風の犬山その2
いよいよ登城であります。どうもきちんと登城するとちゃんと堀の遺構を見られたようなんですが,当然見逃しております。
まずはまっすぐに坂をあがっていきます。どうもこれはかつての縄張り通りのようで,登ってくる敵を両側から挟み撃ちにする意図があったという記事をどこかで読みました。途中の門は全て残っておらず,礎石のみ。
そして,本丸門が現れます。「現在の本丸門は旧門とは関係ない」と,正直に書かれています。こういう正直な態度が素晴らしい。さすが国宝です。
また,この日は台風のため,天守閣の全ての門を閉めているとのこと。あれれ。残念ですが,国宝現存天守の保護のためならやむなし。
どうでもいいですが,"HoNMaRuMon"と母音を小文字にする理由はなんなのだろうか……。
そんなこんなで,本丸突入です。正面に,天守閣!!いままで何度も写真で見てきた,美しい望楼型フォルム。台風の中ここまできたかいがあったというものです。
そして,台風の影響か,ハイビジョンによる犬山城再現システムは閉鎖中。どういうシステムなのか気になりますが,これはまたのお楽しみです。
ところで,犬山城ってその城としての高い知名度の割に,城そのものがいったいどういう経緯でできて誰が利用してきたのかってのが一般に知られていません。ここに至るまで,「とりあえず成瀬氏の城だった」という程度の知識しか仕入れられませんでした。どうも,直近まで成瀬氏個人のものだったのがそうでなくなったようだ,ということも分かりましたが,それまで。これは,犬山市が悪いのではなく,台風の中一直線に天守を目指してほかの情報を仕入れようとしていなかった自分が悪いんだけど。
で,自分のためのまとめ。もともとの築城は織田信康。木之下城(木之下城はいまの愛宕神社の場所にあったらしい…普段はこういう神社に絶対行くのにな…ダメすぎる。)からここに移転とのこと。で,信康死後は信清。この織田信清という人はどうも信長に追われて武田氏のもとに走ったようで,ちょっとこの人のことが気になりました。もちろんちょっとしか気になってないのでこれ以上なにもしませんが。
そのあとは小牧長久手で紛争地になりつつ(天守4階に城主の変遷あり。ちゃんと考証できてるのでしょうか),関ヶ原時は内応の関係で紛争回避,その後は徳川に縁の深い平岩成瀬が入った,ってことですね。ふむふむ。ざっくりとしてますが,これくらいは行く前に調べとけってかんじですな。
さて,そんなわけで天守閣に入ります。普段の土曜日であればもっと混んでいるのかもしれませんが,台風の中ですので国宝天守といえどもすいております。
そんなわけで,外に出ました。扉は全面封鎖かと思ったら,あけてくれていたのでこれはラッキーでした。雨が降ってないのが大きかったんだろうな。
あと,つけ櫓が面白い。意匠的にも役割的にも。連立天守とかならともかく,このての出っ張った櫓を持つ天守ってどのくらいあるんだろうか。また,犬山城天守を模した模擬天守あたりはこのつけ櫓をどう扱ってるんだろうか。競輪ついでに富山に行くときには是非富山城を確認せねば。
あと,犬山城のゆるキャラはワンマル君というらしいです。ひこにゃんに対抗して犬ですね。
最後に登城ルートとちょっと違う道を歩きながら下山。
どこまで広まってるのだろうか 見た目はかわいいんだけど,最近はかわいいだけじゃなく キャラ付けが重要っぽいからなあ |
トイレ | さらば犬山城! | |||
さて,犬山にはもう1つ国宝があります。それが茶室の如庵。ATOKで一発変換できなかったので,もしかしたら「じょあん」だと思い込んでたのに実はにょあんか何かだったりするのかと一瞬不安になりました。公式ページによると,やっぱりじょあんで間違ってないようなので安心しました。
てことで,如庵に到着。するも,入場料1000円にうちひしがれて即退散。勿体ないことしたような気がしますが,将来1000円なんて気にしない生活ができるくらい稼ぐようになってから再訪したいと思うのでありました。
で,そのまま犬山遊園へ。木曽川越しに見る犬山城もまた美しいですね。古写真を見ると,山麓にも櫓があったようで,その痕跡ぐらいは現存してないのかなあ。復元してくれると面白そうなんだけど(地盤の堅さとかは全く分からんけどさ)。
城と鵜飼い 変換したら「城倒壊」と出た なんと不吉な |
犬山温泉源泉地 | 如庵に敗北 | 水位に注意 | 水神様 |
美しいですね!! | 犬山遊園駅 |
そんなわけで,岐阜へ向かいます。