春の相馬2022〜南相馬市博物館

 祭場地をあとにして、南相馬市博物館へと向かいます。博物館に向かって歩いている人間が私しかいなかったんですが、おそらく私が競馬場をあとにするのが遅かったからなのでしょう。
 博物館に向かう途中、シャトルバスのバス停を発見。よかった、これでバス停を探す時間を考えずに博物館を出ることができます。
 そして、バス停の向かいに、馬が放牧されているスペースが。博物館滞在時間を考えて馬には近寄らなかったんですが、ここにいる馬は祭礼に出すための馬なのかな?

バス停発見! 馬がいました

 博物館に近寄ると、「五本のけやき」なるコーナーが。原町第一小学校の記念植樹なのでしょうね。
 そして、広々とした庭園が広がります。これだけの広さの公園を管理するのは結構大変だと思いますが、しっかりと芝が刈られており、南相馬市が気合いを入れて管理しているのが分かります。


 さあ、博物館へと入館です。地方都市の博物館ですが、外観は非常に綺麗でしっかりしてます。これは期待できそう。
 荷物を入れようとコインロッカーに向かったところ、盛大に閉鎖されてましたが、これは一体何があったのか……。どう考えても感染症拡大予防と無関係なのにそれを理由にするのもどうかと思う。


 常設展示室に入ると……目の前には野馬追の騎馬武者!!インスタ映え!
 これは素晴らしい。インスタでバズること間違いなし。是非皆さん訪問してインスタ投稿しましょう。
 ……言葉の使い方合ってますかね。

 そんな常設展示室。非常に広く、展示はしっかりしてます。地方博物館らしく、地元の歴史をゼロ(人間がやってくる前)から現代まで通して展示し、さらに野馬追のような特徴的な地域の祭りについては大きめの展示をする、という非常にしっかりした博物館でした。これだけの文化予算を持ってるのは凄いぞ。

ハラマチクジラ

 当地から鯨の化石が発見されたとのこと。200万年前のものとのことです。発見当時は原町市であったことが説明から分かります。


進化する人と馬〜野馬追関連展示

 まずは進化する人と馬のコーナー。これはサラッと済ませます。
 ここにいくちょっと前に北九州でまるごとウマ展を見てきたばかりだったので、ウマの進化についてはすんなり頭に入ってきます。


 そして、野馬追関連展示。
 中心にはインスタ映えする騎馬武者の姿があります。野馬追のメインイベント、神旗争奪戦の姿であります。
 ムカデの旗指物は印象的ですが、どうやらムカデは毘沙門天の使いとされていて、軍師はムカデの旗指物を使うとのことです。これ、どこで見た説明なのだろうか。


 神旗の展示もあります。


 野馬追の解説〜道具の展示。
 神輿が参加するようになったのは神仏が分離された明治以降とのこと。なるほどなー。


 野馬追図屏風。屏風の幅が広すぎて全体像は撮りきれなかったんですが、昼に食べた野馬土手カレーの包み紙に野馬追図屏風がありましたね。食べてよかった野馬土手カレー。
 なお、これを見ている最中に呼び出しがかかって映像ルームで南相馬市の映像を見てきました。観客は私だけ。早起きしたので寝るだろうな、と思ったんですが、なんとか寝ずに見終えました。偉いぞ、俺。

野馬追図屏風左隻 野馬追図屏風右隻 右隻解説
こちらは左隻の解説。まずは巣掛場木戸 野馬沢 野馬懸

 こちらは人形。



羽山横穴

 うってかわって羽山横穴。時代はいつか、というと、6世紀末〜7世紀ころの古墳のようです。現物は国指定重要文化財。この博物館では、レプリカが展示されております。
 Wikipedia文化遺産オンラインにリンクを貼っておこう。



長瀞遺跡

 長瀞遺跡、という名前を聞くと我々南武藏民は埼玉の山奥の長瀞遺跡を思い浮かべるわけですが、もちろん南相馬市博物館で埼玉の紹介なんてしません。
 竪形製鉄炉の模型展示があり、古代に製鉄をしていた様子が分かるようになっております。なにより、竪坑炉を切り取った実物を展示してる、って凄くないですか。びっくりです。
 ただ、この長瀞遺跡それ自体がどういう遺跡なのか、ちょっとよく分からん部分もあり、また頼みのWikipediaさんも対応してません。発掘に携わった関係者の皆様におかれましては、是非夜な夜なWikipediaに書き込みをお願いしたいところです。


