ニホンピロウィナー
挫折を知らない馬
この馬とはあんまり関係ないんだけど、「ニホンピロ」ってのは、変な冠号だ。昔は、「ニホンピロー」だったのが、一文字縮んだ。(その頃の代表馬が、ニホンピローエース)おそらく、あと10年もしたら、「ニホンピ」になるのではないか。(長老は「ニホピロ」だって言ってたが)ニホンピウィナー。なんかかわいい。
ニホンピロウィナーとニッポーテイオーの決定的な違い、それは、ウィナーは、3歳時から頑張ってた、ってことにある。別に、テイオーが3歳時に怠けてた、ってわけじゃないけど、3歳時のネームバリューは、シービーをはるかに凌いでいた。
そのウィナー、阪神3歳や、きさらぎ賞でたらたらやってる間に、トウショウボーイの最高傑作(もちろん、この頃はまだそうだとは分かんなかったんだけど)ミスターシービーが重賞を連勝し、クラシック戦線の中心に立った。
そして、運命の皐月賞。ここで、ウィナーは歴史的大敗を喫する。ビリ惨敗。
ショックを受けたウィナーは、(相手の手薄な)短距離路線に的を絞る。
これがウィナーの運命の分かれ道となった。
当時の短距離路線は、中・長距離路線に比べて、明らかにレベルが低かった。が、当然、天下を狙う馬はいる。それが、ハッピープログレスだ。
初対決は阪急杯。ウィナーはプログレスの12着と、惨敗する。が、ウィナーはもう諦めない。(これ以上行く場所がない)
そして、秋にはCBC賞で雪辱。短距離界のトップに立った。
そして充実の5歳。この年からグレード制が導入され、マイルCSという怪しいGTも誕生。また、春には、スプリンターズS→京王杯SC→安田記念の、短距離3冠制度ができた。
が、ウィナーはまさかの故障。一方、プログレスは、いきなり短距離3冠を達成。短距離界の初代王者となる。
そして秋、ウィナーとプログレスの対決。鞍上は、関西を代表する河内と田原。嫌でも盛り上がる。
手始めに朝日CCを制し、中距離でも強いことを証明し、続いて、スワンS・マイルCSとプログレスを立て続けに倒す。2着にきてるプログレスも強いんだけど、ウィナーの能力はその上をいっていた。
ウィナー6歳春。マイラーズCでステートジャガーを下し、大阪杯へ。敵はミスターシービー。さあ、皐月の仕返しだ!・・・だがウィナーは散った。シービーばかりか、ステートジャガーにも負け(シービーもジャガーに負けたけど)、8着。
しかし、あきらめの早いのがウィナーの凄さ。再び矛先を短距離に向け、京王杯SC→安田記念をあっけなく連勝。
こうなりゃ次の狙いはルドルフしかいない。シービーには負けたが、ルドルフには勝つ!ウィナーは燃えた。・・・が、ルドルフは強かった。もう1頭変なのがいたが、とりあえずあいつは関係ない。ウィナーは皇帝に完敗。
もう挫折に慣れきったウィナーは、再び短距離に照準を絞り、引退レース、マイルCSを完勝する。
結局のところ、ウィナーは3冠馬に勝てなかった。相手が完調でない時に戦って負けたんだから、しょうがない。(こんなこったから、ルドルフ陣営に、「一回マイルを走らせたかった。どんな勝ちかたをするか見たかった。」とか言われるのだ。)
しかし、ウィナーの凄いところは、その後に、まるで、何事もなかったかのようにすました顔して短距離GTかっさらっていったところである。だから、この馬には、バカなマスコミが、「感動!!」とか大騒ぎするようなドラマ性が無い。なんてったって、自分の領域では負けないし、自分の領域を出ると、完敗しちまうのだ。
2000mでも死闘を繰り広げ、一時はマイルでも勝てなくなったが、引退レースと決めたマイルCSを、激闘の末制した…なんてことはない。
2000mではあっさり負け、精根尽き果てることなくマイルで圧勝。
これじゃつまらん。
しかし、プログレスと、ウィナーは、日本現代競馬の立役者だ。この2頭がいたからこそ、今の短距離レースがあるのだ。
そのことが分かんないようじゃ、日本の短距離界の未来は暗い。