シャカノナミオカ(浪岡城登城)

 てことで,大釈迦から浪岡に車を走らせます。昼休みの1時間のうちに浪岡城を攻め落とさねばなりません。まあ,馬力大会の雰囲気は分かったし(とにかくアウェー!!),特に馬名を教えてくれるわけでもない(出走馬になかなか愛着を持てない)ので,多少遅れてもいいっちゃあいいんですが。
 まずは浪岡城に関する資料があるとされる,青森市中世の館へ。なお,ここと浪岡城が隣接してると勘違いしてたことはここだけの秘密です。なんのために事前に情報収集してるんですかね。

 で着いてみると……。なんか,おもしろそうな建物が見えます。が,人が見当たりません。あれれ。車が1台もいないのはさすがにいきすぎじゃないか。みんな馬力大会に行っちゃった?そんなはずなかろう。
 ……と思ったら,第3日曜は休館日でした。なんのために事前に情報収集してるんですかね。あと,休館日なのにそこそこ中に進入できちゃったんですが,大丈夫ですかね。てか,通報されなかったことを喜ぶべきか……。

 そして,びっくりしたのはこの小学校。遠目にはこっちが本体だと思ってたら,中世の館は横の建物でした。そして,この旧浪岡小学校は現在は資料館として使われているとのことです。耐震性とか大丈夫なんですかね。


ピントボケ

 まあ,結論として,時間のことを考えたらここは中に入れなくてよかった。
 続いて,浪岡八幡宮。途中まで歩いて行くことを考えたんですが,結局一旦車に戻り,ファミマで昼食買うついでに参拝することにしました。

 浪岡八幡宮で目立つのは,「泣き相撲大会」の幟。この幟,遠目に見ても相撲関係かな,と思わされるなんとも言えないカラーリングですよね。泣き相撲って,響き自体は聞いたことがありました。ここだったのか,と思ってWikipediaを見てみたところ,全国各地でおこなわれているようです。

 境内は池が左右にあって非常に気持ちいい。そして,神厩舎が2つあります。さすが馬産地青森。上の絵がなんともいえず味がありますね。それぞれ,白と黒の馬が奉納されておりました。

泣き相撲大会の幟 鳥居は工事中 由緒書 庚申 参道と左右の池
拝殿 拝殿内 日露戦役記念に奉納されたようです 泣き相撲の土俵

 というわけで,浪岡城に向かいます。ナビが若干ずれてましたが,無事到着。あれ。またも人がいない。まあ,メジャーとは言い難い城だから仕方がないな。まずは駐車場の脇にある資料室へ……と思ったら,ここも閉まってました。どうも,中世の館と休みが連動しているようです。ううむ。それにしても,ピンポイントすぎるなあ。

今日は休み! 外に向けた解説 中の解説を撮ってみた 案内図

 まあ,ここから先は休みはありません。誰でもいつでも入っていくことができます。殺人事件のにおいがしますね。

 まずは,猿楽館。ここは下から見上げるのみです。草が生い茂っているので地形はややはっきりしませんが,とりあえず,明確に周囲と区分けされた高さを持った土地であることは分かります。先ほどの解説だと,「能舞台があったのかもしれない場所」とありました。なんだそのあいまいな表現は。Wikipediaによると,ここで猿楽が開催されたことがあるようなので,猿楽がおこなわれたので能舞台があったのかもしれない,ということなのでしょう。あえて能舞台の話を解説に盛り込む必要があったのだろうか。

さあ,城域へ 猿楽館 猿楽館と東館の間の堀 猿楽館から東館方向
右の写真真ん中部分が,中土塁だろうな
東館から見る猿楽館


 で,東館。これが結構広い。浪岡城が落城したのち,一時期津軽為信の弟(守信なの?誰だかよく分からない)が代官としていた場所,とのことで,それも納得の広さと平地っぷりです。植物にはまったく詳しくないのですが,ここに植えられてるのはなんなんでしょう?ありがちに桜なのだろうか。
 で。ここには解説板があります。嬉しいですね,最初にきちんとあがれる場所に解説があると助かります。まあ,(雪の関係かな?)地面と平行になってて見づらい解説板ではあるんだけど。ただ,解説板の情報量自体はたいしたことがなく,予算の使い方に失敗したんではないかという疑問も無きにしも非ずであります。
 なお,なにゆえ新館を見に行かなかったのか,当時の自分の記憶を思い返してもさっぱり分かりません。多分馬力大会があるから先を急いでたのでしょう。