桜井古墳〜高見町遺跡、古代史蹟

 引き続き古墳と竪穴住居。部外者なので場所を聞いてもイメージがわかないのが辛いところ。


武士の世へ

 そして、みんな大好き武士の時代。相馬といえば、言うまでもなく相馬氏です。言うまでもなく、と書いたものの、例によって伊達市に伊達の本拠があったのはいつか、みたいな話もあり得るので、相馬市だから相馬氏、相馬氏だから相馬市という単純な話ではありません。
 私の相馬氏のイメージはとにかく騎馬武者が多い、伊達でプレイしてたら早いところ取り込まないと偉いことになる、という信長の野望知識ですので、知識レベルは下の下です。
 信長の野望をやらなくなって10年以上がたちましたが(最後にプレイしたのは烈風伝)、記憶では相馬氏といえば小高城。やはり、地名を聞いても場所のイメージがわかないのがよくないな。あとでしっかり地図を眺めて位置関係を把握することにします。いや、そもそも野馬追の相馬小高神社と相馬中村神社の場所くらい事前に把握しておけ、っていう話なんですけどね……。

さあ中世 中世の主な寺院と神社・磨崖仏 相馬氏の統治 中世の行方郡と村々
中世の主要城館と牛越城 牛越城 県内の南朝・北朝の様子 中世後期の群雄分布図
中村藩中ノ郷の村々と史蹟 相馬中村藩の成立

民俗−馬と生きる

 中世〜近世に入って、馬と共に生きる姿をあらわす、民俗展示です。馬具などは色々な場所で見慣れてはおりますが、見てるだけで頭に入っていないので改めてお勉強。


近世〜近代

 戊辰戦争では奥羽列藩同盟に入って幕府側について相馬中村藩ですが、そのあたりの解説は少なめ。なお、相馬中村藩は新政府に1万両を献納し、所領を安堵されたようです。このあたりの裏とかについてもうちょっと解説があると嬉しかったかも。

原ノ町宿の街並み 浜通りの戊辰戦争 行方郡の行政区分

原ノ町機関庫

 常磐線、というと、自分の中ではいわきで終わってたんですが(磐、だし)、日暮里から宮城の岩沼駅までを常磐線と呼ぶようです。東日本大震災で被害を受けたことはニュースとしては耳にしておりましたが、実際にどのあたりの線路がどのような被害を受けたのかについては全く認識しておりませんでした。
 ここでは、機関庫に関する展示がメインであります。


原町飛行場

 原ノ町にも飛行場があり、戦争では活躍したようです。飛行場がある、ということは裏返せば狙われる、ということでもあるわけですが……。戦争関連の展示は辛くなるので軽く眺めるだけで終わってしまうのでした。


野馬土手

 博物館の外には、野馬土手の展示がありました。ちゃんと解説を読んでなかったので、そもそも野馬土手とはなんぞや、について理解したのは家に帰ってからであります。


機関車

 バスの時間が迫っていたので、機関車は外から眺めただけ。


帰路

 なお、博物館を出ると雨が降ってきておりました。
 バスは時間通りやってきて、そんなに濡れずに済んだのはよかったよかった。

 駅に戻り、反対側にあるガストで時間つぶし。


 原ノ町駅のキオスクは17時で閉まるんですが、それに気付かずに店内でぼーっとしてたらガラガラとシャッターを閉められたのでした。


 帰りは東京まで直行する特急ひたち。どうもこのひたちは新幹線の最終に接続したりできる凄い奴のようですが、荒天で一部区間スローダウンしたため、遅延が発生。終電間際で慌ただしい思いをした方もおられたかもしれません。また、柏に臨時停車してドアも開いたんですが、どういう仕組みなんでしょうか。常磐線ユーザーじゃないのでよく分からないところ。

 そんなこんなで、私は無事帰宅。
 本番の野馬追も見に行きたいところで、できれば今日見た馬がいるタイミング、つまり今年か来年くらいの方が出走馬に対して思い入れもあっていいかな、と考えていたりしております。

第77回相馬野馬追振興春季競馬大会
レース開始まで 予選 野馬追マルシェ〜決勝 博物館
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