ロシア旅行記その14

 ペトロパヴロフスク要塞です。現地にいるときは「相変わらずロシアの名前はなんだか長くてよく分からんな」とか思ってたんですが,後でWikipediaを見てみるとペテロとパウロの要塞,という,極めて分かりやすい名前のついた要塞でした。なるほど,確かにそうですね。こうやって意味が分かると名前を覚えられます。しかし,これだけの観光名所なのにWikipediaが短いな。でも,これを見たおかげでドストエフスキーやレーニンがここに収容されていたことが分かったんだからよしとすべきだな。

対岸のMarble Palaceなどを見る イオアノフスキー橋 トロイツキー橋 門へ近づく
この門の名前は不明 門の中 セグウェイがお出迎え SecretPassageとありました
特にSecretにも見えませんけど
もしかしたら昔はもうちょっと
隠れてたのかも

 入場料を払って先へ進みます。ペトロスキー門から中へ。門は二重構造になっているわけで,日本的な発想でいけばこの中間地点は曲輪という感じですね。でもまあ,特に告知構造になってるわけでもなく,単に二重壁・二重門ってことになります。……と,現地では思ってたんですが,あらためて見てみるとこの部分の脇(川に面してる部分)の壁が明らかに低い。ということはもしかしてここかつては堀で,埋め立てられたのかな?

パンフレット
非常に美しい稜堡式要塞であります
(周囲を埋め立てられてはいるけれど)
内部の展示案内 ペトロスキー門

 とりあえず,石垣の上を歩けるのは分かってるので上に向かいます。有料。く〜,ここまできて上にのぼらない選択肢はない。上手い商売だ。しかも,100Rb→150Rbに値上げしておるな。ぐぬぬ。
 でも,景色はいいから不満も解消であります。700円+300円弱でここに上がってこれるんだから,総じて考えればまあよいんではないかと。というか,日本の城が総じて安すぎるんだよな……。
 なお,自分でも時系列が分からなくなってきているので確認。日本で有名な稜堡式要塞といえば言うまでもなく函館五稜郭。五稜郭(と四稜郭)に行ったのは2013年のことのようです(完全に他人事)。あと現時点(2016年)で覚えてる自分が行った稜堡式要塞は,ペナンコーンウォリス要塞。これがどうやら2014年の出来事のようです。もう昭和は遠くなりにけりとか言ってるレベルの話でなく記憶が吹っ飛んでいる。で,今の記憶としては,ここペトロパヴロフスク要塞が人生初の稜堡式城郭です。

中の並木道 壁へ上がる道 なんか分からないけど
大量にコインが置かれている
上ってきた階段 中を見る
教会が目立ちます
五稜郭理論だとここを狙われそうですが
建築された時代とか実際の戦闘とか
どんなんだったのかさっぱりわからないので
これ以上コメントのしようがありません
ぐる〜っと眺める 1つ奥の稜堡 奥の稜堡からもといた場所を見る
 
角に位置している
中に入れる円柱的なもの
稜堡城郭に詳しくないので
これの名前を知らない
船着き場への門
元からあったんですかね?
上の道はこんな感じ
教会の尖塔や何かの旗が見えます
教会を正面に 下を見れば大砲が

 稜堡式要塞の最大のメリットは死角が少ないことで,そのメリットは上から見てよく分かります。ただまあ,五稜郭でも思ったことですが,この当時(18世紀前半)どういう飛び道具でどういう戦争をしていたのかをまるっきり理解できていないので,この要塞の善し悪しは全く分かりかねるのでありました。
 角っこに設置されている円柱型の見張り小屋というかトーチカの簡易版というかなんというかなものは今のところ(といっても上記の通り片手で数えられるレベルなのだが)ここでしか見たことがありません。小ささ的になかで鉄砲構えるのもなかなかに厳しそうな気がするし,純粋に見張り目的だったのでしょうか。
 そんなわけで,下界に戻ります。まずはさっき上から見た船着き場を目指します。半地下部分には門の中からも入っていけるような構造になっております。この門には1787年の文字があるんですが,この年に作られた門なんでしょうかね?



中の様子 大砲を近くで見る 内側から見た門
1787年がなんなのかは
不明です
門の中 読めないけれど,碑文があります
また,ここから階段を降りて扉があり,
内側からだけでなくこの通りからも
半地下に降りることができます
外から見た門
НЕВСК?Я ВОРОТА
と書かれてるように見えますが
検索した限り全くヒットせ
犬走り的な部分は
見るからに新しい

 そんなわけで,いよいよ本丸というべきペトロパヴロフスク教会であります。黄色というか金色というか,こんな色の教会もなかなか見ることができません。一部工事中なのがちょっと残念ですが,まあ仕方が無い。

角の建物 教会 工事現場 正面を見上げる いざ中へ!

