蔚山倭城散策(釜山旅行記その4)

6.2.三之丸石垣

 では、あらためて、蔚山倭城をのぼります。とりあえず公園の園路と、「三之丸」の案内に沿って進んでいきます。さきほど公園入口で見た地図どおりの園路が整備されているので助かります。ちゃんと入口に戻っておいてよかった。

入口の地図を再掲 園路を進む 三之丸への案内
おそらく日本人向けですね

 そして、歩いていると、右手側に三之丸の土台の石垣が登場します。おおおお。これを見たかった。

 地図と照らし合わせると、城の北西方向が三之丸になっており、その下をぐるりと園路がまわっているかたちですね。このあたりの石垣は破却されつつも若干残っているという、古城っぽさを感じられるものになっております。
 三之丸北西の角部分は上部の石垣がしっかり残っており、北東の角部分は逆に下部の石垣が残っております。

このあたり しっかりした石垣が見えます アップで ぐるりと。北東の角部分はあまり石垣がありません
北東の角部分 下部に石垣が残ります さらに先を見る

 さらにぐるっと回って三之丸の東側の石垣を上に見ながら進みます。

上の方をぐるりと
前方から上部をぐるりと

6.3.三之丸虎口〜三之丸

 そして、右手に折れて三之丸へ。
 三之丸への虎口は、公園化の関係で往時の形を失っていると思われますが(入りづらくするための虎口と、入りやすいことに意義のある公園との相性はすこぶる悪い)、それでも左右からの圧迫感はそこそこ残っております。昔はもうちょっと折れ曲がるなり塀か石垣かで三之丸への侵入をガードするかなりしていたのだと思われますが、そこは妄想することにします。なんだかんだ、直線的に三之丸に入れないあたり、昔の土塁なり石垣なりの痕跡があるといえるのかもしれません。

最終コーナー 三之丸虎口へ 進みます ぐるりと
進みます
ちょっと左に折れるのはかつての虎口の痕跡かな?
振り返る
三之丸上段方向に直登する階段や坂は、
後世のものでしょうか?

 三之丸は、上段と下段という分け方をするのが正しいのかは分かりませんが、とりあえず入って右手、方角的には北側と、入って左手、方角的には南側とに分かれております。今は木に囲まれた広場があって、怪しげな石碑が建っているという、日本の公園や城跡でもよく見られる空気感ですね。
 曲輪の周縁部が盛り土になっている……ということもないので、おそらくは石垣の上に壁なり多門櫓なりがつくられていたかなにかで、とくに土塁的なものはなかったんじゃないかと思われますが、単に整地しただけかもしれません。

虎口あたりから北側をぐるりと
西側から北方向〜南方向をぐるりと
西側をぐるりと

 そんなわけで、何も無さそうなので案内板や石碑を見ていきます。Google翻訳さんにおんぶ抱っこであります。

三之丸解説
翻訳が雑ですが、おそらく東北に隅櫓があり、門は1つ
内部の櫓がどこのどういうものかは分かりませんが、
とりあえず櫓2つと兵舎2つがあったようです
パク・サンジン医師顕彰碑
蔚山広域市民憲章 童謡作家のソ・ドクチュル(徐徳出)の歌碑

6.4 二之丸

 三之丸から二之丸への階段は2つ、先ほど見た西側の階段と、三之丸上段の南東側からの階段です。記憶ははっきりしませんが、公式のルートマップが南東側から進むように道案内していたので、特に何も疑問に思わず南東側から二之丸にのぼりました。西側から直登するルートは公園化とともにつくられたか、場合によっては抜け穴ルートだったかではなかろうかと。意識しなさすぎて、西側からのぼった先の写真がまったく残っておりません。

 そんなわけで、二之丸へ。先を進む女性をストーキングしてるかのような写真が残っていて、我ながらドン引きしてます。おそらく、鞄2つ持つのがきつくて女性が視界から外れるのを待つ余裕がなかったのだと思われます……。申し訳ない。

