高知なのに333
2日目です。高知は1ページにまとめる予定でしたが、サマーフェスタで思ったより分量を取ってしまったので分けました。
2日目はまずパルス高知の場所を確認。高知には何回か行ってますが、ホテルが安いのはこのあたりですね。最近は高知泊→レンタカー借りて土佐黒潮、という流れを取ることが多いので高知駅近辺に泊まることが増えました。
そして、高知城へと向かいます。日曜日の高知は朝市が開かれており、大変盛り上がっております。盛り上がってるのはいいんですが、写真が酷すぎて何が売られてて何がどう盛り上がっているのかさっぱり分かりません。撮った奴出てこい。
どういう角度の写真だ 何が撮りたかったのか謎 もうすぐよさこい祭りです
そして、高知城に到着です。高知城は数年前に長老と再訪しておりまして、そっちの記憶にかなり上書きされています。
高知城で覚えていたのは、板垣退助像と石垣からの水はけのための石樋。そして、天守に到達したときに受け取った冷凍おしぼりが気持ちよかったこと。この3点です。
あらためて写真を見ながら、写真の少なさにビックリしますが、これはおそらく暑くてそれどころじゃなかったからなのではないかと思います。
まずは追手門。高知城の追手門は現存追手門であり、現存追手門と現存天守を1枚の写真に収めることができるのは高知城のみ!ということで、その写真が多数残されております。
ところで。現存の追手門(大手門)はいくつかるのか。現存12天守は有名ですが、よく考えたらあまり意識したことなかった。この手の話題でWikipediaさんをどこまで信用していいのか分かりませんが、話題が話題だけに専門家かオタクが書いてるだろうから信用してみます(きちんと脚注もついてます)。これによると、大坂城、高知城、小諸城、名古屋城、二条城、弘前城、福岡城、丸亀城。Wikipediaは「以下に列挙した例は一部である」とされているので、これですべてかはわかりません。現存天守と現存大手門が揃っているのは、高知城、弘前城、そして丸亀城。……ん??
自分の記憶が正しければ、丸亀城は現存天守と大手門、セットで写真に収まります。これはいったい。と思ったのは自分だけではないようで、天下の読売新聞が記事にしてました。
というわけで、「現存追手門と現存天守を一緒に写真に撮ることができるのは高知城だけ」「現存大手門と現存天守を一緒に写真に撮ることができるのは丸亀城だけ」ということで、四国では上手く棲み分けする必要がある、ということです。
追手門と天守 市と祭りの道 山内一豊像 城壁と天守 追手門と天守 追手門 旧国宝です 追手門をくぐります 内側から見た追手門 登城用の杖もあります 板垣退助像 板垣退助と天守
そして、自分が覚えていた石樋コーナー。そして杉の壇へ。
この時期は石垣の解体修理もおこなっていたようです。解説板の写真が軒並み曲がっていて、暑かったとはいえ酷すぎですね。
山内一豊の妻である千代さんの銅像は、かの有名な名馬とともに単独で存在します。山内一豊さんが下にいたのに対し、千代さんがこんな場所にいるのは、実は夫婦仲が悪かったとか、千代さんは一豊さんよりも高い場所にいるべきだとか、まあ色々な理由があるんでしょうが、下手に並べると製作年代の違いで変な感じになっちゃうからなのではないでしょうか。あるいは、一豊像のような大きな台座をつくる資力が無かったか。
登っていきます 石樋 たしかに、ここまで大きい樋はなかなか見ない 下を見下ろす 天守を見上げる 千代さんと馬
馬の方が目立ってますね石垣野外博覧会の解説
なにゆえ写真がこんなに酷いのか、自分でも分かりません石垣 ルートマップ 杉の段 天守
上のルートマップにもあったとおり、天守への道は分岐します。ただ、基本的には迷うまでもなく二の丸方向へ向かって歩いて行きます。
このあと、写真がいきなり減りまくるんですが、我ながら何を考えていたのか分かりません。暑くて力尽きた可能性もあるな。写真の順番を見ても、何が起こっていたのか、どこをどういう順序で歩いたのか、記憶喚起になるどころか混乱の種にしかなりません。てか、なんか二の丸以降の写真がないんだけれど、本当になにがおきてたんだろうか。なにか間違って消したのかな。
天守から詰門までぐるっと 鉄門跡?
帰りにも天守と追手門を撮ってる
というわけで、改めて見てみると高知城がどうだったか、というよりも、自分の構造に謎が残る結果となりました。いやほんと、何が起きてたんだ。
まあ、高知城については上述の通り2017年に再訪してますので、13年経った2030年までにはなにか書いて記憶喚起できると期待します。
さて、写真を見ると、暑くて朝市でかき氷を買っていったようです。写真を見ると、左の朝市の写真が11時53分、右のかき氷が12時9分で、15分間の空白があります。もしかしたらどこかで昼食的なものをおなかに入れていた可能性もありますが、これも写真が残っていないので謎であります。
さて。次の目的地は、地球33番地通り。
高知といえば、500mバンクで有名ですが、どうも333mのバンクをつくりたかった勢力がいたようで、夢破れて傷心モードだったところ、高知県には東経133度33分33.333秒・北緯33度33分33.333秒の地点があることを知り、333mバンクを作れなかった腹いせに「地球33番地」なるものをつくったようです。
それにしても、なにゆえこんなものに興味を抱いたんでしょうかね、私は。とにかく暑かったことと、上手く上を向いた写真が撮れなかったことの記憶しかありません。なお、地球33番地は到達証明書を発行しているようですが、私はそんなものを貰っていません。本当に何をしに行ったんだ。
もう1つの発見。足下の写真があったことにより、当日の私がサンダルに靴下、という身なりをしていたことが判明しました。ダサいとかダサくないとかそういう話はどうでもいいんですが、こんな足回りで岡豊城にいったことに驚きを隠せません。ある意味革靴で乗り込むより酷くないか。
地球33番地通り モニュメント発見 足下 こんないでたちでした 上を撮ろうと苦労しています
竜馬、鯨、尾長鶏、闘犬、あと1つはなんだろう??
地球33番地のあと、衝撃の写真が残っていました。ひろめ市場です。
そういえば、ひろめ市場でKさん(過去1回しかまともに会話をしたことがない)に発見されて突然声をかけられたことを思い出しました。
それはそれとして、高知城→地球33番地→ひろめ市場って、いったいどれだけ無駄な行程をたどったんでしょうか(高知城→ひろめ市場→地球33番地なら分かる)。自分の行動パターンからすると、ひろめ市場が混雑してて先に地球33番地に行こうと考えたのかもしれないな(それなら朝市からかき氷までの15分の理由も分かる気がする)。
ひろめ市場では、Kさんに声をかけられたことと、高知競馬の中継テレビがあったことは覚えております。いやほんと、この場違いな高知競馬中継テレビ、いったいどういう理由で設置されたんでしょうか。そして、高知競輪の中継はしてくれないのでしょうか。500バンク派と333バンク派の争いが大きすぎて、余力が無くなったのかもしれません。
というわけで、午後は○○、岡豊城です。