ロシア旅行記その2

 2日目。
 とりあえずシャワーを浴びます。温かいお湯がちゃんと出てきます。寒いロシアではお湯が出ないと冬に大惨事になるんだろうな。

 朝食はビュッフェ。サケが果てしなくおいしそうで心惹かれるわけですが,いろいろと怖いのでこの日は数切れ。大丈夫だったら最終日にどか食いしよう,と決意。その他は適宜火が通ってそうなものを食します。

QBの髪吸取り機
みたいなドライヤー
朝食

 さて。朝食をとったところで出発です。既に現金と地下鉄回数券は入手してるので,もはや怖いものなしです。
 地下鉄のパルチザンスカヤは、電車の方向でホームが違います。自分がどっちに乗ればいいのかおっかなびっくり。なにが恐ろしいって、全く英語対応していないこと。かつ,ロシアのキリル文字なんて全く読めませんので,とりあえず都心方面の駅の文字を数文字覚えて,そっちに行きそうな電車がくるホームかどうかをチェック,という流れをとります。ううむ,これは疲れる。結局,慣れるまで(慣れても)基本的には電車を1本待つことが多く,ちょっと無駄な時間が多かったな。しかしまあ,電車は基本的に3〜5分に1本は来るので,そこまでフラストレーションはたまらず。

 さて,無事クレムリン方向の電車に乗りました。
 3号線は,ドアの上に駅名表示があり,そこにはアルファベットの駅名表示もあったのでそこまで困りません。
 電車自体はそこそこの混み具合。ですが,日本の押しくらまんじゅうほどの混雑ではありません。ロシアのサラリーマンの労働時間が何時から何時までなのか分かってないので,狙って混雑を外すことができないのがあれですが。

 しかし,電車に乗っていて大事なことに気付きました。降りる駅が分かってない!
 アホですね。電車の中でガイドブックを取り出す勇気もないので,いったん大きめの駅(クールスカヤ)で降りてホームから人が減るのを待って歩き方チェック。なんだ,あと1駅乗ってればよかったのか。
 そんなわけで,目的の「プローシャチ・レヴォリューツィ」なる駅で降ります。駅名が長い上に意味が分かりません。読めない・長い・意味不明と3拍子そろうと,記憶力が働かないですね。というか,この駅名自体今これを打っていて初めて全部読んだ気がします。現地では「クールスカヤの次の長い名前の駅」という覚え方しかしてませんでした。ちなみに,ロシア語のПがPであることは旅行3〜4日目くらいにマスターした気がします。パルチザンスカヤの頭文字だから覚えるインセンティブは高いんだけれど。あと,キリル文字のПがPでРがRだというだまし討ちはなんとかならんもんでしょうか。

駅出口 なんとなく教会っぽかったので撮影
多分バガヤーフレンスキー修道院です
旅行の後半だったら入ってみたかもしれないけれど
初日はそんな余裕なし
フェラーリやらブルガリやら

 さて,駅から地上に出たのはいいとして,現在地が分かりません。地球の歩き方で丸にMと書かれている場所が正確に出口を指しているのかもよく分からず(なにしろメキシコで到着早々やられた痛い経験もあるし。結論として,ここに限らずそれなりに正確に指していたような気がする),とりあえず文字通り右往左往。中間的な結論として,目の前にあるピンクの建物がバガヤーフレンスキー修道院で,現在小道にいるんだろうと認定。目的地は裏手の赤の広場なので,とりあえずちょっと道を歩いてみることにしました。
 地図的には,突き当たりを左に曲がればカザン聖堂方向に行くはずなのに,なぜかここで右に曲がったせいで(右の方がなんとなく人通りが多かったのです…)遠回り。ううむ,なにやってんだか。

 で,予期せずちょっと町歩きをすることになったのですが,石畳で,なんとなくの感想として,「中欧(プラハ)よりもちょっと道が広いけれど,雰囲気は似ている」という印象を受けました。
 ただ,中欧については復習(旅行記作成)を怠っているので完全に記憶が散漫になっております。これは正直今回の旅行に関する失敗の1つ。別に比較文化論を語るつもりがあるわけでもなく,なんとなくきちんと比較できてたら楽しかっただろうな,というレベルですが。

