エチウノイワクラ

 立山町に入りました。立山町と書いて「たてやまちょう」ではなく「たてやままち」と読みます。「たてやまちょう」で変換すると「館山町」になるんだな。東京民としてはこっちのほうがなじみがあります。

11 常東合口発電所

 ここは常願寺川の東側です。常願寺川の東なので、「常東」というわけですね。ここに発電所がありました。どれくらいの発電量なのかはよく分かりません。水の落差はそんなにたいしたことなさそうですが、これでも発電所として機能するんだな。これくらいなら全国各地に作れそうだけれど、作られていないということは費用対効果的にそこまで、ってことなのでしょうかね。

水神が祀られてました 発電所案内 発電所の様子

12 清照寺

 一夜泊稲荷への道すがら、Google Map上に寺院の表示があったので寄ってみました。もちろん、観光寺院ではありませんし、なにか(一見客的に)面白そうなものもありませんでした。とりあえずお参り。



13 一夜泊稲荷神社(成正稲荷神社)

 そして、ようやく一夜泊稲荷神社に到着です。ここまで頑張って佐々成政関連施設を追いかけるほどの佐々成政ファンなのかお前は、という感じですが、もちろん違います。ここまで来たからには近場のものには全部寄ってやろう、の精神です。
 由緒書を読むと、佐々成政のさらさら越えもこの一夜泊の大神の霊験によるものと主張しているようで、さすがに眉毛に唾をぬりぬりしたくなります。そもそも、立山開山時にここで一夜を・・・・・・という流れで、なんで主祭神が天照大神になるのかも部外者的にはよく分からないところです。というか、岩峅寺の影響下にあったことは明らかなわけで、岩峅のイの字も出てこないのはさすがにな、という気もします。

 いずれにしても、ここ富山で佐々成政を祭神とする神社は、ここまで来ないと無いのは事実であり、またここに来るとようやく佐々成政を祭神とする神社に出会えるのも事実です。そのあたりが、富山における佐々成政の存在感というところなのではないでしょうか。

一夜泊稲荷です 由緒書 鳥居 拝殿竣工記念碑 ←の後ろにおられる
お地蔵様
赤い襷?をしてたり
赤い頭巾?をかぶってたり
なんか面白い
拝殿へ 成正大明神 拝殿

 そんなわけで、あとは駅に戻ります。
 ここまでそれなりに長い道のりでしたが、帰りも歩いて帰らねばなりません。せめて自転車があれば楽だったのですが・・・・・・。というか、何が辛いって、革靴なのが辛い。ちゃんと歩ける靴を履いてくるべきだった。

下が土だと楽ですね 貯水池 場違いに巨大な建物
クリーンセンタのようですー
道ばたにおられたお地蔵さん
このお地蔵さんにも襷?がかかっっているので
このあたりの風習なのだと思います
用水だ><!

14 ホテル雄山跡

 さて、ようやく懐かしの鉄橋が見えてきました。疲れた。

 最後にもう一仕事、雄山神社前立社壇に参拝しなければなりません。でもその前に。
 非常に風情のあるホテルが建っていました。立山温泉ホテル雄山。美しい廃墟ですね。

 どうも、営業停止したのはわりと最近のようで、検索するとTwitterのアカウントも出てきました。最新の投稿は2015年1月23日。寄付のお願いが出ております。遡ると、2014年12月3日が休業日のようです。
 また、Facebookのアカウントもまだ残っております。再建へ向けた意気込みが残っていて、悲しい気持ちになってしましますね……。

「立山温泉☆ホテル雄山」再生支援救済募金・寄付のお願い

立山温泉☆ホテル雄山、諸般の事情により、営業を2014.12.3より休止しています

営業再開時には今までと変わらぬご愛顧・御引立ての程よろしくお願いいたします... http://t.co/U16zNr8TiA

— 立山温泉☆ホテル雄山 (@hoteloyama) January 23, 2015



 また、ニュース記事によると、2016年6月9日に破産手続開始決定。負債は債権者40名に対して1億7500万円。思ったよりも負債が少ない気がしてしまうのは、おそらく何か感覚が麻痺しているからでしょう。2015年6月に不動産が競売に掛けられ、2016年3月には売却先が決定した、と記事にあるので、不動産からいくらか銀行向けの負債が支払われたのでしょうね。
 それにしても、この土地を競落した人はこのまま放っておくつもりなのでしょうか・・・・・・。まあ、今(これを書いているのは2021年1月)は新型コロナウィルスの影響で観光需要は下の下だからいいとして、このあとどうなるのでしょうか。

 あ、公式サイトも発見しました。会社が破産したとなると、このサイトのドメイン料金は一体誰が支払っているのでしょうか??

