜しかった。

 

口取りは逃しましたが、充分に楽しませてもらいました。

 

この日の馬券は、なんとかプラス。

メーンの新潟記念の大知がデムーロに差されなければ大勝でした

。複勝でも5倍くらいついていたのですが。

ちなみに長老はこのレースを馬連で取っており、大勝だったようです。

 

宿泊は新潟駅前の東映さんで、祝勝会は吟の蔵。のどくろのしゃぶしゃぶなどを食べました。

二次会でへぎそばも食べました。

 

 

2日目

 

長老は朝の散歩に行ったようですが、トリはぎりぎりまで寝ていました。年ですね。

 

朝食は新潟中央卸売市場の誠食堂で。

8時半くらいに到着したと記憶していますが、すでに競りは終わっていて、市場は閑散としていました。

この市場は観光客相手の商売もやっているようで、競りが終わると一般人も入れるようです。

誠食堂では海鮮丼を食べました。

本当は、ぶりかつ丼が気になったのですが、朝から揚げ物を食べるほどは若くないのでした。

 

続いて、新潟市内へ逆戻りし、医博物館へ。

この博物館は日本歯科大学の中にあります。

受付のおばちゃんに「学生さん?」とか聞かれつつ、入場。中の展示は思った以上に興味深かったです。

江戸時代の医学関連の資料とか、特に昔の歯科関連のグッズは充実していました。

 

医博物館ですが、新潟市の関屋の近くなのです。

そう、関屋記念の関屋です。

ということは、競馬場跡地が近いのではないかということで、医博物館を出る際に調べたところ、ビンゴ。

日本歯科大学は競馬場の向こう正面のあたりでした。

大学と線路の間が競馬場だったようです。

コースの痕跡がないか周囲を必死に見ましたが、完全に住宅地となっており、面影はありませんでした。

 

関屋競馬場跡も見られて満足して、次の目的地へ。

ここからは、某サイトのドライブモデルコースに従いました。

 

海岸線沿いの絶好のドライブ道路をおっさん2人で飛ばします。ここに来るまで知らなかったのですが、新潟の沿岸は砂浜が広がっているんですね。

なんでも砂浜を維持するのも苦労があるとのことです。途中に休憩に立ち寄った施設(トイレ+休憩室)に書いてありました。

 

そうこうするうちに角田岬灯台へ到着。白馬的に読み方を「つのだ」だと決めつけていたのですが、どうも「かくだ」が正解のようでした。

 

ここの見どころは2つ。

 

1つは判官舟かくし、という海の洞窟。

白馬遠征では何かと縁がある、判官義経なのでした。

この件を長老と考察したのですが、義経が日本全国、特に東日本を歩き回っていることが原因ではというのが、トリの説でした。

最後はモンゴルまで行ってますし。長老は反論していた気がしますが、説は忘れました。

 

2つ目は、角田岬灯台。

狭い階段を登った先にあります。

天気が良ければ、佐渡島も見えるようですが、この日は曇り時々雨くらいの天気だったので、まったく見えませんでした。

それより、近くの山で櫓を組んで工事していたのが何か気になりました。

数年後には展望台ができているかもしれません。

 

再び車に乗って、最後の目的地、弥彦神社へ。

なぜ、弥彦神社を最終目的にしたかといえば、NPの旅行記に記載があったからです。

それ以上の理由はありません。

 

到着後、まずは弥彦神社へ参拝。

天気があまり良くなかったにも関わらず、結構な数の観光客がいました。

 

この弥彦神社ですが、正式な参拝の方法は「241礼」とのこと。

出雲大社と同じなんですね。

ところが、トリは予習不足。っていうか、NP旅行記に書いてありませんでした。

なので、通常の「221礼」で参拝してしまいました。

やはり、予習は大事です。

ちなみに長老はこの参拝方法を知っていたようです。

 

参拝後は表参道を通って、街中を散策します。

途中でお宮とか親鸞聖人ゆかりの清水やらがあったのですが、NPと違って気力がなかったので、パス。

 

昼食は吉田屋さんでわっぱめし。

吉田屋さんには、ちゃりんこ関連のグッズがいくつかおいてありました。

ぜひ、次回はNPも行ってみてください。

 

昼飯後にさらに散策を続けると、湯神社という看板を発見。

なんとなくNPの旅行記にあったのを記憶していたので、行ってみることにしました。

 

途中までは良かったのですが、分岐を曲がってからは本格的に山道になります。

途中で広場らしきスペースが見えて、ゴールかと思ったものの、まだまだ続きます。

NPが放置したカバンに貴重品がなかったのかなどと、話しながら歩いていました。

 

合計20分ほど歩いたところで、温泉の源泉と祠があったので、そこで参拝し、引き返してきました。いやいや、なかなかの道のりです。

長老と2人だったからよかったものの、1人だったら不安になる距離です。

 

その後は弥彦公園内を散策して、駅の前を通り、駐車場へ戻りました。すでに15時くらい。関越道経由で帰路へとつきました。

 

帰りの車内でNP旅行記を復習して、驚愕の事実が・・・

 

トリと長老がたどりついた祠は湯神社の本殿ではなかった!!

 

ようです。もっと奥に、立派な社があるようです。

あの分岐は、てっきり別の参拝道だと思いました。

最後まで予習不足が響きました。

 

そんなこんなで、家の近くまで長老に来るまで送ってもらい遠征終了。

長老はそこからさらに数時間の運転があったと思います。

もろもろ、お世話になりました。