東舘到着!! 東館の様子
ぱっと見,単なる果樹園かなにかです
解説板

 東館から北館への道は,中土塁の上を歩いて行くことになります。設置されている橋が当時から同じ場所にあったのかは不明です。あったとして,どんな橋だったんでしょうかね。豪雪地帯だろうから,生半可な橋だと問題ありそうです。

東館から中土塁へ向けて
昔は川だったようですが,
今はかなり浅い
東館〜猿楽館方向の堀と中土塁
ちょっと堀と土塁の様子が分かりづらい
外郭を隔てる堀 中土塁と東館を振り返る 北館に入る橋と
中土塁と北館の間の堀
中土塁

 そして,北館に入ります。かつては家臣が住んでいた武家屋敷があった場所である,とのことです。ここだけ盛大に発掘調査されて,塀や礎石が並んでおります。この調査自体はかなり昔におこなわれていたようでして,もしかしたら青森市に合併された関係で浪岡城まで文化予算がおりてこないのかもしれない。でも,続百名城に選ばれたようでもあるし,もしかしたらもう一回調査の予算がおりてくるかもしれない。おりてくることに期待したいところですが,おりてきたところでまたここに来るかは分からんですな…。日本は広い。

外郭から北館へ ザ・虎口
もうちょっとカクカクした
形になってなかったのだろうか
中へ
やはりまっすぐには進めません
土塁の上から見渡す
通路 奥の区画 横に伸びる大通り 建物跡の展示
柱が並ぶとなにかの宗教施設みたいだ……
解説板
中世の館で復元ジオラマを見たかった…
あと,各区画に井戸があるというのは興味深い
西から東方向を見る 西館方向 北館の西側の土塁 中土塁へ渡る橋

 で,北館を抜けて,また中土塁へ。西館は,解説でも「調査していないので何があったのかわかっていません」と正直に書かれていたとおりでして,これは続百名城予算に期待するほかありません。
 それにしても,この中土塁,単に敵に歩きやすくしてるだけじゃないかという気もするんですが,やはり昔はもっと高かったり,上は平坦じゃなかったりするんですかね。これを加工していくと山中城の障子堀になるんでしょうか。

北館から中土塁へ 中土塁方向をぐるっと
草が生い茂っていて,堀の深さがよく分かりません
北館を振り返る
中土塁
草がないので分かりやすい
そして,浅い
正面は内舘
右に折れて,左に内舘,右に西館
このあたりの堀は深い 北館方向 西館へ 西館への橋から北館方向 西館

 そして,いよいよラスト。内舘です。ここが本丸にあたる場所であったとのことであります。
 内舘は東館と同じように,木が茂っております。というか,西館はなんであんなに平地だったんだろうか。調査してないから下手に木を植えると地下の遺構を破壊するかも,っていう考えなのかな。

西館から内舘に向かう橋を見る 西館の南側
魔境であります
中土塁の先端からぐるっと
内舘へ
ここも虎口
内舘まわりの堀
そして,向かって右(南西)側は魔境です
内舘への坂から西館を見る 内舘
内舘
これだけ見ると単なる公園ですね
内舘へ上がる南側の坂
これは昔からこんなのだったのかな?
解説板
堀は往時より2メートルほど浅くなってるみたいですね
南側から内舘

 と,いうわけで,満足したので大釈迦馬力大会に戻りました。
 が……14時10分ころに戻ったときには明らかに逆方向の人の流れができておりました。既に書いたとおり,馬力大会は終わっていたのでした。念のため,車を停めて会場に行ってみたけど,撤収モードでした。ううむ,午後の部が13時30分に始まって,14時には終わっているとは……。これは予定外でした。
 まあ,観光協会主催のイベントだったらタイムスケジュールに文句の一つでも言いたくなりますが,馬主さんによる馬主さんのための大会なのは明らかなので,これは仕方がありません。
 14時に終わると最初から分かってるなら浪岡を後回しにできたんでしょうが,仕方ありません。中世の館とかがオープンしてたら,なお時間不足になってただろうし……。

 とりあえず,ニワカ庭園マニアとして,この日の最後の目的地,盛美園へと向かいます。


大釈迦馬力大会盛美園


旅行記TOPその他テーマ