ヒメノカンセキ(宇都宮競馬2021・前半)

 ときは2021年3月下旬。ふと、「日曜日なにしようか」と思い、適当にけんさくしてみたところ、愛媛FCがアウェイ栃木SCと対決することが判明しました。サポじゃないので認識としてはこの程度です。
 栃木SCの試合がおこなわれるのはカンセキスタジアム。このスタジアムの存在は去年、レディースの皇后杯の2回戦だか3回戦だかがおこなわれるということで一応認知はしていました。どうも新しいスタジアムのようで、これは是非行ってみたい。ということで、チケットをゲットしたのでありました。

 で、場所を検索したところ、宇都宮の南にあります。……あれ?これって宇都宮競馬場の近くじゃない?宇都宮競馬場ってこのあたりになかったっけ?という疑問があたまをよぎりました。こういうのはもう巡り合わせというかキセキというか、そういう偶然ですね。
 そして……ビンゴでした。ビンゴビンゴビンゴカンタ。そう、カンセキスタジアムは宇都宮競馬場跡地に建てられたスタジアムだったのです!!(何を今頃騒いでいるのかと笑わないでください)

 となると、ことは重大。やるべきことも変わってきます。サッカーは二の次。宇都宮競馬場跡地に行かずしてなんとする。

 そして。サッカーは2時からなので、その前に競馬場まわりをウロウロすればいいとして、午前をどう過ごすか、が論点になります。もちろん、選択肢の1つとして朝一で自宅を出発するというのもありますが、せっかくなので宇都宮に前日入りして(土曜日は仕事なので夜にしか入れない)どこかに行きたい。としたときに、選択肢としては「宇都宮の(あるいは栃木県の)博物館に行って競馬場(ついでに競輪場)の痕跡を探す」というものもあったのですが……いかんせん公共交通機関でしか動けない+早起きは苦手なので、ちょっと時間的に苦しい。

 という感じに自分の中で思案に思案を重ね、「宇都宮市立図書館で競馬場の残骸を探してから競馬場跡地をうろつく」という、JTBには絶対思い浮かばないであろう旅行プランをくみ上げたのでした。これをやってるのが水曜か木曜ですから、「お前平日に仕事してないだろ」と言われてもぐうの音も出ません。

 で、まずは図書館です。OPACで適当に「宇都宮競馬」で検索してヒットした本を発掘して該当箇所をコピーするという、まあ特になんてことの無い作業です。なお、ネットの海の中を検索していたところ、レファレンスサービスにおいて、2012年に「宇都宮競馬場の歴史について知りたい。」という質問をした人がいることが判明しました。その方から遅れること9年、私も宇都宮競馬場の歴史を知るために図書館に乗り込んだわけです。

ようこそうつのみや 国体に向けてカウントダウン 本日の宿泊所 図書館 図書館前の池

 なお、この日の宿はかなり久々のパークプラザ宇都宮。宇都宮は他のホテルもそこまで高くないこともあり、あまりカプセルに手が伸びませんが、今回はここに。最近カプセル旅をしてなかったので、まさかの耳栓忘れという大エラーをかましましたなにやってんだか。
 そして、バスに乗るべく町を歩いていたところ、なんかジャージ姿の集団がおりまして……近づいてみたら愛媛FCの選手たちでした。朝から手ぶらで、しかも集団でなにをぶらついているのかよく分からなかったんですが、とりあえず朝から彼らに会えて縁起がよい。コロナ禍でなければ声を掛けてたところですが、まあこういう時期なのでマスクしてるとは言え声かけもせずに素通り。

 で、バスに乗って図書館です。

1 姿川村史より

 まずは「姿川村史」という本から。姿川村は1955年に宇都宮市に編入された村であります。
 ここには、宇都宮競馬場だけでなく旧宇都宮育成牧場、旧JRA競走馬総合研究所(現在は移転)についての記載もありました。今は暫定的に馬事公苑が移ってきている場所ですね。競走馬総研の沿革にも宇都宮育成牧場の名前は出てきます。なお、これは全く知らなかったんですが、JRAの日高育成牧場は元々は日本中央競馬会宇都宮育成牧場日高支所だったんですね。
 また、気になるのが「宇都宮常設グランド株式会社」の記事。なんとオートバイのレースも開催していたようです。もしこれが成功していたら、あるいはレース場が残されていたら、今の伊勢崎オートはなかったかもしれません。この「宇都宮常設グランド」で検索してもまったくヒットしないのですが、誰かこの当時の記録をネットの片隅に書き綴っている人はいないんでしょうかね。なお、場所としては鶴田駅北方数百メートルの畑中とのことなので、今の宮の原中学校やトイザらスのあたりでしょうか?これを主導した坪山徳弥氏は記念事業会による伝記も出ているようなので、これを読むともしかしたらなにか出てくるかもしれません。

