神橋と本宮

 神橋で下車。
 日曜なのに人が少ないです。観光バスもいません。
 で,どうも渡るのに300円かかるようです。有料の橋というと岩国錦帯橋が思い出されますが,あれよりも距離も短いし対岸に渡れるわけでもありません(渡りたいわけではないけど)。ううむ,まあ,変に大勢の人が歩き回ると橋も痛むし写真上も邪魔くさいからこの方がいろいろな意味でいいのかもな。
 あと,板垣退助の銅像があってびっくり。板垣隊と大鳥隊が対峙してたんですね。戊辰戦争については全く知識がなく,今市戦争についても会津戦争についてもよくしらんのであります。解説を読む限り, 板垣・大鳥・谷あたりの日光でのやりとりについてはいろいろな立場からいろいろな評価がなされているようですね。

二荒山神橋 板垣退助像
日光を戦火から守ったために銅像が建てられたようです
300円 鳥居 古材展示について
かつては20年おきに
工事してたのか
橋桁と橋脚について 親柱 木と金物 なで石 そこまで丸くない

 そんなわけで神橋ですが,このあたりの景観と相まって,非常に美しいです。上にも書きましたが,300円払ってここを渡る酔狂な人間はそう多くはないので,写真的にも人を気にする必要が低くて助かります。
 この神橋,錦帯橋,猿橋とあわせて日本三大奇橋の1つとされているようです。が,どうも三大奇橋のうち錦帯橋と猿橋は衆目が一致しているものの,第3の座をこの神橋と祖谷のかずら橋が争っているようであります。知名度的には第2の座にいる猿橋を引きずり下ろして神橋とかずら橋が仲良くランクインしたらどうか,いやいやかずら橋を入れるくらいなら同じ四国のはりまや橋を,などという意見が聞こえてきそうですが,こんなことを書けるのは自分が猿橋に行ったこともなければ,山梨に縁もゆかりもないからだろうな。
 なお,他にも「木曽の桟」を入れる説や宇奈月の「愛本橋」を入れる説もあるようです。現存していない橋が三奇橋になっているっていうのもロマンがあっていいですね。いい加減3にこだわるのをやめて「日本四大奇橋」にしたらどうか,という平和主義者からの意見も聞こえてきそうであります。
 写真で見る限り,確かに猿橋は構造が面白そうです。文系なので「面白そう」という以上の工学的感想を出せないのが残念ですが。

 さて,ここからかの有名な日光太郎杉が見えました。「日光太郎杉」という五字熟語は響きとしては非常に有名で,なぜか僕も知っていたのですが,結局なぜ有名なのか(なぜ自分が知っているのか)は謎でした。「太郎杉」っていうネーミングセンスが素晴らしいんだろうなあ。裁判になってるなんて知らなかったし(知っとかないといけないんじゃないかという疑問はないわけではない)。

神橋に向かう 赤と白 解説。現地で読む気がしなかった……。
読んでも,結局構造が頭に入ってこない文系人間なのですが。
平成の大修理
300円をとるくせに
手を触れさせないという
凄い橋です
手を触れさせないために
橋の端を通れない仕組みです
さあどうする一休さん!?
橋脚がどうなってるのかよく分からない 上流側の景色
ここを路面電車が走ってたとは思えないな
対岸に鳥居が見えました
太郎杉 元に戻ります 下流側 再度上流側

 太郎杉と並んで,なぜ自分が知っているのか全く分からない5字熟語として,「金谷ホテル」があります。調べて見ると「日本最古のリゾートホテル」であることが分かるのではありますが,そんなこと知っているはずがありません。
 別に金谷ホテルには用事はなかったのですが,金谷ホテル方向に鳥居が見えたのでちょっと登ってみました。まずは稲荷神社。そしてさらに上がって星の宮(磐裂神社)であります。どっちも雪をものともせずに参拝した形跡が残っておりました。まあ,金谷ホテルに向かって登っていく途中にあるから参拝者も相当数いるよな。
 どちらもいろいろな石碑が奉納されておりますが,あまり細かくチェックしませんでした。