鉄橋が見えてきた ホテル雄山跡。ツタの成長速度って凄いですね……

15 雄山神社前立社壇

 そして、雄山神社前立社壇です。
 「前立社壇」とはなんぞや、の前に。

 この電車、先ほどは大川寺駅で降りましたが、その次の駅は岩峅寺駅です。「岩峅寺」と書いて「いわくらでら」ではなく「いわくらじ」と読みます。「峅」と書いて「くら」と読むとは、日本語って難しいです。このときに人生で初めてこの文字を見ましたが、ウィクショナリーによると、「雄山神社ゆかりの地域のみで使用される地名・人名の特殊漢字」と解説されています。そりゃ人生でこれまでこの文字を見たことが無かったわけだ。
 さて、「岩峅寺駅」があるのはいいとして、問題はその次です。岩峅寺が見当たりません。来るときは大川寺によってきましたが、岩峅寺は寄りようがないのです。まあ、おそらく神仏分離寺に色々あって廃寺になったんだろうな、と思っておりました。

 ところが。実はこの岩峅寺、佐々堤で参照した遠藤和子さんの佐々成政の本を読んでいると、どうも立山においてとてつもなく大きな勢力を持っていた寺院のようなのです。岩峅寺と芦峅寺がセットで出てきます。さすが、駅名になって地名に名前を残すだけのことがあります。
 なお、雄山神社のWikipediaによると、「峅」という文字には「神様の降り立つ場所」の意味があるようです。岩峅寺はお寺な分けで、「神様」というのは文字通り神様だというよりは、「神的な何か」という感じでしょうが。

 そう、なんのことはない、雄山神社前立社壇というのが、岩峅寺が姿を変えたものなのですね。そして、雄山神社中宮祈願殿が旧芦峅寺です。

 正直山岳信仰については素人から毛を引っこ抜いたレベルの認識しかないので、これ以上何かを書いたとしてもゴミにゴミを重ねる以上のことはないのですが、とにもかくにも「立山」という山が古来より信仰の対象だった、というのはどこかで見聞きしたことがあるような気がします。仏教や神道と言うよりは修験道的なものだというイメージを持っていました。
 Wikipediaには立山権現立山修験などの項目があります。立山権現にはさらっと「立山修験道の布橋大灌頂や立山権現信仰の布教が禁じられた」と出典無しに書かれておりますが、果たして何が起きたのでしょうか。
 1つ言えるのは、今の雄山神社のウェブサイトを見ても、このあたりが盛大にごまかされているということです。今更廃仏毀釈の是非をグダグダ言う人も多くはないでしょうし、正直に全部ぶっちゃければいいと思うのだけれど、そういうわけにはいかんのかな。どっちかというと正直に全部ぶっちゃけるのは郷土史とかそっちの話なのか。立山信仰についての博物館ってどこかにありそうだな。というか、いまでも修験道を受け継いでる人もいそうだな。

 そんなわけで、前立社壇です。今の今まで「ぜんりつしゃだん」と読んでましたが、Wikipediaには「まえだてしゃだん」だと書かれていました。お恥ずかしいったらありゃしない。
 ちょっと時間がきつくなっていたので、文化財指定されている湯立の釜を見逃しました。この湯立の釜の解説に、「岩峅寺」の文字が出てきますが、ほかにはここがかつて「岩峅寺」であったことを示すような空気はありません。なんか頑張って消そうとしているあたりがかえって不気味なのですが……。
 あと、高く積まれた石碑の文字が削り取られているのがまた怖い。何が書かれていたのでしょうかね?そして、削るのに石碑を残しておいているのがまたよく分からんですな……。

立山山麓ガイドマップ
大川寺遊園の痕跡がある、と思ってアップを撮ったけど
よく見たら前立社壇の下に「(岩峅寺)」って書いてあった
鉄橋と線路
参道。立山山麓の重要神社のわりには(ホテルも潰れてるし)
商売がかってない参道であります
鳥居 教育委員会の解説
なんか神仏分離や廃仏毀釈の
話をスルーしてるから
かえって分かりづらくなってるような
先に進みます
由緒書
岩峅寺の名前は出てこない
神社のパンフレット。ここにも岩峅の文字は出てきません 文化財案内
さらに進みます 表神門 狛犬
神門入って右手
拝殿 本殿
前田利家の名前が出るのは
この解説のみです
国重文の本殿 本殿脇の石碑
石碑の文字が削られたまま祀られているのが
なんとも怖いのですが……
摂社 境内の様子 東神門 なんかこれより先に進むのが怖くなる雰囲気です

 「この先岩峅寺集落」とある先に進むのが怖くて(まあ時間も無かったんだけど)引き返しました。ぶっちゃけ、この先は登山道に入ると思ったんですよね。
 が、この先は普通に住宅街に入るようで、ほかにも神社などがあったようです。な〜んだ、怖がって損した。行けばよかった。


16 大川寺駅

 本当は、岩峅寺駅に行きたかったのですが(駅舎が特徴的っぽいし)、ちょっと時間的に危うかったので、Googleさんの指示に従って大川寺駅に戻りました。
 鉄橋を走る電車、って絵になりますね。

鉄橋と電車
これが折り返してくる前に大川寺駅に着かねばらならない
立山道について
大川寺駅 鉄橋 大川寺駅。間に合った!

 そんなわけで、無事電車の時間に間に合いました。よかったよかった。

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