ラオノコト(ラオスの事,ではなく,ラオスの古都)

 運転手さんは昨日とは違う人でした。昨日の代理店のおっさんの兄弟(Brotherなので上か下かは不明)だとのことです。
 そんなわけで,レッツゴー。

 この日の目的地は,Old Capitalです。Wikipedia記事によると,シェンクワーン県の首都はかつてはこのムアンクーンであったところ,爆撃で荒廃し,シェンクワーン郡移されたとのことです。
 昨日来よく目にしているシェンクワーン王国の首都はシェンクワーンだったようで,ムアンクーンがどのような経緯で県都になったのかはよくわかりません。ちなみに,Muang KhounでWikipedia記事ができあがっているのがまさかのドイツ語オンリーです。昨日の博物館もドイツが建設に協力した,という記事を見た記憶があるので,ドイツも遅ればせながら東南アジア権益に興味があるのかもしれません。
 とりあえず,これ以上の情報は現時点では分からず。なんとなく地球の歩き方を見るとあっさり深い歴史が分かりそうな嫌な予感もしてますが,これを書いている今,歩き方は手元にないのであります。あとでなにか書き足すかも。

 では,Old Capitalまでドライブです。

出発進行 昨日も見た川だかダムだか 進みます ここは山を切り開いて道路を通したのでしょうかね?
給油します
エンジン掛けたまま給油しててびっくりです
さらに進みます 右手は結婚式の
パーティー会場らしい
日本でも見られそうな風景で,東南アジア感があまりないですね
ガソリンスタンド
値段を撮ろうとして失敗した図
牛発見 牛が道を渡ると車は止まる
インドみたいに神聖なものと理解されてるかは不明
牛も右側通行らしい
多分通学中のお子様方
1月3日からご苦労様です・・・
ところで,ラオスは歩行者も車と同じ右側通行なんですかね?
牛の集団 溜池かな? 村っぽい場所にはいった 携帯の広告です
昔駄菓子屋に出てた
コーラの広告を思い出します

 ここで車は止まります。Noodle Villageに到着であります。
 ここは,昨日のSpoon Villageとは異なり,ぽつんと一軒家ではなく,村になっています。運転手さん曰く「自由に見てきていい」とのことです。ううむ,そう言われても,「干してるなー」以上の感想が浮かんでこないので困ってしまいます。なお,「干してるなー」から感想ではなく「乾燥」を連想してきたATOKさんはさすがだな。
 そんなわけで,ここでできあがったコメの麺がポーンサワンで提供される麺なのでしょうね。機械でつくった麺と,手作りの麺とで味が違うのかどうかは素人には分かりませんが,こうして産業として成り立っているのであればそれは素晴らしいことなのではないかと。なんか中国資本がものすごい物量で乗り込んで一気に駆逐したりしないか不安になりますが。
 あと,ちょっとだけ気になったのは,こうやって道路沿いに干されていて,ガスとかで汚染されてないのか,ってことです。まあ,洗うし沸騰もさせるので問題ないんでしょう。

今日の車
昨日料金を払い済みなので
ここで置いていかれたら死ぬな,
と思って撮った写真
こんな感じで,家の前に干されている
販売所にはなにもなかった 道路の反対側にも 蚊帳っぽい幕でガード お兄さんが運んできて,おいていく
アップで 道路の様子 村の名前でしょうかね? 野菜が売られてます その横では,ソーセージも売られてます。おいしそう

 で。置き去りにされることなく,車に戻って進みます。
 麺よりも牛に興味を抱く観光客であります。

田んぼの中に牛の集団です ズームにしたところ,目が合った

 で,Muang Khounの街に入ります。
 ポーンサワンにあるような大きなホテルはありませんが,街の規模としてはそんなに大きく違わないのではなかろうか。もちろん,官公庁の巨大ビルがあるかないかの違いはあるんだろうけど。
 で,まずは街の奥にあるワットピアワットから見学です。

街に入りました ワット・ピアワットへ 入場券

 あえて説明することもないのですが,この寺院はインドシナ戦争で破壊され,今は大仏といくつかの石柱が残るのみになってしまったという,戦争の激しさと被害の甚大さを伝える遺跡として知られております。ただ,現地解説によると,それだけではなく,19世紀には山賊と軍隊が,この寺院の高価品を盗っていったようです。解説に言うinvading armiesがどこの軍なのかは分かりませんが,とりあえずフランスは反省しておいたらいいのではなかろうかと思います。

