カメノトウコウ

 愛知県、特に知多高浜あたりの地域では、「おまんと」という馬を使ったお祭りがおこなわれております。
 このお祭りの存在を知ったのは2023年のこと。たまたま『じゃじゃ馬ジョッキー: 幻の少女騎手TOSHIKO』という、渡辺年子騎手が書かれた本を読んだことに端を発します。渡辺騎手は女性としてJRAの騎手を目指し、その夢が破れてからもオーストラリア・地方での騎手を目指されたというもの凄くチャレンジ精神にあふれた方であり、この本自体、とりあえずまずは読め、という感じの素晴らしい本です。藤田菜七子騎手あたりが宣伝したらパッと広まりそうですが、そういう空気感にはならなさそうです。
 で。この本には、かつて渡辺騎手がかかわっていた東海地区の草競馬の話が出てきます。例えば、高棚、豊川、高浜、碧南などで草競馬が開催されていたようです。気になりますね。もしかしたら実は今でもやってるんじゃないか、と思って検索してみたところ……出てきたのが、おまんとに関する情報でした。

 この本での「草競馬」と現在おこなわれているおまんととの関係ははっきりしませんが、とりあえず令和6年、2024年におこなわれているのは、おまんとです。こんなお祭りが、大々的におこなわれているのに今まで知らなかったとは!
 というわけで、行きたくなるわけですが、秋シーズンは色々とバタバタして忙しく、春にもやってたりしないかな、と検索したところ見つかったのが2カ所。半月七社神社でおこなわれる半月七社神社おまんと祭りと、平地神明社でおこなわれる平地神明社駆馬祭りです。
 ちなみに、平地神明社でおこなわれる駆馬祭りは、様々なサイトによって表記がブレブレであり、「駆馬祭り」であったり「馬駆け祭り」であったり「馬駈け祭り」であったりします。ここまでぶれるんだったら「おまんと」で押し通せばいいようにも思いますが、そうもいかない事情があるのでしょう。

 で、色々とリサーチをした結果、それ以外の観光地を巡ることを考えると平地神明社のおまんとが都合良さそうだったので、こっちに行くことにしました。

1.名古屋へ・中央線階段

 名古屋へは夜行バスを利用しました。我らがグレース観光(最初から座席が倒されているという素晴らしいバス会社)で乗り込みます。
 びっくりしたのが、やけに若い女性客が多かったこと。何があるのだろうと検索したところ、おそらくこの日名古屋でおこなわれるSixTONESのドームツアーが犯人なのではないかと推察。
 ちなみに、ナゴヤドームって今はバンテリドームっていう名前になってるんですね。野球界から離れて久しいですが、もはや球場名すらも分からなくなりました。

バスタから出発 午前5時に到着しました 女性客が多かった 多分これが犯人

 デニーズでちょっと時間を潰して、目的地へと向かいます。
 その前に、名古屋駅の中央線階段を見ていきます。この中央線階段は戦争遺跡として有名で、どうやら灯火管制が敷かれた際に足下を照らすために蓄光タイルが使われているとかなんとか。デイリーポータルZこちらのブログなど参照。検索するとたくさん出てきます。
 名古屋駅は混んでいるので普段はのんびりこんなところを見ていられませんが、日曜朝なら人も少ない。今がチャンス。

中央線にそれがある あっさり発見しました こんな感じに残っております 反対側も 上まで続いています

 てな具合に目的物を見つけられたので満足です。ほかの方も疑問を出しておられますが、なんでこの7/8番線階段にだけ残されているのでしょうかね。

2.亀崎駅へ

 亀崎まで電車で向かいます。
 亀崎駅は、Wikipediaによると、日本最古の現役駅舎とされているようです。最古の現役駅舎がこんなところにあったとは!

亀崎まで600円 名古屋駅を出発します
大府で乗換え 亀崎に到着 時刻表
跨線橋から駅を見下ろす 駅舎内 駅舎 日本最古と言われる
亀崎駅舎

 ちなみに、若干奥まったところに駅舎があって、駅に向かって右手に木があって……という雰囲気は、こののちに行ったスリランカのナヌオヤ駅に近いものがあるな、とあらためて写真を見ていて思いました。

3.亀崎街歩き

 まだまだ時間があるので、平地神明社とは線路を挟んで反対側にある神前神社へ向かいます。
 神前神社は、亀崎潮干祭という、ユネスコ無形文化遺産に登録されているお祭りがおこなわれる場所として著名であり(但し、私は当然現地に行くまで知りませんでした)、それを紹介する石碑やら案内板やらが目立ちます。

駅前にあった案内板 周辺案内図 亀崎公園にあった
ユネスコ無形文化遺産の石碑
あらためて地図
駅前とは上下反転

 そして、道路沿いの建物には趣のあるものが目立ち、このあたりが古くから賑わっていた街であることが分かります。
 この商店街にある望洲楼はWikipedia記事があるレベルの伝統と格式ある料亭で、庭は重森三玲の作庭のようです。この時点ではそんな情報は皆無でしたので、ちょこっと写真に撮ってスルーしています。

