ウィンブルドン敗北記その3

 博物館に入ります。
 時間も早いので客入りも少なく,ゆっくり見ることができました。本当は日本語ベースで事前に(というか入場待ちしてる間に)予習していくともうちょっと楽しめたのでしょうが,いかんせんニワカなのでそんなことするはずもなく……。中はThreeの電波はそこそこ。入る部分もあれば入らない部分もありますが,基本的に電波は微弱。これはWimbledon当日で混んでるからなのか,単に電波の入りが悪いからなのか,よく分からん。でも,現地でWikipedia見る気力はなかった。荷物が邪魔だ。
 なお,日本にはこのテの博物館はないのかと検索してみたところ,JTAが博物館建設に向けて募金してました。JTA様におかれましては,公営競技と友好な関係を築き上げてお金をゲットしていただき,どこかいいところに(←曖昧)博物館を建設されますようお祈り申し上げます。というわけで,JTAが公営競技からお金をゲットする日に備えて私としては公営競技にお金を注ぎ込む所存です。

またまたリストバンド 日本語は比較的
上にありますが
それでも中国語の下
韓国語はないんだな
2006年リニューアル 52000個 このときはまだ
シャレで済んでいた…
いちご

 テニスの歴史については,とりあえず日本語で発見できたのはWikipediaエムズテニスパークのページ。英語版Wikipediaはさすがに詳細ですな……。詳細すぎて読む気がしない。
 フランスにおけるテニスの原型の発展がいつからなのかについては若干(といっても100年以上レベルなのだが)異なりますが,とりあえず古代エジプトに似たものがあり,今に繋がるものは中世フランスから始まったという点では一致しています。ここの展示はフランスの話から説明が始まります。

  
フランスに起源 18世紀のラケットと肖像画
   
当時の絵やらボールやら
  

 続いて,ここにくるまで全く知らなかったのがCroquet。ぱっと見クロケットと発音しそうなクリケットのまがい物に見えてしまうのですが,どうも全く異なり,Wikipediaによると発音はクロッケー的な感じで(ただ,検索するとカタカナ表記はかなりばらついている。でもまあ,日本クロッケー協会がクロッケーと表記してるんだからこれに従うのが無難ですね),多分フランス語と英語の中間的な発音なのでしょう。そして,これがゲートボールの起源とのことです。へぇぇ。
 これも全く知らなかったのですが,ここによると,ウインブルドンを運営している親玉は"The All England Lawn Tennis & Croquet Club Limited"という奴でして,実際に運営しているのは子会社のAELTC,さっき門を通ったときに名前があった奴ですね。土地を持っているのは"All England Lawn Tennis Ground plc"。パトロンにHer Majesty The Queenとさらっと出てくるあたりがイギリスです。

クロッケーがらみの展示

 それから,ローンテニスの勃興期のお話へ。ウォルター・ウィングフィールドさんの名前も初めて知りました。




Wingfieldさんの胸像

彼の犬の墓石

 そして,1877年に第1回Lawn Tennis Championshipが開催。




エントリーフォーム

議事録

カップ

ドロー

 それからはビクトリア期の貴族どもが優雅にテニスをしている空気感に関する展示。さりげない逸品がなんともいえませんな。


1887年のプログラム

1885年のLawford ラケット

1893年のポスター

 そして,第1次大戦。イギリスにいて思うのは,第1次大戦のショックと被害がかなり大きいということ。日本だと第1次大戦は基本的に遠いヨーロッパでの出来事ですが,まさにイギリスは第1次大戦の当事者なんだよなあ。

第1次大戦で
亡くなった皆様

 1922年にコートが新設。その際の鉄柱。


 そして,第2次大戦直前期〜戦中戦後期。だいたい日英同盟が終わったあとからです。

1937年のDaily Herald
1936年のTIME
1926年のDailyGraphic 1937年のOrder of Service 金メダル等
1945年7月のプログラム
ドイツは降伏してるとはいえ
日本周辺ではまだまだ
戦争がおこなわれています
1944年の
PresentationShield
これはまだ戦時中
US Forces Championship 1947年のチケット

 そして,1950年代へ。

1956年のボール 1961年のAngela Mortimerのラケットとカバーと服 75周年(戦時中計9年の空白とか)
のプロペラペン

 疲れてきたのでこの先大幅にカット。おそらくここでカットした写真は二度と見ることがないでしょうが,まあいいや。
 デビスカップの展示へ。


 それから1990年代。男子はサンプラス,女子はグラフが強かった。この時代が一番なじみがありますな。ラケットやシューズが寄贈されておりました。
 2000年代に入ると忙しくてテニスのことがよく分からなくなっており,今となっては完全なにわかです。競馬も2000年代がかなり知識的に弱い。シンボリクリスエス以降ダメダメです。

 そして,男女シングルスの優勝カップの展示。優勝カップには優勝者の名前が刻まれていくのですが,回数を重ねすぎて刻む場所がなくなり,男子は2009年,女子は2016年に台座がつくられて,そこに名前を刻んでいくことにしたようです。台座も遅かれ早かれ埋まるでしょうから,そのあとはどうするんでしょうかね?台座の台座をつくるのでしょうか。





できたての台座の工程

 というわけで,博物館見学終了であります。クロッケーについて知れたのが最大の収穫かもしれない。


ウインブルドン敗北記その1その2


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