足利競馬遠征記〜その3〜
足利競馬最終レース、足利記念が終了した後は、表彰式です。
ピンクマン内田利雄騎手や、調教師、厩舎関係者の皆さんが並びます。
そして、表彰後、市長の挨拶。罵声が飛び交う(と言っても叫んでるのは数人だったかな?)中、粛々とコメント。
その後、内田騎手らがカラーボールを観客席に。こんなもんもらってどうするんだ?とBTと話していたのですが、どうやらこのボールを景品交換所で景品に換えてもらえるとのこと(競輪とかではおなじみのサービスですね)。な〜んだ。もし知ってたらマジになって取りに行ったのに。まあいいや。
さて、そんなこんなでセレモニーも終わり、足利競馬終焉の時がやってまいりました。
BTは仕事があるということで、ここで帰宅。相変わらず暇なNPはさらに居残って、馬場を歩きます。
ということで、この日、最終開催ということで、足利競馬の馬場を歩くことができるのでありました。
まず、馬場への第一歩。いや、まあ特に感慨もないのですが…とにかく、53年間酷使されてきた馬場も、これからは調教専用の馬場になってしまうということで、まあ、だからどうした、という方もいれば、あのとき、あの場所であの馬が…という方もいらっしゃる、という感じではないでしょうか。仮に京都の馬場を一周する機会があったら、”あの場所”でおそらく立ち止まって何かを考えることもあるかと思いますが、残念ながら足利に関しては特に思い入れもないので…。
まず、馬場の感触。まあ、馬場を踏んで、「う〜ん、この砂は○○の砂だ」とか「この馬場はクッションが効いてる」とかそういうコメントを残せるような知識も経験もないので、特に書くことも無いのですが。
砂に関しては、フィルムケースに入れている方が散見されました。ま、記念ですからね。
前述の通り、この日は天気がいまいちだったので、当然砂も濡れていました。内にはいると、踏んだら水がしみ出るような感じになっていました。他はだいたい濡れた砂場、ってな感じでしょうか。やっぱり、内の方が踏み固められているようです。
とまあ、こんな感じで。次のイベントはゴール板。例の、鏡になってるやつです。これを間近で見るのはおそらく初めて(府中の博物館にありましたっけ?ない方がおかしいか…ま、運用中の実物は初めて、ってことで)。
まあ、仕組みは分かってるようで全然分かっていない、というのは変化無し。
んで、馬場整備用のトラックを見て、最後にゲート。
ゲートは、確かちっちゃいのが競馬博物館にもあったような気がしますが、実際についさっきまで使われていたもの、ってなわけで、やっぱり違うわけです。ゲートの中に入ってガッチャン、とゲートが開く瞬間を体験しておられる方も大勢いらっしゃいました。
いつから日本でこのタイプのゲートが使われるようになったのかちょっと忘れましたが、まあこうして歴史を積み重ね、おそらく改良に改良を重ねてきた、ある意味人間の叡智の詰まったものなんでしょう。ゲートに限った話ではないですが。とりあえず、僕はゲートの後ろの開け閉めの仕組みが分かって満足。
最後に、歩行証明書のようなものをいただいておしまい。なんか、すごく安っぽいコピーだったのが非常に気になりました。画像がアップされてないことからも分かるとおり、既に行方不明であります(T_T)。
てな感じで、足利競馬場の馬場を出たのでありました。
最後に、足利のポスターをもらえないかな、と思って東接待所(足利の歴史が展示されてたところ)の職員の方に伺ったら、「事務所で聞いてくれ」とのこと。まあ、多分そんな感じだろうな、と予測していたので、事務所の方へ向かうも、建物から大量のおばさん方(窓口の人と思われます)が出てくるわ、さらにはジェラルミンケース担いだ人が出てくるわでとても一般人が入れる雰囲気ではない…ので、断念。
まあ、もう一回戻って、「了解得た」と嘘ついてもいいような気もしたんですが、残念ながら小心者の僕にはそんな嘘はつけません。
ただ、実際問題として、相当数のポスターはぱくられてたのではないかと思われます(明らかに場内に張られてるポスターの数が減ってました)。
そんなこんなで、最後にのぼりと戯れて(笑)、足利競馬場に別れを告げたのでありました。
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