ロシア旅行記その15

 続いてはイサク聖堂を目指します。というわけで,まずは要塞から最寄り?のSportivnaya駅。
 横にあった別の建物(多分駅名からしてスポーツ施設)と入口間違えました。
 そこから,イサク聖堂最寄りのAdmiralteyskaya駅。何気なくWikipedia見たら,サンクトペテルブルクで最深の駅のようです。そういえば,この駅ではエスカレーターで客は右に並んでました。つまり,大阪方式です。これまで自分が意識してた限りではエスカレーターで立つときは皆左に立っていたので,てっきりロシアは左で統一なのかと思ってた。ルールはないのでしょうか?それとも,ここは「ロシアの大阪」という異名を持ってたりするのでしょうか。なお,これを書いている今となっては,実は「モスクワとサンクトペテルブルクで違うだけなのではないか」という疑問に答えられるだけの記憶が残っておりません。

横のスポーツ施設 スポーツにちなんで?
オリンピア的な絵
間接照明 ホームへ降りる ホーム到着
Admiralteyskaya
中央がホールになっていて,左右にホーム
広々としているのは,土地の広さと
戦時に大人数を収容できるようにするためと
両方だろうな……
黄色い線には
白丸がセットになってます
ひじょーーーに分かりづらいのですが,
上の方を見ると立ってる人が右側に寄ってるのが
ぎりぎり分かるのではないかと


 そこからイサク聖堂へは特に道に迷うこともありませんでした。徐々に旅慣れてきております。これも何気なくWikipediaさんを拝見したところ,レニングラード包囲戦でドイツ軍の標的になるのを恐れて金色のドームを灰色に塗ったとか。そんな歴史があるんだなあ。
 なお,こちらのサイトによると,かつてはキャベツ倉庫として用いられたという,悲しい過去もあるようです。タマネギでなくキャベツだったのは,ドームがタマネギ型じゃなかったからなのかな……。ここに,当時の写真がありますね。大聖堂の前にキャベツ畑。現代から見たら信じられない光景だ。その他のレニングラード時代の写真もここにあるな。ううむ,興味深い。

見えてきた ピカピカの柱 どでかい扉 上を見る


 イサク聖堂の見学は上と中に分かれます。
 そして,まずコロナドから,との指示を受けます。というわけで,上にのぼります。階段は広く,中欧の時のようにのぼっていて目が回るようなことはありませんでした。
 びっくりしたのが最後。片側の塔から中央に向かって,プレハブ階段が伸びている驚きの構造でありました。結果的にこうすることで上りと下りを分けて渋滞と事故を防止してるわけですが,これってある意味小天守から大天守に向かって外に後付けの階段伸ばしてるような感じじゃないのだろうか名古屋城エレベーターみたいだな……と思ったけど,さすがに石造りの建物だから例えとして不適切かな。例えるなら福岡城の天守台まわりか。そう思えばまあたいしたことないかも。
 いずれにしても,なかなかびっくりでした。


262段!

段数が書かれてます



工事中であります

外付け後付けの階段を
あがっていきます

こんな場所をあがる

作業中

 そんなわけで,上に上がりました。心地よい風!素晴らしい景色!最高!来て良かった!!
 テンションが上がりすぎて,(普段自分の写真なんかに興味ないのに)周りの人に写真をたくさん頼んでしまった。それにしても,構図を指定せずに写真を頼むと,みなさんそれぞれ独自の構図で写真を撮っていただけるのでちょっと面白い。


見学スペース

見上げる

アップで

方角表示

さっきまでいた場所

1周した
 
らせん階段がなんともいえない


 下に降りて反対側に周り,今度はMuseumへ。堂々とMuseumって言っちゃうのか。ここも小部屋方式ではなく,広々と開放的な構造であります。そして,もちろんイコンはありますが,普通の絵(なんと呼ぶのか分かっていない)メインでイコンの量はそこまで多くなく,インパクトも強くありません。Holy Doorの奥にモザイクのイコンもあるし,これが,なんとなく自分が従前イメージしていたロシア正教だな。
 そして,中はこれまで以上に商売がかってる印象です。Museumという名前からくる先入観だけではない,はず。
 とはいえ,入って右奥にはちゃんと?信徒の礼拝用スペースも設けられております。でも,こんな観光的雰囲気の中でお祈りできるんでしょうか。
 ところで,日本には「博物館」として完全に開き直った神社や寺院ってあるのかなあ。まあ,ことロシア(旧ソ連というべきか)に関しては,開き直ってるわけでなく本来の教会機能を破壊された側面が多いんだろうけれど。



St. Peter

Exaltation of the Cross

Jesus Christ Sends
His Image to Argur

 「馬と騎士の像」を見て,ニコライ宮殿へ向かいます。
 この「馬と騎士の像」というのはこれが誰なのか分からなかったNPが現地で取ったメモに書いているバカコメントであり,一般にこれは「青銅の騎士」として知られる(Wikipediaでも「青銅の騎士」が項目名。),ピョートル大帝像であります。「青銅の騎士」とかいっちゃうと騎士の下にいる馬はどうなるのよ,と不安になるのは,馬バカだけなのであります。馬バカNPは,当然,この名の由来になったプーシキンの叙事詩を知らないどころか,プーシキンなんて名前しか知らんのであります。お恥ずかしい。
 それにしても,レニングラード包囲戦でこの像を守るためにカモフラージュがなされたとか,この像はスウェーデンを向いているとか,なかなか面白い像ですね。下の石もなんか独特だな,と思ったら,ちゃんとWikipediaで触れられているレベルなんだから恐れ入りました。


 というわけで,一通り観光終了。夜の部へ進みます。

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