 さて,しばらくして,大通りの向かいになにやら立派な建物発見。どうも,これこそがかの有名なボリショイ劇場ではないかと思われます。と,いうことは,自分はその向かいのよく分からない広場にいるということになります。ちょっとベンチに腰掛けて地球の歩き方を確認。人通りの少ない朝の広場で,こうしてベンチに腰掛けて町行く人を眺めるのは,日本ではなかなか経験できないことなのですが(なんせいつも朝が遅い),旅先で観光前にとる行動ではないよな……。掃除係の人が掃除をしております。人件費は誰が払っているのだろうか……。実は共産党のスパイだったりするのか……などと妄想が広がりますが,そんなことやってる場合じゃないよなあ。
 それにしても,ここに至るまで自分の居場所が半信半疑なのであります。ううむ,なんとか自分の所在をはっきりさせたいものなのですが……。
 地球の歩き方を再度鞄にしまい,ちょっと公園を探索。奥に銅像があったので気になっていたのです。が,そこに先客の若い現地人が2名。「銅像を写真に撮りたいからどかないかなー」と,ちょっと離れてぼーっとしていたところ,その2人に呼ばれます。呼ばれるままにホイホイ向かっていくと,携帯電話を渡されます。てっきり写真でも撮ってくれと言われるのかと思ったのに。で,こちとらロシア語を話せませんので,2人と全く意思疎通が出来ません。とにかく笑いながらボディーランゲージで「おらなにいってんのかわがんね」という動作をして(但しロシアにおけるボディーランゲージとして意味が通じていたかは不明),携帯を返して退散。
 結局彼らが僕に何をやらせようとしていたのかは謎なのでありますが,まあとにかくこんな感じに第一ロシア人との交流は終了。なお,彼らがなんか下に置いていた缶が酒の缶だったように見えなくもなかったので,単なる酔っ払いだった可能性も否定できません。

ボリショイ劇場? 公園と噴水 なんか分からんけど撮ってみた テント

 さて,こうして銅像から離れて,仕方がないのでテント村のなかを抜けて進んでいきました。
 すると……ガイドブックで見た建物を発見!!ここにきて,ようやく,自分の居場所に確信を持つに至ったのでありました。

 これですよ,これ。ヴァスクレセンスキー門(注:現地にいたときは「有名な門」としてしか認知してなかった)です。初めて見たときの安心感と嬉しさといったらなかったです。旅先で自分の居場所を見つけられるって嬉しいものです。結局,モスクワ旅行中はすべての日にこの門を見ました。この門はある意味モスクワでもっとも愛着の出来た建物かもしれない。

ヴァスクレセンスキー門!! 左は……なんだっけ 中欧にヴァスクレセンスキー門 右は歴史博物館 正面から博物館
馬上の人物は誰だろうか

 さて,そんなわけで居場所を確認したので,本格的に観光を始めます。とりあえず,門をパチパチ。
 門にもイコンが飾られております。あと,門や建物の色は煉瓦の色ではなく,上からペンキで塗ってるんですね。共産党崩壊後,赤から違う色にしよう,という話は出なかったのかな?
 そして,門の外部が装飾されているのに,門の中の通路自体は白く塗られてシンプルでありました。まさしく単なる通路。これ,左右に兵士の隠れ場所があるようにも見えませんし,上部から攻撃するための構造というわけでも無さそうで,実際どういう意図の門なんでしょう?

公衆トイレ
店番の人にお金を払う方式
門の下には礼拝所 門の上部にはイコン 通路には特に装飾なし 反対側 中央部のイコン

 そして……門を抜けると,そこは,赤の広場でした。
 ソ連という国はもちろん知ってますし,ソ連が崩壊したのは自分が小学校中学年の頃なので,「ソ連」という国は物心がついてからも認識しております。とはいえ,所詮小学生ですから,冷戦よりもアンパンマンvsバイキンマンや,ドラえもんの宇宙大戦争の方が大事です。そんなわけで,やはりソ連や「赤の広場」というものに特別な感慨があるかというと,答えはNoです。全く関係ないけど,まだNPがまじめな青少年だった頃,「赤の日」って共産党の記念日かなんかだと思ってました。いやぁ,若いっていいですね。
 そんなこんなで,赤の広場というのは現実に知っている世界ではなく,歴史の一場面としての場所です。万里の長城や凱旋門(←行ったことないけど)と一緒ですね。とはいえ,やはり近い歴史のいちページを飾った場所でもあり,やはり親近感(という表現がいいのかは分からんけど)がわきます。
 まあ,長々書きましたが,とにかくホンモノの赤の広場を眺めて,本当に自分がロシア(旧ソ連)にいるんだと感じられて,なんともいえない気分になったのでした。