 そして、最後に宇都宮競馬場。栃木には足利、大田原、小山にも競馬場があったことが書かれています。初期は駈足と速歩、のちに繋駕が加わったようですが、「騎手によってインチキ性が強く」廃止となったようです。「インチキ性」という単語は初めて見たような気がしますな。戦後は栃木県営と姿川村営の2つの競馬が施行されていたようです。元々は姿川村営だった競馬が、宇都宮市に編入された結果宇都宮市営になり、その後たどった経過は皆さんご存じの通りです。

姿川村史より抜粋。縦書きの本をどう載せるか迷ったけど、左から右にすすんでいきます。

2 陽南山地区の歴史より

 この本は大判のため、書架の中では別の場所に配架されておりました。で、司書さんに場所を聞いたんですが、あっさりと場所を教えていただきました。こんなマニアックな本、パッと「大判だから別の場所にあります」という回答が出てくるんだから司書さんは凄いですな。
 この本での宇都宮競馬場の扱いは見開き2ページ。簡潔にまとまっておりますが、簡潔にまとまりすぎているので新宇都宮競馬場を巡るドロドロなどは完全にスルーされております。まあ、そういうドロドロには興味がない人の方が多いのでしょうから、こんなもんでしょう。

陽南山地区の歴史より抜粋

3 西川田東部自治会史より

 西なのか東なのかはっきりしてほしくなる自治会名です。自治会史なんて、いったい誰がどう予算をつけて誰が執筆して誰が編集して誰が発行するのか、本当に不思議ですが、こうして自治会史が書籍化され、それをありがたがるNPのような人間がいるんだから、つくる価値はあるのです。
 この本が出たのは平成3年ですから、市営競馬が赤字になる平成5年の2年前。まだギリギリ黒字の時期です。

 最初は姿川村史からの抜粋。「姿川 村史」とあるので、名字が「姿川」で名前が「村史」の人が書いたんじゃないかと錯覚しそうになります。そんな偶然は無いでしょう。さっき姿川村史を見た私の目はだませません。
 続いて、副会長の庄子守さんが書かれた「競馬場について」という文章です。後で引用するとおり、宇都宮競馬場の厩舎は外厩舎という制度をとっていて、住宅地の中に厩舎が点在するというなんともビックリなシステムでありました。そのため、庄子さんが厩舎建設によって井戸水が汚染されることを恐れたのも当然といえます。

 できれば調教師さんや厩務員さんも執筆陣に加わってくれてると本としての読み応えがあったんだろうと思うんですが、残念ながらこれでおしまい。あとからやってきて馬糞と騒音と匂いをまき散らした厩舎関係者は自治会的にはトラブルメーカーでしかなかったのかもしれません。まあ、自治会的にはそんなことよりも上下水道が整備されたことの方が重要なのは分かります。

 その代わり、なぜかここでパンフレットのコピーが入ってきます。これはこれで歴史の一ページという感じで嬉しいんですが、なぜこれが引用されたのか、本を作るための嵩増しじゃないかという気もしますし、どうせ引用するならもっと別のものを引用してほしかった、というのが本当のところです。とはいえ、この頃のとちぎダービーとしもつけ大賞典の1着賞金が1500万円であることが分かる、貴重な資料となっております。
 なお、資料という意味では写真の多さも嬉しいんですが、写真の説明として「競馬場施設 正面スタンド I」と「競馬場施設 日本庭園 II」の「I」と「II」の場所は最後じゃなくて「競馬場施設」のあとが正解でしょうね。なんにせよ、ポニー牧場があったことや、引用されているスタンド写真の観客数の多さなど、見ていて大変に興味深い写真です。

西川田東部自治会史より抜粋。これも左から右にすすんでいきます

 本のコピーが終わったので図書館を出ます。

4 南宇都宮駅〜西川田駅

 南宇都宮駅は駅舎が大谷石でできていることで有名な駅です。まあ、写真を撮っておしまいなので、だからなんだ、ということになってしまうのですが……。旅行者的にはこういうイレギュラーな駅があると嬉しいのは嬉しい。
 大谷石といえば、大谷資料館に行ったのは2013年のこと。月日が経つのは早いです。かつては大谷石の採石場まで鉄道が延びていたようで、やはり鉄道というのはこういうのとは切っても切り離せません。今頭の中に思い浮かんでるのは西武多摩川線だけだけど。
 素人的には、東武宇都宮線というのはなんで単線の貧弱な電車なんだろう、と昔から不思議だったんですが(東武というのはアウェイな電車なのでよく分かっていない)、そもそもが旅客輸送目的の電車じゃなかったりするのかな。

