シービークイン
思い出をありがとう
シービークインが亡くなってからもう随分経ってしまいましたが、今頃追悼文を書きます。相変わらず遅いですが、この馬に関しては書かないわけにはいかないと思うので。
シービークインというと、デビュー戦でトウショウボーイ(とグリーングラス)と戦い、そのレースで初年度の配合相手が決定した、とか、さらにミスターシービー以外は子供が生まれなかった、とか、まあそんなあたりのお話が有名なのではないかと思います。僕は、というと、この馬の現役時代など知る由もないので、やはり注目は「ミスターシービーの母」という点にいってしまい、競走馬としてのこの馬の優秀さにはあまり頭がいきません。競走馬としても十二分の活躍をしていると思いますし、それはきちんと評価すべきなんですが、やはり評価の中心は三冠馬の母親という点にいかざるを得ません。
そして、僕のシービークインについての印象は、これだけでした。ミスターシービーという馬は好きな馬で、だからこそシービークインという馬も印象のいい馬なのですが(例えば、言い方は非常に悪いですが、パシフィカスなんて個人的にはどうでもいい馬です)、ただ所詮ミスターシービー経由の印象でしかなく、直接的にこの馬について何か思うところがある、ということはありませんでした。
2001年。白馬の会の有志は千葉県の牧場の見学に行きました。そして、千明牧場にも行きました。お目当ては当然シービークインです。が、あいにく誰もいらっしゃらないご様子。奥に馬房が見えますが、まあそこにずけずけ入っていくわけにもいかないので、そのまま退散。
2002年。我々は再び千葉に行くことになりました。
そして、もう一度千明牧場へ。が、またも誰もいらっしゃらないご様子…とおもいきや、牧草地の方に女性の方がいらっしゃいました。この辺の流れは遠征記に少し書いたような気がしますが、まあ、そういう流れです。
さらに、その方の計らいで、僕たちはシービークインににんじんをあげる機会もいただきました。「『三冠馬の母(結局この表現)』に人参をあげられる」という、思っても見なかった計らいに、僕はただひたすら感激しきりだったのでありました。
こうして、シービークインは、単なる名繁殖牝馬から、僕にとって特別な馬の1頭になったのでありました。
シービークインは、当時もやはり年齢を感じさせる馬体ではありました。年齢が年齢ですから、いつ亡くなってもおかしくない、ということは、当然頭では理解していました。ですが、ぜひとももう1回会いたかったなあ、とやはり思わずにいられません(もう1回会ったところで、さらにもう1回、と思うのは間違いないので、まあこの手の後悔はどうしようもないんですが)。
とりあえず、なるべく近いうちに時間を作ってお墓参りに行かなきゃな、と思うのであります。
そして、これで、同期で存命中なのは、僕の知る限りカシュウチカラただ1頭になってしまいました。カシュウチカラは、北海道遠征したときに会おうとしたものの、道が分からず断念した馬であります。カシュウチカラの長生きを遠く東京から祈るばかりであります。
追記
カシュウチカラは2003年8月5日に亡くなっていたそうであります。謹んでご冥福をお祈り致します。