トリの旅行記 北米編 9/17
朝、5番街のレストランで朝のモーニングを食べる。いわゆる1つのアメリカンブレックファーストである。けっこう油っこい。健康によろしくない。やはり朝食はあったかいご飯に味噌汁にかぎる。
本日は日曜日である。ここはキリスト教国であるので、ミサが開催されているはず。そこで我々はミサに参加することにする。どうせならということでセントパドリック教会に行く。
ミサ開始。なにやら呪文を唱え、信者が復唱し、いわゆるゴスペルを誰かが歌い、さらに再び僧侶がありがたい説教をし、というのを何ターンか繰り返し(少なくともそう思えた)終了。何を言っていたのかさっぱりわからない。たぶん日本語で言われてもわからないだろう。
SAMに私が礼拝をしていなかった理由をたずねられたのでこの場を借りてお答えしよう。あまりにも複雑なことなので即座には答えられないものだった。
まず、宗教について。宗教は信仰心の薄い日本人にはほとんど意識されないがそれ1つで何百年も戦争が起こったり、虐殺が起こったりするするほどの非常に微妙な問題であるというのは誰もが知っているであろう。その上で、私はすべての人の信仰の自由を認め、かつ他の宗教に十分の敬意を払うべきであると思う。で、ここまではみとめてくれるでしょう。
今回の場合、キリスト教のミサに行った。キリスト教というのはご存知の通り一信教で他の神への崇拝を許さないはず。私は自分の意識として、信仰心は厚くないものの仏教徒であり神道信者であるわけだ。まあ、そんなのありかといわれれば多くの日本人がそうであるようにそうなっているとしかいいようもないし、日本の仏教も神道もそれを認めている状態でなにも問題はないはず。そんな多神教信者が一神教の神に礼拝することはすなわちキリスト教というものを侮辱する行為であると私は考える。おそらくキリスト教徒もそう考えるのではないだろうか。
では、そんな異教徒がミサに出席してよいのだろうか?答えは可である。キリスト教は異教徒に開かれた宗教でそのミサ参加の権利は誰にでもあるのである。ただし、キリスト教に敬意を払った上で。
以前、アメリカ人のキリスト教徒に質問したらミサに参加するのは構わないし、礼拝はする必要ないと言っていた。むしろキリスト教徒でもないのに礼拝するのは変なのである。
というわけで、私はミサには参加したが礼拝しなかったわけ。逆に聞きたいんだけど何故無宗教自称するSAMは礼拝なぞするんでしょう。それこそ矛盾しているし、さらにキリスト教に対して失礼なのではないでしょうか。納得のいく解答を待っています。
さて、旅行記にもどるとそんなこんなでこの日も終了。途中、えらくでかいハーゲンダッツのアイスを食べたり、夕食に中華料理屋へ行って見事S.Wがこんどは中国語で「チンジャオロース」といって通じたりした。