 写真でみていたよりも現地に行って思ったのは,この仏像の表情の良さです。
 ここで使う言葉として「良さ」というのが適切なのかは分かりませんが,とにかく,顔の一部は崩れているわけですが,それにもかかわらず柔和な微笑みの表情を見せていて,「『仏の顔も三度まで』と言う人もいるけれど,そんなことはないよ」と,戦争で破壊し尽くした人間たちを許してくれそうな,本当に広い心を持っておられるように見えるのでありました。これは手を合わせたくなりますね。
 あと,破壊されている部分からレンガ積みが見えるので,この石仏は中はレンガ造りであることが分かります。日本の巨大な石仏って岩を削って(彫って)つくってることがほとんどなんじゃないかと思うので,このあたりも興味深いですね。

解説 入っていくと後ろ姿が見えます 正面へ だんだん近づいていきます
仏様のお姿 アップにします
本当になんともいえない表情
柱はこんな感じ
中はレンガ造りでまわりを固めてるようです
斜めから 横から 左の二の腕が崩れています
中はレンガ造りのようです
斜め後ろから 鉄の留め金?がみえるので
かつては何かが
ついていたはず
金に塗られていた痕跡が
見えます
崩された建物の様子 寺院の門 像の造形が独特です

 Old Capitalの象徴とも言える,ワット・ピアワットの石仏を見終えました。ぶっちゃけ,この石仏を見られたので満足していたんですが,このあといくつか見所があります。
 まずは,ドライバーさんがFrench Hospitalと呼んでいた建物の遺構。解説板を呼んでも病院であるとは書かれてませんが……。でも,久々に(といっても前月のインド以来なんですが……)こんな感じの石造りの建物遺構を見たので,ちょっと興奮です。

オフィスと住居と
書かれております
斜めから とりあえずこっち側から入っていきます
真ん中の部屋に入ってぐるぐる見回してみる 床にはタイルが残ります
壁に穴が残っているのは
機銃のあとでしょうか
テラス?から建物を見る ぐるっと見回す
金具がついていた跡や,下部にはタイルが残ります そこから奥を見た様子 あらためてテラスから
下におりてみた 遠目から遺構を見る
この状態だと,
木に隠れて,見つかりにくい
もうちょっと回ってから戻ってみる

 解説板の写真と見比べてもイマイチイメージがわいてきませんが,おそらくは写真に残るアーチ付きのテラスみたいなものが手前側のテラスなんではなかろうかと。

 ちなみに,この一角はこの地域の官庁街のようでして,裁判所もありました。ポーンサワンの官庁街の(無駄に)豪華な建物と比べると,極めて質素で「普通」な感じの建物であります。

奥にAdministration 中庭兼駐車場 真ん中はバレーボールというよりも
昨日も見たセパタクローかな?
Regional Peoples Court
地域人民裁判所,と訳すのでしょうか

 そして,Wat Founです。
 ここにはでで〜んと卒塔が立っております。はい,立っております。……歴史的宗教的背景が分からないと,塔を見て「おおっ」と思って写真撮って終わってしまうという,悲しいお話でありました。
 ところで,この旅行記を書いているときにいくつかの旅行記サイトを眺めていたんですが,こちらによると,どうもこのWat Founは1884年に中国人が盗掘のために穴を開けたようで,ネットに散らばる多くの旅行記ではその際に開けられた穴に入っている旅行者の姿が残されております(こちらとかこちらとかこちらとかこちらとか)。で,2017年に訪れた方のページを見ると,板で穴は立ち入り禁止にされていたようです。
 実を言うと,自分では完全にこのあたりの記憶がぶっ飛んでおりまして,ワット・ピアワットのあたりを書きながらこれらの旅行記を眺めていて,「もしかして何か重要なものを見落としたか」と不安に思っておりました。
 あらためて自分が見たWat Founを見ると,そうそう,下部は綺麗なレンガ造りになっておりました。穴から崩れそうになったから補強して作り直したんでしょうね。