こっちへ進む 二之丸虎口へ 二之丸から三之丸の上段を見下ろす
意識しなかったけれど、車ものぼってこれるようです
右にのぼれば本丸です
(あとで戻ってきます)
二之丸を進んでいきます。二之丸虎口は昔はもうちょっと狭かったのではないかと思われます 本丸を見上げる
石垣が残っておりますね
さらに二之丸を進む 振り返る

 地図の道案内では二之丸の先端でぐるっと回って戻ってくるような指示になっておりました。そんなわけで、ぐるっと回るために二之丸の奥に行ってみると……想像以上に本丸石垣が綺麗に整備されておりました。
 なんだなんだ、聞いてないぞ。さっきまでの廃墟感はどこにいった。

 詳細は素人の私にはわかりかねますが、本丸への虎口は2つ、北側と東側にあったようで、本丸東側の石垣がきれいにせいびされており、北側は現在復元工事中?のようです。復元工事なのは願望で、もしかしたら雨で土砂崩れでも起きただけかもしれませんが。

 で、二之丸の東奥に向かうと、石垣が真新しくなるだけでなく日当たりも良くなるので、石垣がより一層綺麗に見えて、場違い感が出ますね。きれいすぎて、チャント復元しているのかも不安になります。まあこれは日本でも石垣を新設するとままみられることなので、しっかり石垣整備をしてくれたことに感謝をして、それ以上なにかをいうべきではないでしょう。

遠くに見える本丸石垣 脇から 斜め下から ぐるりと
東側に櫓台っぽいのも見えますね
逆光を意識してちょっと角度を変えてみる 本丸石垣の下には、別の石垣の残骸っぽいものもみえます
これ、本丸石垣とこの石垣の間に別の帯曲輪的なものがあったのでしょうか?

 そして、新しい石垣の下やらなんやらにある解説板を見て、それを翻訳して楽しみます。日光もあって撮影が上手くいかないと、当然翻訳も崩壊します。その崩壊を楽しめるだけの心の余裕が重要です。

二之丸解説 自然保護憲章
一部しか訳せてないけど、城と無関係なことが分かったのでそれでよし
逆光で何が何だか分からない石碑 この公園をつくったキム・ホンジョさんの石碑のようです
解説板。せっかくなので当日の翻訳と、後日Google翻訳にぶっ込んだもの 健康器具があるのが公園っぽい 工事中のトイレ

6.5 本丸

 そして、推奨ルート通りに引き返し、本丸にのぼっていきます。
 この北側から本丸にのぼるルート、二之丸をすっ飛ばして三之丸から本丸にまっすぐ突入できるルートで、正直違和感が多いルートです。三之丸から本丸にのぼる敵をよこから強襲するため(あと、三之丸を上から襲うため)にこういう構造にしているのか、それとも、こちらがわのルートは搦手で、もっと道が狭かったのか……。
 色々とみると、この現在工事中と思われる部分に折れ曲がった虎口構造ができあがっていたようではあるので、公園化とともに新たにつくられた登城口ではなさそうです。

入口の地図を再掲 本丸への階段。一応、軽く右に折れてますが、
地図を見る限りここはもっと直角に折れた完全な枡形虎口構造だったと思われます
先ほど下から見上げた本丸石垣 向かって右側(西側)
地図を見る限り、枡形虎口をつくっていた部分が崩れているのだと思います

 本丸に上がりました。公園になっている城跡の本丸、というのは平坦で何も無いのが相場です。日本だったら、小さなお社があったり、簡単な忠魂碑があるケースもあるけれど、ここは韓国なのでそれもありません。考えてみたら、蔚山の戦いの慰霊碑ぐらいあってもよさそうだけれど、それもないのかな?