特徴的な建物が並びます
祭礼時にはこの道を山車が通るらしいですね
大師道
山車の格納庫 奥に望洲楼 こちらも山車の格納庫 こちらのお店では祭りまでカウントダウン

4.神前神社

 神前神社に到着。
 おそらく山車が並ぶのであろう意味ありげな駐車場スペースに、色々な石碑や案内。さらに階段にもお祭りの案内。

由緒 鳥居 潮干祭の石碑
こちらは大村県知事の名前入り
有形民俗文化財
山車 5台
加農砲とはカノン砲のことのようですね 読めなかった 重要無形民俗文化財の案内
花王車 神楽車 力神車 青龍車 宮本車

 そして、上に到着。まずはお参り。

大辰の絵馬 鳥居 拝殿 山車の絵が奉納されておりました

 摂社として天満宮があり、境内に菅原道真の石像がありました。

天満宮 神の井
道真公
子牛 神馬
亀崎勝景の碑 しおり

5.亀崎城跡

 神社からさらにのぼっていくと、亀崎城跡です。
 のぼっていくと、右手に観月亭跡という櫓台的な場所があります。いかにも櫓台・物見台っぽい眺めの良さなのですが、色々検索しているとここは公園化に際してつくられた場所のようです。
 登り道の正面には、これまた櫓台的な場所があります。観月亭との間を登り道が突っ切るかたちになり、これがいかにも虎口っぽい。しかし。この櫓台的な場所に立っている石標を見ると、「神宮遙拝所」とあります。櫓台を遙拝所に転用したのか、それとも遙拝所のために土を盛ったのかは私には分かりかねますが、まあここを櫓台としておくと夢が広がるので、櫓台ということにしておいていいのではないでしょうか。

 駐車場として平地に整備されているスペースも、スペースだけ見るとかつてここには色々な屋敷なり建物なりがあったんだろうなあ、と思ってしまいますが、後世になって人工的に(いや、そもそもの城ももちろん人工なのだけど)整地された可能性も高そうですね。

のぼります 上り階段 右手に観月亭の台 正面にも櫓台的なもの 2つの台の間を抜ける
正面の台 観月亭の台 台の上 観月亭にあったのでしょうか?
観月亭からの眺め パノラマで 観月亭から通路を見下ろす 観月亭から遙拝所方向
さらに観月亭の台から
遙拝所方向を見る
石塔があると思ったら、神宮遙拝所でした 神宮遙拝所からの眺め
この方向に神宮があるのでしょう
亀崎城の曲輪?から観月亭〜虎口〜神宮遙拝所 パノラマ
亀崎城跡石標 句碑

6.東光寺

 続いて、東光寺へと向かいます。東光寺は、弘法大師像が多数鎮座していることで有名。詳細は例によって珍寺大道場さんを参照中日新聞でも取り上げられております

 この寺へは、亀崎城跡の裏の坂をのぼって下りて進んでいきます。このあたりの坂には名前がつけられているようで、城の裏手の坂はお城坂、そこから北に向かうのが行者坂。お城坂の最高到達点の峠には、次郎長峠という名前がついているようです。
 亀崎城を考えたときに、この峠から城をすぐに見下ろせるような状態はいいとは思えないので、亀崎城の何かがこの峠周りにもあったのではないかと思ったりもしますが、素人の私にはなにも分かりません。

お城坂と亀崎城を見下ろす 見上げる
坂の名前の案内も出てます
次郎長峠 峠から亀崎城を見下ろす

 そして、東光寺に到着です。こちらも丘の上のいい場所にありました。
 知多四国霊場、すっかり存在を忘れてましたが、かなり信仰心の篤い霊場であることは今回旅行していて分かりました。霊場の人気不人気ってどういうところからでてくるんでしょうかね?

弘法坂を上ります 俳句でハイク 東光寺に到着

 で、さっそくお参り。噂の弘法大師様がおられるお堂はすぐに見つかりました。
 中に入ると……おお、凄い。狭いお堂にびっしりと弘法大師様。
 事前に勉強していなかったのですが、どうやらこれは年弘法と呼ばれており、弘法大師が生まれてから入滅するまでの様子を1年1体の像であらわしたものであるとのこと。そして、弘法大師の様々な伝説・伝承に基づいて像が造られているとのことです。また、像がかぶっている頭巾は参拝者がかぶせたものだとか。
 この東光寺自体、中村誠感さんが和歌山から移して建立したお寺のようで、その際に62体の弘法大師像を奉納したようです。誠感上人と呼ばれるこの方は中日新聞によると農家の方のようですが、どういう経緯でここにお寺を移すことになったのか、そしてどうして上人にまでなったのか、大師像は誰に発注したのか、なぜ浄土宗の寺院に帰依しているのに弘法大師なのか、など色々と不思議なことがあります。まあ、細かいことは気にしても私には分かりません。
 とにかく、一部焼失したとはいえ、今もこれだけの弘法大師像が奉納され、篤く信仰されているというのは素晴らしいことで、このまま当地で長く信仰が続くといいなと思ったのでした。
 惜しむらくは、私に知識がなさ過ぎて、それぞれの像がイメージしている弘法大師の姿の意味がよく分からないことであります。

 そういえば、「なぜ知多半島に四国霊場?」という疑問もあったのですが、とりあえず知多四国霊場の公式ページに説明がありました。ここからこんなに今も行きた霊場に発展したんだから凄い凄い。

びっしりと弘法大師様 新聞切り抜き 解説
赤ちゃん時代から年弘法像がならびます、
続き 境内 こちらが大師堂

 そんなこんなで、東光寺参拝を終え、いよいよ平地神明社に近付きます。


平地神明社のおまんとへ


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