ナリタブライアン
やっぱり
僕の競馬の三大始祖は、ナムラコクオー・ノーザンポラリス・ライスシャワーであります。
そして、この3頭に共通するのが、ナリタブライアンという「敵(enemyの方)」の存在であります。その意味で、ナリタブライアンという馬が僕の競馬人生に与えた影響は大きいのでありますが、まあそれは1994年ごろに競馬を始めた人間の中のかなりの割合の人にいえるのではないかと思います。須田鷹雄氏がよく言う、シービーの年に競馬を始めた人間とその翌年(ルドルフの年)に競馬を始めた人間、みたいなものでしょうか。
さて、あまのじゃくな僕が、ブライアンなんかを好きになるわけが無く、「打倒ナリタブライアン」の旗印の下、僕の競馬人生は進んでいきました。
そして、上記3頭は結局ブライアンを倒すことはできませんでしたが、ブライアンは自滅に近い形で現役馬生を終えました。
今回のテーマとは外れますが、僕がブライアンに唯一共感できるとすれば、現役にこだわり、走りつづけたことです。この辺りは、ここで書いてもよかったのですが、事情があって多分オペラオーについて書くときにまた触れます。とにかく、大久保正調教師は色々批判を浴びていましたが、僕としては、ローテーションに関しては全面賛成でありました。引退についても、なんか新聞報道が先走ってどうたらこうたら、となんか実はまだ現役を続けていた可能性もあったようで、残念でなりません。
では本題。
ライスシャワーという馬は、おそらく僕の競馬の三大始祖の中で、最も僕に与えた影響の大きい馬です。例えば、グリーングラスもライスの影響からの応援です。そして、キタノオーも同じくライスの影響です。
キタノオーという馬は、まあ1994年から競馬を始めた若造が語るのが適切な馬なのかどうか、かなり疑わしい馬でありますが、ハクチカラのライバルであり、キタノオーザ・キタノヒカリの兄でもあります。(個人的には、サラ系馬としては日本史上最強なんではないかと思ってます)
この馬を知るきっかけとなったのは、競馬四季報のライスシャワー(追悼)特集号でありました。残念ながら今その該当号が手元に無いので、記憶に頼って書きます。
それは、井崎脩五郎氏のコラムでした。
まず、ライスシャワーとキタノオーの共通点。
端的に言うと、3歳(現2歳)の夏にデビューし、そこで勝って上級クラスのレースに出走するという早い仕上がりを見せつつ、ダービー、菊花賞、天皇賞(3200m)、有馬記念という、八大競走の中の中長距離レース全てに3着以内の成績を残したということ。
このような馬は、日本競馬史上3頭しかいなかったそうです(その後出てきていないので、まだ3頭のまま。ちなみに、オペラオーが夏デビューも初勝利は年明け)。
…このように、3歳の夏の早い時期から、古馬になってまで常に一戦級のレースで走りつづけたキタノオーとライスシャワー。ライスシャワーはご存知の通り、7歳の宝塚記念で競走中止、予後不良。一方のキタノオーは、6歳の10月、輸送中に急性肺炎で急死。両馬とも、若くして死んでしまったのです。
早くからトップクラスで走りつづけたことが、その馬の寿命に微妙ながら影響してしまった…のかもしれません。
井崎氏がこの事実について、どういう言葉を書いていたか、正確に思い出せないので、ここでは書きません。下手に書くと井崎氏の名誉に関わりそうなので…まあ、四季報に載っているので、興味のある方はご覧下さい。
さて、先ほど、歴史上3頭、と書きました。そう、そのもう1頭は、ナリタブライアンです。
井崎氏の文章を読んでいた僕は、(言葉が悪いので、大顰蹙をかうのを承知で書くと)「ナリタブライアン早死論者」でありました。まあ、元々嫌いな馬なので、上段半分で言ってたわけです(冗談でも言っていいことと悪いことがある、というお叱りは覚悟の上です)。
…そして、その言葉は現実のものとなってしまいました。
僕は嫌いだった馬とはそう簡単に仲直りできない性格なので、「死んでみて初めてブライアンの偉大さが分かった」なんてことは当然思ってません。正直な話、このような井崎さんの文章を読んでいなければ、本当に「三冠馬が死んだ」ということ以上の、何の感慨もわかなかったと思います
近時、ナムラコクオーの活躍で、「天国にいるブライアンの分も」というような話が散見されますが、僕の場合、奇麗事の一環として書くことはあっても、本心からそんなことは書きません。まあ、話がずれるのであれですが、僕にとってナムラコクオーが主役であって、ブライアンはおまけにすぎないんですね、ファンの方々には申し訳ないんですが。ある意味、エアチャリオットの方が存在としては大きいともいえるのです。所詮、そんな存在です。
ナリタブライアンと題しつつ、ブライアンのことにほとんど触れてないのが気になってますが、まああくまでこの馬は敵。そんな馬です。
3歳の夏から一戦級で走りつづけたことと、早く死んでしまうことに、多少の因果関係はあるでしょうが、まあそれ以上のものは無いでしょう。ブライアンの場合は死因が死因ですし。
ただ、上でも書きましたが、ナリタブライアンについて、唯一共感できる、好感を持てるとすれば、ブライアンが走りつづけたこと。それに尽きます。その点に関してだけは、本当にがんばったと思いますし、もう一回故障から戻って来て欲しかったと思ってます。仮に走りつづけたことが彼の早い死に何らかの影響があったとしても、それは誇るべきことである…と、他人事としては思います。
まあ、この馬の競走生活自体は、やはり93〜94年頃に競馬を始めた人間にとってはやっぱり影響の大きいものでありました。
色々な意味で、色々考えさせてくれた馬ではありました。そういう意味では、嫌いな馬ですが、一応感謝はしております。
おしまい
…やっぱり嫌いな馬について書くのは失敗でした…もう一つ、「無事是名馬とブライアン」という構成も頭にあったことはあったのですが…どっちみち失敗してただろうなあ