登りかけたところ 本丸にはいって、ぐるりと撮った図 振り返る

 この北側の本丸虎口のすぐ東側に、櫓台の跡があります。その後仏教的ななにかが置かれていたようですね。

正面に下からのぼってきた階段 その右手に櫓の跡地 コンクリで固められています 蔚山太和寺跡とのこと
伽藍はどんな感じだったのでしょうか……

 とりあえず、本丸をぼーっと眺めます。
 解説文によると、
・ 虎口は北と東の二カ所
・ 天守閣はなかった
・ 周囲は城壁
・ 櫓6つ、兵舎2つ
という構造だったと思われます。

解説
写真はどこの城でしょうか?
西方向をパノラマで
東〜南〜西をぐるりと

 本来的な探索順序は、このあと東虎口まわりをみて、また本丸中心部に戻って、さらに東虎口から下に降りていったんですが、今回は細かく項目分けをしている都合上、東虎口まわりは全部後回しにします。
 そんなわけで、もうちょっと本丸西側を歩き回ります。
 さすが本丸だけあって、立派な石碑があり、ハングルと並んで英語。さらにハングルの下には漢字が書かれております。ハングルの下の漢字は日本人や中国人、台湾人向けというよりも、かつて韓国で漢字を使っていた時代の名残じゃないかと思います。なお、解説の内容は当然朝鮮寄りですが、それについて四の五の言っても意味がないでしょうからスルーします。

本丸東寄りのあたりから西方向を見る 池もあります 本丸西側
石碑。ここだけ英語があります。ハングルの下には漢字も 裏側には何も無し
本丸から南方向を眺める さっき見たロッテ百貨店 本丸南西部の眺め

 さらに進むと、「二之丸」という矢印が登場。矢印の先は工事中です。ここは、旧北側枡形虎口跡とおもわれるあたり。おそらく、公園化の際に枡形虎口を埋めて真っ直ぐ伸びる階段を設置したんでしょうが、往時の枡形虎口を復元しているではないかと思います。ただ、矢印を先につくったというのは違和感があるので、もしかしたら公園化した際には枡形虎口が残っており、のちに枡形虎口を埋めて階段を伸ばしたのかもしれません。
 この時点では工事中でしたが、工事中ということは、復元される可能性があるということですよね。期待が高まります。もちろん、あとから枡形虎口を埋めたために雨か何かで埋めた土が土砂崩れを起こし、危ないから立ち入り規制をかけているだけの可能性もありますが……。

本丸西側から東方向 本丸北西部のトイレ
普通に使えるトイレでした
本丸北西方向を見下ろす
左斜め前に、三之丸から真っ直ぐ上がってくる階段の出口が見えます
工事中の部分に向かって「二之丸」の矢印
おそらく、北側の虎口は枡形になっていて
本来はこっち側に出てきていたのだと思われます
枡形虎口跡?をぐるりと見てみる 別角度から、旧枡形虎口方向を見る

6.6 本丸東虎口まわり

 さて、さきほど下から見て非常に面白かった本丸東虎口へ。上にも書いたとおり、1回ここにきたあと、西側を見て再度戻ってきております。
 解説を翻訳してもイマイチはっきりしないのですが、この東虎口を指しているのか、東虎口の下に広がる曲輪を指しているのか、いずれにしても外郭に関する解説があります。解説によれば、日本の城郭用語で「総構え」を指すとあるので、おそらくはこの城域全体、ここから見下ろす縄張り全体に関する解説ではないかと思います。写真を見ても、おそらくそんな感じではないかと。
 それにしても、「朝顔など」「トランペットなど」という言葉が並んで、見ているこっちが混乱します。おそらく、この外郭の広がりが朝顔あるいはトランペットの形をしている、ということだと思います。韓国語で朝顔とトランペットの呼び方が同じなのでしょうかね?