 さて,教会内も工事中でありますが,まあこれは仕方が無い。
 ここも広々とした教会でして,小部屋タイプではありません。そして,色が全体的に明るい。気持ちいいです。また,シャンデリアがあります。実は,これを書いている数日前にチェコプラハの教会の中心にシャンデリアがあるのを見て,「そういえばシャンデリアがある教会って見たことないな」などと浅はかな記憶で浅はかな感想を述べていたのでありますが,こうしてちゃんとシャンデリアのある教会を見ているのであります。まあ,何が悪いって,チェコに行く前に散々まわったイギリスの教会は軒並み天井が高くてシャンデリアどころの騒ぎではないことがいかんのだな。
 あと,ここのカザンのイコンはなんとなく自分が好きなタイプです。なんかいい感じです。



 さて,外に出まして,時間はないけど,「歩き方」お勧めのCommander's Houseへ。途中,Hall5まで英語の案内の存在に気付かなかった。モスクワよりも英語表記が多いのは安心できますが,このあたりの英語の量は担当者の気まぐれなんですかね。
 ここにアップしなかった画像は二度と見ることがないであろう,という確信を前提に無駄にぽこぽこアップします。
 なお,時間と気力と電波があればロシア語を英語に変換する努力をするんですが,今の自分にはその3つとも欠けているため,特に何らの説明も載せずに終わってしまいます。これつまり,二度とこれらの展示品の意味を知ることなく終わることを意味するんですが,仕方が無い。ハナからこの結末を予想して余計な写真を撮る作業をやめるのが本来あるべき時間と体力とハードディスクの有効活用法なんだろうけど。
 それにしても,デカブリストの乱なんて単語,高校(浪人してるから正確には受験勉強以来,とした方がよいのか)以来初めて聞きました。いやあ,人間長生きするものです。Decemberと同語源の言葉なんですな。後学のためにWikipediaさんのリンクを。なんか分かりやすいロシア史の本ないですかね。漫画ロシアの歴史とか。


建物が並ぶ様子 当然この要塞のジオラマだろうと思って
写真を撮ったのですが……どこだこれ
Shlusselburg Fortress
Oreshek
16〜18世紀とあるんですが
幅広すぎないですかね
何かの旗 どこかの様子
ピョートル大帝こと
ピョートル1世
18世紀最初の四半世紀の
プライベートインテリア
Room 6 St Petersburg The Capital of the Russian Empire

真ん中の要塞がこの要塞
なのだろうと思われます
その左下の教会はイサク?

船内を模した区画へ

Cover of a chest for
preserving the "Charter"
18世紀終わりの作品

大事そうなのは分かるのだが
実際にどういうものなのだろう
 
18世紀半ば〜
19世紀のサンクトペテルブルク

アレクサンドル1世のもの

1812年の胸当て
1798年の剣
胸当ては英語でcuirassと
いうことを初めて知りました

1825年,デカブリストの乱
  
こういう場所デカブリストの乱の反乱者への判決が言い渡されたとのこと
 
ニコライ1世の馬像

1830年代に作られた食器
  
茶器や花瓶
  
1820年〜40年ころの作品
 
アレクサンドルの円柱と,建造方法

19世紀初めの時計

カーゴバルク船Sominka

蒸気外輪Vera船
  
19世紀末〜20世紀初の船のモデルやスコープなど
 
誰だか分からなかった
  
昔のアパートのモデル
案内の(暇そうな)おばさんに,反対側からも見られるよ,と言われたのを覚えている

コーヒー挽き機

スチームアイロン

電話

馬車
 
馬のトラム


 続いて,監獄跡。様々な有名人が収監されていた(収監されたあと有名人になったのか),由緒正しき監獄であります。
 解説を読むと,sentencingの前に入っていたので,未決の収容所ということになるんでしょうかね。
 タバコなどが許されていたというのは正直意外ですが,まああくまでルール上ということなので,実際の運用がどうだったのかは分からないということでしょうか。

 まあ,最大の問題は,僕自身がもはやロシア革命の知識を完全に失っていることであります。無念。

Prison Regime 1890年代の入所者チェック 1872〜1879の裁判中の拘禁者の監獄
壁は防音材の上に壁紙が貼られている構造
窓のネットは逃亡防止ではなく鳩よけ
タバコやTea Kettleが許されていたとのこと
壁の構造 72の独房,2つの懲罰房
のほか教会・図書館などが
あったとのこと
廊下 別の独房
基本的には同じです
1879年の暴動
Tapping alphabet
Tappingによる収監者間の通信
1879年にリフォームされたらしい Maria Vetrova
7号房でケロセンランプで
焼身自殺を図り,
6号房で4日後死亡とのこと
19C末〜20C初にかけて
水と電気が通ったようです

血の日曜日事件
 
ロシア革命と監獄
   
懲罰房。中は暗い,のは雰囲気を出すためなのか,もともと明かりがなかったのか?
解説によるとHeatingはなかったようですが。穴が多く,ここから採光しようとしてることからして
明かりはなかったのかもしれないな
  
懲罰房内部。フラッシュ焚いてみた
 
Viktor Chernovさん

廊下
 
  
のぞき窓

よく分からない人形


 と,いうわけで,刑務所を見学したところで時間切れ。軽く用を足して,外に出ます。
 古いバスを改造したトイレです。移動式なんでしょうが,別にこの日が特別混んでるわけでもないので,基本的にずっとここにいるのではないかと。

トイレに改造されたバス 門。こっちは扉すらない Kronversky Bridge 橋からの眺め


 昼の代わりにゆでもろこし80ルーブルと,CAMCA40ルーブル。これを何の不安もなくサムサと読める自分が嬉しい。ロシアはパンがおいしい国として有名ですが,こうやって簡単においしいパンをつまめるのは忙しい(慌ただしい)旅行者には大変有り難い。

ゆでもろこしに塩 建物取り壊し中 Cathedral of
Holy Prince Vladimir
ここでCAMCAを購入

 と,いうわけで,イサク聖堂に向かいます。一駅ですが,時間も無いし地下鉄駅に興味もあるので電車を使います。


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