トネノマエバシ

 利根川,というと,言うまでもなく日本で川の長さ第2位に位置する,極めて有名な川です。この利根川が江戸時代以降思いっきり流れを変えられて,かつては東京湾に流れ込んでたのに今は銚子あたりが河口になっている,というのは知っております。が。
 源流はどこにあるのか。実は全然意識してませんでした。なんとなく福島あたりかと思ってたんじゃないかと,自分の記憶を遡るのですが,なんとなく群馬だと思っていた可能性もあり(吾妻峡八ッ場ダムに行ったとき,これを利根川水系だと意識したかどうかはちょっと記憶にない),結論を知ってしまった今となっては真相は闇。とはいえ,茨城栃木を突き抜けて群馬に行くというイメージはやはりあまり湧いてないので,多分栃木を上っていって福島,という程度の意識だったのではなかろうか。
 利根川の東遷については,Wikipediaよりも国交省のページが分かりやすい。今更ながらに気付いたんですが,千葉って利根川と江戸川で区切られてるんだなあ。定義的には島とは言えないみたいだけど。

 とまあ,自分の記憶をさぐりつつ。前橋という場所は,もちろん競輪場がある場所,しかも寛仁親王牌開催地・ワールドカップ開催地として非常に有名な場所であることは知っております。また,戦国時代末期に遡れば滝川一益がここに入って本能寺後に撤退した,ということも知っております。旧名厩橋ですな。そしてそして,毎年元日恒例のニューイヤー駅伝のゴール地点が前橋にある群馬県庁であることは当然知ってます。
 んで。時間が合ったので前橋競輪に突撃がてら厩橋城趾を見よう,という日帰り旅に出ました。なお,前日は実は水戸におりまして,そこにいるなら茨城の城跡を巡った方が時間の有効活用という意味では有意義だったのではないかという疑問はあるにはある。しかしまあ,前橋競輪場に行く機会はそんなにないからな。

 てなわけで,水戸→上野→前橋という,なんか意味の分からない移動経路で前橋入りしました。
 こうして実際に前橋に行くまでまったく気付かなかったのですが,新幹線が高崎に停車することもあってか,東京から電車で行こうとすると前橋という場所は微妙に不便。今回は普通列車(但し疲れ果ててたので寝たくてグリーンを使った)で乗り込んだんですが,JR的交通の拠点は明らかに高崎でした。競馬場のない高崎を拠点にすることに一体何の意味があるのかさっぱり分かりかねますが,とりあえず新前橋駅はさておき,前橋駅に行こうと思ったらかなり大変だということが判明したのでした。まあ,県庁はどっちからも遠いみたいで,そのあたりはまあ東京圏以外はそんな感じですよね。あとで分かった話ですが,競輪場への無料バスは新前橋起点,普通のバスは前橋起点になってるようです。前橋と新前橋,名前からして新前橋の方があとにできたんだろうけれど,地元利用者的にはどういう関係なんでしょうかね?
 まあ,今回は普通列車が新前橋行だったので,新前橋を旅行の拠点にしました。拠点,というのは,新前橋のコインロッカーに荷物を突っ込んだ,という意味です。最後はここに帰ってこないといけないわけですな。


新前橋駅の跨線橋からの眺め

 新前橋駅からまず向かいますは,総社神社です。最近あまり寺社巡りもしてないなあ。

 さて,この総社神社には,蒼海城の案内看板が設置されておりました。ザ・内陸の群馬において海と名のつく城があるとは。まあ,事前にきちんと予習してくればよかったんですけどね。毎回毎回こうして予習不足を後悔(公開)することになるのです。
 それはそれとして,総社神社はきれいに整備された立派な神社でした。また,重文指定の文化財があったり,道祖神が並んでいたりと,歴史がある神社だけあって地元のいろいろなものが集積しているようです。

鳥居 推定復原図 略記 境内 鳥居 拝殿。市重文
酉年! 文化財案内 ケヤキ 総社町周辺の文化財 蒼海城案内
宮司さん作です
御霊神社 御霊神社脇にありました
奥の塔はなんか仏教さを
感じますが,手前のは
一体なんでしょう?
舞台 本殿。県重文