 もう1つある解説が、楽汕台の解説。ヨサンデといわれても意味が分からないのでもう1回翻訳にかけたら、「尿酸大学」と出てきて脱力しました。たしかに、「にょうさんだいがく」を10回くらい早口で口に出すと「よさんで」になりそうな気はしますが、謎です。あと、解説を読んでいると「山」というのが"Mountain"の意味なのかちょっと疑問ですね。
 それはそれとして、この楽汕台の石碑は、城とは関係なく、ここから素晴らしい景色を見下ろせていたことを示すもののようです。

東虎口へ 東方向をぐるりと パノラマ
外郭部開設 楽汕台解説
楽汕台石碑 東虎口をのぼってくると正面に
この石垣(と天然の岩肌?)が出てくる仕組みです
石垣と岩肌をアップで

 そんなわけで、東虎口をおりていって、本丸に別れを告げます。さきほどまでのしっかりした階段に慣れていると、ここの石段を歩いていいのか不安になりますが、歩いちゃ駄目とも書いてないし鞄を2つ抱えた身にもそこまで危なそうでもないので降りていくことにします。
 それにしても、ここで階段を形作っている石が当時のものだとするならば、このあたりの階段はかなり狭かったのではないかと思われますね。

枡形虎口方向 ちょっと進む 下に降りていく階段 枡形をつくる石垣
東虎口を降りていきます おりながら枡形を撮る もうちょっと降りて石垣
見上げる 降りながら向かって左手側(北側)の石組み
降りながら向かって右手側の石垣
接近できそうなので接近してみました
石垣に接近して南側から北側に向かって撮っていく

6.7 本丸石垣など

 そんなわけで、降りていくと、解説板があります。「二段城壁」とあります。解説を読む限り、下段の石垣は自然地形を利用した石垣で、その上に高い城壁をつくり、下段上部から攻撃できるような仕組みを作ったのではないかと思われます。

あらためて虎口を
おりながら上段石垣を
上段石垣を見上げる 下段石垣
手前の大きな石が解説にいう自然岩盤だと思う
上段石垣の下から
本丸東虎口を見る
本丸への東虎口 下段石垣
2段城壁解説 真下から上下段を見上げる 南寄りから2段城壁を見上げる
この眺めは美しい!

 そして、本丸の下を、二之丸とは逆方向、つまり南方向にまわっていきます。ここは特に名前がついていないようですが、犬走り的な場所だったのか、帯曲輪的な場所だったのか、それとも別の何かだったのか、私のような素人には分かりません。

上を見上げながら進んでいきます 先ほど使ったトイレが上に見えます
もうほっと進んで上を見る(おそらく本丸西側の石垣) ズームにしてみる

 ぐるりと南西〜西方向まで進むと、もう1つ解説板が出てきました。これも翻訳が謎ですが、「斜めの城壁」とあります。本文を読む限りいわゆる登り石垣のことだと思います。後日の翻訳だと「登別石垣」という、温泉でも湧いてユートピア牧場でライスシャワーの生産でもしてそうな石垣が出てきますが、これh当日の翻訳が正解でしょう。まあ素人はあまり勝手な解釈をせずに石垣を見て喜んでいればいいのではないかと思います。
 ちなみに、登り石垣についてあらためてWikipediaを見てみたら、「豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際、朝鮮半島の倭城の防備を固めるために採られた石垣普請の手法である。」とありました。こっちがオリジナルだったのか!そして、何故自分がこうも「登り石垣」という響きに慣れ親しんでたのかと思ったら、松山城にあったからですね。謎は全て解けた。
 そんなわけで、おそらく現在私が歩いている遊歩道は、かつてあった登り石垣を貫通しているのではないかと思います。

解説板 当日のGoogle翻訳 後日のGoogle翻訳 登り石垣

 こんな具合に、本丸の西側を歩いて元いた場所に出ました。お疲れ様でした。

 ちなみに、本来の登城ルート(地図上の推奨ルート)は東南に出るルートのようで、そっちはそっちでなにか解説板がありそうな気配が漂っておりますが(どなたか忘れましたが、あとでほかの方の登城記を見たらなにかを見た気がする)、知らぬが仏。気にしないことにします。

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韓国旅行記2023(浦項遠征2023)


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