 さて,これまでWat Founと書いてきましたが,あらためて現地看板を見ると,ストゥーパそれ自体はThatと呼ぶらしく,寺院としての存在が薄そうなこの卒塔は,Wat Founと呼ぶよりもThat Founと呼んだ方が良さそうでありますね。日本で言うと○○寺と呼ぶか,○○塔と呼ぶかの違いということになりましょうかね。

地域の説明 右下の地図を
アップで撮らなかったのは失敗
ムアンクーン
壁は見ておきたかった
当地の歴史
Vat Boun Kongは跡形もなくなったのだろうか
Thatの説明と,往時のThat Founの姿 That Founの説明

 解説を読んだので(写真に撮ったので,が正確),いざストゥーパ。
 現地にいるときから,下半身(という表現がいいのかは分からない)がやけに新しいな,とは思ってましたが,からくりが分かるとなんてことないですね。

卒塔! 近くで咲いていた花 様々な角度から
こっちからだとのっぺり もうちょっと回る 逆光 誰かがペットボトルを
放置していったみたいです
罰当たりな!

 さて,このThat Founから,もう1つ卒塔が見えます。That Chomphetという名の卒塔のようです。
 こっちにもいけるとのことだったので,こっちも見に行きます。パッと見ると遠そうで,こっちも行けるというのは自分の聞き間違いだったのではないか,とちょっと不安に思いましたが,歩いてみるとそれほど遠くなく,炎天下の中途中で干からびることもありませんでした。
 ただ,あとからThat Foun側に戻ってくるつもりだったので,That Founのまわりをくまなく調べることなく(ドラクエではすべての壺と樽を調べて全員と会話するタイプです)乗り込んでしまったのが実は失敗でした。まあ仕方がない。

That Founから見るThat Chomphet 手前にある蛇が気になる… 誰かのぼってる奴がいますね

 そんなわけで,日陰のない道を歩いてThat Chomphetに到着です。こっちの方が人は少ない。そして,案内板も一部削れていて,なんかもの悲しい雰囲気です。牛がのんびりしていて,地元密着感はあるけど。牛にはCowbellがつけられていて,その音が風鈴みたいで心地よいです。あと,日陰に地元学生が集っておりました。
 ストゥーパそれ自体も上部が破壊されてしまったのではないかと思います。
 さっき,That Foun側から見たときに上までのぼってる人がいたので,とりあえず近づこうかとは思ってたんですが,なんかのぼってる人が注意されてたので,下から眺めるだけにしておきました。まあ確かに,ストゥーパにのぼる文化は日本にはないので,日本人としてそんなことする必要はないな。

遠ざかるThat Foun こんな道を歩く
日陰はありません
到着 休憩用の椅子と,牛
椅子の屋根はもうちょっと
大きくならんのでしょうか
牛。おとなしいです
あらためて,
That Chomphet
説明板はボロボロです まわりにはレンガが
散らばってますが
果たして現在進行形で
破壊されているのでしょうか
ちょっと斜めから お堂と,日陰で遊んでいる?こどもたち
右の芳名板のようなものは昨日も見ました
ちなみに,お堂の中は空っぽです
仏様はどこに行かれたのでしょうか……
ぐるっと回ってみます。とくに裏側から見た姿は,完全に植物に侵食されていて,人工のストゥーパ感がないですね…… 穴の中
ここも盗掘目的で
掘られたのでしょうかね??
裏側にもレンガが
ボロボロと落ちてます
あらためて こっち側から見るThat Foun 手前にいた牛
Cowbellついてるので
誰かの所有物なのでしょう

 で,また炎天下をThat Founまで戻るのか,と思ってたら,運転手さんがこっちまでのぼってきました。なので,ここでストゥーパに別れを告げて,車に乗り込みます。

 今回のツアーは実はこれでおしまい。まだ飛行機まで時間があるので,ドライバーさんからどうしようか,という話をふられます。
 で,ドライバーさんのいうままに,「マルベリー」を見に行くことになりました。なんか追加料金はいらないようです。なんという国なんだ、ラオスは。インドだったらどうなってることやら。というか,私は1ヶ月前にインドにいたので,人間不信になってて本当に無料だとは信じてませんでしたよ。いやはや,社会主義がいいか悪いかはここではコメントしませんが,インドよりもラオスの方が人はいいのは間違いない。もちろん個人差はあるでしょうが(自分の知り合いのインド人は軒並みいい奴だし)。