彰忠碑 宝塔 裏には多くの社が 道祖神が多数 あまだれ石 天狗岩用水

 で,周辺の文化財案内を見て,国分寺跡地まで行くべきかどうか迷ったのですが……時間的にも体力的にも,とりあえず今回は城巡りだけで終わらせることにしました。
 というわけで,蒼海城跡へいくことにします。「蒼海城跡」はGoogle Mapにも表示されておりますので,それを目指せばOK。Google Mapに表示されるレベルの城跡なのだから期待できますね。

 てことで,Google Mapの表示箇所に接近。道路脇がなんとなく土塁っぽい雰囲気です。本当にこれが土塁の跡なのかは不明。
 そして,Google Mapで「蒼海城跡」とある場所に行こうと思ったんですが……どうも立ち入っちゃいけない雰囲気。あれれ。Google Mapさんはなぜここを指定したんだ。

 脇には,庚申塔や猿田彦大神の石碑がどかどかと。おそらく,区画整理か整地かなにかをして,捨てるに捨てられない石が一箇所に集められているのでしょう。これは将来的に御霊神社まわりに並ぶのか,総社神社まで持って行くのか,あるいは整地後もとの場所に戻すのか。ネットを検索していたら,ここには庚申塔がきちんと飾られていた様子が見て取れました。また,あわせてここをみても,御霊神社が森の中にある姿がみてとれるので,このあたりは昔はずいぶんと違った雰囲気だったのでしょう。

 そんなわけで,脇にあった御霊神社に参拝。事前に予習していった訳ではないので,ここがどういう場所なのか全く知らず。由緒書には武田氏が蒼海城を獲ったときに,城も神社も跡形もなく破壊されたような書きぶりです。また,「境内の千庚申」という表記があるので,やはりさっきの庚申塔軍団は境内にあったものだな。

Google Mapさんの「蒼海城跡」のまわりを歩く 「蒼海城跡」はおそらくこの台地の上。これは昔の曲輪の跡なのか,現代に積み上げられたものなのか
一箇所に集められた庚申塔やらなんやらかんやら 御霊神社 由緒書

 てなわけで,蒼海城跡はこれ以上探っても無駄だと判断し,反転。とりあえず,地図上に名前の出てる神社に立ち寄りつつ昼食地点と前橋城を目指します。

 そんなわけで,歩いてたら唐突に登場する高い木が印象的な,宮鍋神社。
 ここも何も知らずに立ち寄ったのですが,なんと上野国府がこのあたりにあったとか。これだけだったら「へー」とか「ふーん」とかで終わる話なんですが,この上野国府,平将門とゆかりのある場所なのです。平将門は,上野国府を落として,新皇を名乗ったというわけですな。将門さんといえば,茨城県のイメージが強すぎて,そういえばこのあたりでも奮闘していたことを完全に忘れておりました。う〜む,もう1回将門の大河ドラマやってくれんだろうか。将門主役だと風雲虹とかぶってダメなら藤原秀郷でどうでしょうか。ああ,そういえば唐沢山城に藤原秀郷関係の神社があったなあ。それにしても,もう少し将門関連の展示とかなにかあってもいいんじゃないですかね。
 なお,こちらによると,どこかに城趾碑があったっぽいですが,既に撤去されたのか,単に気付かなかっただけなのか。

 この宮鍋神社は蒼海城の本丸付近にあったというのが下記周辺案内や,いろいろネットで検索して発見した結果の通説です。それにしては御由緒に一言もないのはさみしすぎるではないか。氏子さんたちはあまりお城には興味ないのか……。

木が目立つ 宮鍋神社 鳥居 周辺案内
見づらい……
上野国府推定復原図 御由緒 改めて木を
とにかく高い!!

 さてさて。ようやく食事です。これは前もって調べていきました。そばひろというおそば屋さんで,なぜか蕎麦を食べずに”おっきりこみ”といううどんの亜種のようなものをいただきました。でも,食べログとか見てると普通に蕎麦の評判がいいんだよな。福田元総理もお気に入りのようだし。まあ,気にしないことにしよう。

おっきりこみ 下仁田ネギの天ぷら にのきん 日々の実践 そばひろ

 てなわけで,順調に昼食までのタスクをこなしました。満足満足。後半へ続く。

前橋その2


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