 磐裂神社については,どうも勝道上人が当初明星天子をまつっていたところ,神仏分離令以降磐裂神が御祭神となったようです。その後明星天子が戻ってくることはなかったのでしょうか。歴史的にはかなり重要なものだと思われますが,どうにも存在感に欠けてますね。もうちょっとなんとかしてもいいような気がしますが,金谷ホテルあたりがこのままひっそりとやりたがってるのかもな。

鳥居 稲荷神社 いろいろ並んでおりました 星の宮 誰だかよく分からず 庚申塔など
非神道系の石碑ですね
明星天子が磐裂神の本地仏
ということなのでしょうか
確かにこのあたりの雰囲気は
修験者の霊場っぽいです
お堂 読めない 登録有形文化財 公衆電話

 で,輪王寺に突撃する前にまずはブランチ。ゆば蕎麦です。せっかくなので有形文化財の中で食べました。


 で,体力を回復していざ行かん。まずは神橋と,神橋から見えた諸施設。
 それにしても道が狭い。太郎杉を切る切らないの話が出たのも無理はないんだろうな。あと,本当にこんな場所に路面電車が走ってたのか……。

橋を渡りながら神橋を 杉並木について 太郎杉について 太郎杉
杉並木 鳥居 深沙王堂
蛇を放って上人を助けたのが深沙王のようです
どうでもいいけど,蛇王権現堂ってなんか強そう
逆側から神橋 川の流れ

 で,いよいよ世界遺産地域に入っていくことになります。どういう順序で奥に向かうかは昼食をとりながら考えたのですが,とりあえず本宮神社を経由して輪王寺に向かうことにしました。
 てなわけで,まずは正面階段ではなく,本宮神社への道を進みます。「史跡探勝路」と書かれていますが,これに関する案内や地図は目にしなかった気がするな。
 風がないので昨日よりはかなり楽だったのですが(正直特段寒いとも感じず),手水鉢は凍っておりました。二荒山神社なんかはもしかしたら神職さんが朝溶かしてたのかもしれませんね。
 そんなわけで,ここにはNP以外誰もおらず,日光という一大観光地にして非常に静かでいい雰囲気でした。さきほどの星の宮にしてもそうですが,歴史的に重要な建物だけに,参拝者はすくなくとも,赤色のペンキはしっかり塗られてきれいに建ってますね。
 さらに奥に三重塔が見えたので,奥に突撃。危うく奥に進まずに引き返しそうになりました。危ない危ない。





社号標 史跡探勝 鳥居と手水舎 表面は凍っておりました
笈掛石 本宮神社について 拝殿 中門・壁と本殿

 本殿の脇を進んで三重塔へと向かいます。神社とお寺をはっきり区別する必要もないのでしょうが,とりあえず途中からお寺に入っていったようです。
 お寺の名前は四本龍寺。解説において「日光発祥の地」とまで書かれている,きわめて由緒あるお寺であります。そのわりには復興の話が出ないのが若干不思議だけれど。
 こんな寂れた場所には誰もいないだろうと思ったらほかにも参拝されているご夫婦がおられて少しびっくりしました。それでも,日光発祥の地にもかかわらずいるのは3人だけ。なんかもったいないなあ。現在は観音堂と三重塔しかないお寺ですが,全盛時はどういう伽藍だったのだろうか……。
 その他,いくつか石仏などがありましたが,解説は無し。

本殿奥に三重塔が 三重塔 源実朝の供養!
なんで日光に建てたのでしょう?
縁があるのかな?
紫雲石。
いまいちどれが紫雲石なのか分からず
勝道上人なのかどうかは分からず 観音堂と紫雲石 これもよく分からず
観音堂と三重塔 石仏
誰が作ったかも
分からないんだろうな…
四本龍寺 解説
いつ創建されたのか書かれてないな
県の文化財止まりってことは
割と最近になって再建されたのだろうか
観音堂 内部を撮ってみた
観音様は拝めず

 そんなわけで,いったん下に降りました。
 上る道の横に流れていた滝にも名前がついておりました。石標は読めませんでしたが,帰って検索したら普通に「本宮滝」でありました。なぜ「本」は漢字にしたのに「ぐう」はひらがなにしたのだろうか……。

本ぐう滝

明智平華厳滝中禅寺湯元神橋本宮輪王寺東照宮二荒山神社

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