東武宇都宮駅。図書館からは歩いて行けます 解説。主として東武鉄道と大谷石の関係について
駅構内 ホームから駅舎 トイレも大谷石です 駅名板

 そして、電車は西川田に到着。電車には栃木SCのグッズ身につけた方々も多くおられました。サッカーはあとでかわいがるのでちょっと待っててね。まずは競馬場跡地なのです。

西川田に到着 ホームは広いです がんばれ!栃木SC
愛媛のお迎え文言は特になし
改札
改札から振り返ったところ ポスター 競馬場(カンセキスタジアム)は
東口になります
が、私は西口に向かいます
東方向を向いた写真
西口に出ました


 西川田につきました。さあ、競馬場の痕跡を探す旅に出ます。


5 宇都宮競馬場跡地めぐり〜参考情報と外厩舎

 競馬場の跡地巡りをする際の行動パターンは、城の跡地巡りをする際の行動パターンとほぼ同じです。
 事前に色々と検索して、参考サイトを発掘。それを参考にしつつ、現場では気分で適当に行動(あとで参考サイトを振り返って見落としてた場所の重大さに愕然とすることが多い)という感じです。私の旅のモットーは入念な準備に基づくいい加減な行動、であります。入念に準備することで、現場でいい加減な行動を取っても死なないようになるのです。

 今回参考にさせていただいたサイトは主として4つ。なお、当然ですが廃競馬場レポートさんはいの一番に見てます。
 mj・hさんのサイト(2009年)
 楽天競馬より大川充夫さんのブログ記事(2019年)
 小馬太郎兵衛さんのブログ(2007年)
 ギョウザマスターさんのブログ(2016年3月)

 その他、2021年4月時点で宇都宮競馬場まわりについて触れているサイト。
 芝生と砂の上でさん(2010年1月)
 おやじ牧場さん(2008年7月)
 300724さんのブログ(2006年4月)
 はたとせさんのブログ(2015年11月)
 ケン坊の日記さん(2010年2月)
 144ヒコーキ工房さん(2014年6月)
 恵比寿ファーム マスカッツステイブルさん(2010年9月)
 花と家庭菜園そして人生の言葉さん(2012年1月)
 ラインの日記帳さん(複数記事あり。2017年1月)
 鉄と馬と本の日々さん(2005年9月)
 うまのてさんのブログ(2010年)

 営業していた時代の宇都宮競馬場に触れているサイト
 競馬ブログオケラセラさん(2005年3月)
 GROOVE & BEBOPさんのサイト
 新・サラリーマン馬主への道さん(2000年12月)
 みんなのお馬さん(2004年11月)
 おけらの花道さん
 帯に短し襷に長しさん(1999年8月)
 けいばじょうでぐるめ?さん
 オボ山薄化粧さん
 Dangerousさんの競馬放浪記より(2004年11月)
 となりのニトロさん(1999年7月)
 さんきちのしもこま〜ずさん(2002年2月)
 うまのてさん(2001年7月8日ブライアンズロマン引退式)
 しんぼみつよしさん(1999年8月)

 なお、私NPの旅行記もあることはあります(2003年)

 三条競馬に行ったときにもある程度のネットサーフィンをしましたが、そのときはどこまで深く検索したかな。あまり記憶にないけれど、今回ヒットしたサイト数はそれなりに多いかな。当然漏れも多いかと思いますがあくまで私のGoogle検索の結果ですので、記帳なさいとが抜けていた場合はご容赦を(ちなみに、自分の旅行記も写真部分は出てくるけど本文部分は引っかからなかった)。


 そして。この中で一番気になるのが、大川充夫さんのブログにある外厩舎の存在です。正直ビックリです。住宅地に厩舎が点在していたなんて!!私が宇都宮に行ったのは右も左も分からない大学生のころだったのですが、これはきちんと見ておくべきだった。もしタイムマシンがあったならば戻りたいポイントの1つです。
 そして、これ、裏返すと住宅地の中にウマがいて音は出すし臭いは出すし、そりゃまあある意味迷惑施設だよなあ。競馬場それ自体も迷惑施設だと思うし、なんというか、新競馬場構想が宇都宮の死期を早めた説は強いけれど、新競馬場構想が出る背景にこの外厩舎の存在もあったんじゃないかと思わされます(あとでみつけたこちらのブログを読む限り、実際外厩舎がかなり問題だったみたいですね)。もともと宇都宮のこのあたりがニューマーケットみたいな「馬の街」ならよかったんだろうけど、どう考えても馬があとから入ってきてるものな。


後半へ続く



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