 あと,予定外だったのが,案外英語ツアーがいないこと。ちょっと早めの時間に来たのがいけなかったのだろうか……いろいろと盗み聞きしてやろうと思ってたのに。

 で,門を抜けて左手にあるのがカザン大聖堂。これからカザンにも行こうとしている身だったので,「カザン」という町のことは当然気にしているのですが,なぜ全国各地に「カザン」の名を冠した教会が多いのか,そもそもこのカザンは地名なのかそれともカザンというのが別のもの(神様とか聖人とか)を表していて,それを地名に使ったのか,正直あまり理解してませんでした。旅行自体がバタバタと計画を立てたものだったから仕方ないんだけれども,もっと事前に勉強していけばよかった。同じことはロシア正教やイコンの歴史についてもいえるんだよな。「歩き方」にもそこそこ解説が載ってるのに,それすらきちんと読んでなかったんだよな。何やってたんだろうか。
 当然,スパスカヤ塔の「スパスカヤ」が救世主の意味であるとか,塔の上の星がルビーだとかの情報は知るはずもなく……。でもまあ,こういうのを復習するためにこれを書いてるんだから,これでいいのだ。

 そんなわけで,カザン大聖堂に入ってみました。中ではミサが行われていたので,後ろから眺めるのみです。ロシア正教について全く詳しくないので,このときは「カトリックに比べて豪快かつ多数回十字を切るなあ」というやる気のない感想をメモに記しております。また,信者の方々は聖堂に入って左手の売店で長いろうそくを買っておられました。仏教でいう線香みたいですね。多分宗教的な意味は全然違うんだろうけど。

 さて。このとき,赤の広場では桟敷がつくられたりして工事が行われておりました。なんかイベントが行われるのは分かりましたが,ここでやるんだから政府系のイベントだろうなぁ。

赤の広場!! カザン大聖堂 レーニン廟
グム 逆方向 赤い壁の前にイベントの準備 スパスカヤ塔

 そして,赤の広場を突き進むと,見えてくるのがワシリー寺院!!
 これぞロシア。
 父親の書棚にあったソ連のガイドブックの表紙だか裏表紙だかに載っていたワシリー寺院の写真(あとで実家で確認したところによると,中表紙でした)。テトリスでもバックに出ていたワシリー寺院。
 僕の中で「ロシア」というと,やはりワシリー寺院をおいてほかにありません。それくらい,自分の中ではロシアの代名詞でした。なんですかね,この独特の葱坊主。日本で暮らしてたら絶対こんな建物建てられないと思います。でも,日本で暮らしていてもこの建物がなんとなく美しく思えるんだよなあ。まあ,外国の人が姫路城なんかを美しいと思うのも似たような感じなんだろうけど。
 想像していたより小さかったですが,それもまたよい。う〜ん,ロシア。

 そのちょっと前あたりにあるロブノエ・メストは,皇帝が布令を読み上げたり重罪人に判決を言い渡して処刑した場所のようですが,今では特に注目もされず,端から見ると「水の涸れた噴水」にも見えてしまいます。今のロシアが実際のところどういう国なのかは一旅行者には分かりませんが,平和な時代の旅行者としてはただただ平和に感謝するだけなのでありました。

ロブノエ・メスト ワシリー寺院!!

 ワシリー寺院はあとで料理することにしているので,とりあえずは引き返します。
 で,脇道のスタンドでようやくロシア語&英語の地図を購入。150ルピー。日本円にして350円か。安くないなあ。
 でも,やっぱり現地では「歩き方」よりも現地地図の方がいいな。空港で入手できるとよかったんですが,無料の地図配ってなかったんだよな−。

 てなわけで,赤の広場をあとにして,クレムリンへと向かいます。

脇道沿いにあった,
魚の気になるレストラン
ニコリスカヤ塔
黄色いのは兵器庫の外壁のようです
坂から後ろを振り返る
ワシリー寺院の尖塔が見えます

その1その3

旅行記ロシアTOP