 さて,マルベリーを見に行くとなると,まず自分がやらねばならないのは「マルベリー」がなんなのかを検索することです。そもそも,聞き間違いの可能性もある。
 結論。「桑」のことでした。なるほどね。確かに桑の実もベリーっぽかった。


牛に遭遇。こいつらはCowbellつけてないな なにかの開発中なのは分かる

 そんなこんなで,マルベリーファームに到着です。ちゃんとしたウェブサイトもあります。

 かつて日本もそうでしたが,養蚕・生糸作り・絹織物というのは発展途上国で非常に多く見られる産業であります。服には完全に無頓着な人間なので,東南アジアの気候と絹織物の相性とかはさっぱり分かりませんが,ベトナムのアオザイなんかを考えても,きっと相性がいいんでしょうな。
 ここの特徴は,すべてを自家生産していること。つまり,桑をつくり,蚕を育てるだけでなく,染料になる植物もここで育てております。化学品は一切使わず,オーガニックなシルクをつくっているのであります。そして,ここで女性が働き,女性も賃金を得られると。そういうシステムを作り上げた,ということなんであります。まあ,冷笑的日本人としては,「女性だと人件費安いもんね」とかいいたくなっちゃうんですが,そういうことを言っていられるような状況ではないのだと思います。

 とはいえ。観光客目線で申し上げますと,まあぶっちゃけ「よくある展示」であることも事実でして……。途上国に行くと,シルク工場ってあちこちにあるもんね。シルクジャスティスの牧場になら行ってみたいけど,シルク工場にはそんなに興味はない。シルクライトニングでもシルクプリマドンナでもシルクメビウスでもOKです。そういえば,ちょっと気になったので,果たして過去に「シルクマルベリー」という馬がいたのか調べてみましたが,netkeibaで検索した限りではそのような馬はヒットしませんでした。いかにもいそうな名前なのにな。シルクマルベリどころか,シルクベリーすらおりません。もしかしたらシルクの社長さんはベリー系が嫌いだったのかもしれませんな。……と思ったら,シルクラズベリーはいました。フォーティーナイナー産駒で中央1勝。

 閑話休題。とりあえず内部見学です。
 話を聞きながらメモったことをつらつらと。ここは従業員が約80人いて,うち8割が女性。貧乏な人を雇っている。Chemicalを使わずに,120色出すことができる。……とのことでした。残されたメモはこれだけです。


Japan Hybrid cocoon
とはなんなのでしょうか

26人分の仕事というのは
1ヶ月なのか1日なのか

←のお値段

 途中まで真面目な従業員の皆様の労働環境を見せて(忘れてはならないのは,今日は1月3日だということです),最後には当然お土産物コーナー。
 とはいえ,絹織物に興味がなさ過ぎて困ります。我々の業界では,“Silk”といったら(シルクホースレーシングか)勝負服を指します。ここで競馬の勝負服を売られても困ってしまいますが。
 てことで,貧乏人用に用意されていたお茶っ葉(それでもルアンパバーンのナイトマーケットで買うよりははるかに高い)を買って退散。タダで連れてきてくれた運転手さんのメンツもあるだろうからな。

 最後に,昼食です。ポーンサワンの街に戻って,麺を食べます。
 ドライバーさんは嬉しそうに野菜を入れまくってましたが,結局「量が多い」と言って残してました。なんというかですね,途上国って案外「米粒1つ残してはいけない」的な文化ないですよね。資料はこのドライバーさんと,カンボジアシェムリアップのトゥクトゥクのドライバーの2名だけですが。
 ちなみに,味付けの基本的な方向性はナイスゲストハウスの向かいの店と変わりませんでした。こういう味付けをベースに,あとは個々人でいろんなペーストを入れるかたちなんだろうな。なお,私は付け合わせで出てきた味噌のようなものは食べましたが,野菜には手をつけず。腹を下すことなくラオスを抜けております。

今回の食堂 横にあった店
多分歯医者です
今日の料理
使われてるスプーンは
昨日Spoon Villageでつくられていたものです
つけあわせの野菜 トイレ トイレ帰りに撮ったキッチンの様子
衛生的には十分な感じですね


 というわけで,ツアーは終了。ドライバーさんに空港まで連れて行ってもらいます。


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