トウショウダイジ
バス案内 | 世界遺産!! | 境内案内図 |
一般の人に口頭で「トウショウ○○○」といったら,ボーイが入るのか,それとも「唐招提寺」となって返ってくるのか……。こういう統計は政府統計局がとってくれるからいいとして,NPが今回の旅行で唐招提寺に行きたかったのは,別にトウショウの馬が好きだからとかそういうものではありません。なんとなく,特に特別な理由があるわけではないのですが,鑑真和上に対するあこがれというか,畏敬の念があったのであります。
本当か嘘かは知りませんが,とにかく幾多の苦難と失敗を乗り越えて日本に来て戒壇を設立し,日本に尽力した,いやぁ,すごいですね。宗教心なのかなんなのかはNPの知るところではありませんが,とにかくそうやって日本のために来てくれた鑑真さんの唐招提寺を訪れてみたかったのであります。
そんなわけで,薬師寺から歩くこと10分くらいかな?唐招提寺に着きました。向かいにはいかにも観光地な売店。そして,向かい側から韓国語を話す集団。これぞ,観光地奈良です。別に観光地としての奈良に行きたかったわけではないんだけれども(混雑嫌いだし),奈良っぽさを感じるのもいいことです。
そんなわけで,缶コーヒーを飲みながら団体さんがいなくなるのを待って,いよいよあこがれの唐招提寺であります。
南大門(道が狭いから正面からは無理!) | 縁起 | 唐招提寺 | 南大門の様子 | 南大門から金堂方向 |
薬師寺とは異なり,特に順路図のようなものは定められていないようであります。
というわけで,目の前にある金堂に向かいます。
正面から | 面白い格好の鴟尾です | 斜めから | 横から |
そして,金堂右手の鼓楼。これも国宝らしいです。いやはや。
鼓楼奥に講堂 | 鼓楼と礼堂 | 鼓楼 |
そして,ぐるっと回って,礼堂と東室の中をくぐり抜けます。礼堂も鎌倉時代のもののようですが,これは重文なんですね。このへんの国宝に値するだけの「何か」ってどうやって決まってるのか,ちょっと気になります。検索すればすぐに見つかりそうだけど。ここは10月の21日〜23日だけ内部公開されるみたいです。行ってみたいけど,混んでるのは嫌だからここを目がけて行きたいとは思わないあたりが所詮単なる旅行者なのであります。
ここを通る | 礼堂 | 左 | 右 |
で,講堂。金堂の裏に隠れていて注目度が低いのですが,奈良時代創建の国宝なんですね。そして鐘楼は特に唐招提寺のホームページでも触れられていないのでありました……。
裏側から金堂 | 鐘 | 講堂方向 |
んで,続いて戒壇へ。
偉そうに鑑真を畏敬してたとかいいつつ,鑑真が設立した戒壇は東大寺であったことなんて知らんかったのでした。福岡太宰府の戒壇院にも行ったなー。懐かしい。
唐招提寺の戒壇には創建時設立説と鎌倉時代設立説があるらしいですが(ただし,石段は鎌倉時代なのは争いが無さそう),公式ページは創建時建立説を採用しています。まあそりゃそうか。あと,なんで桂昌院さんの出自の本庄氏の家紋があるのか,気になったので3分ほど調べてみたのですが,分かりませんでした。これ以上調べるとなると疲れそうなのでこれにておしまい。
戒壇の真ん中の宝塔は,インド・サンチーの古塔を模したものらしいです。どうでもいいですが,これを書いている時点で公式の戒壇の説明が「昭和53年(1980)」となっており,どっちが正しいのかよく分からなくなってます。Wikipediaによると,1978年だそうなので,1980が間違いのようであります。にしても,公式説明の解説が「模した」だけっていうあたりがまたなんとも。もう少しなにか理由をくっつけてもらえると,旅行者として妄想が高まるんだけどなあ。
西室跡 | はす池 12月には何も無し |
壁と門 | なぜ三つ葉葵? 左は九目結紋らしいです |
戒壇 | 門越しに |
そのまま,外をぐるっと回って醍醐井戸〜本坊〜御影堂〜開山御廟。
途中にあった「訶梨帝母」社ってなにかと思って調べたら,鬼子母神のことなんですね。いや,もちろん,鬼子母神がなんなのかよく分かってませんが。
御影堂は6月5〜7日に公開のようです。ううむ,公開日がそれぞれ異なるのは寺院側としては(運営の問題も含めて)当然なんでしょうが,一般観光客的には辛いな。
醍醐井戸 | 本坊付近の土壁 | 本坊 | 訶梨帝母社 | ||
こんな雰囲気 | 御影堂 かの有名な鑑真和上坐像はここにあるらしい |
土壁 | 御廟へ | ||
苔庭 | 御廟 | 池と鴨 | |||
滄海 |
そのあと,新宝蔵に寄り,宝蔵と経堂に戻ってきました。どっちも教科書で見たような校倉造の建物で,どっちも国宝のようです。
あとから写真だけ見てるとどっちが宝蔵でどっちが経堂なのかよく分からんな。
宝蔵 | 経堂 |
最後に金堂。
売店によって,なにかいい具合の鑑真さんの伝記本があったら買おうと思っていたのですが,どうも手頃なサイズの本が無く,断念。
というわけで,続いて,奥の院の西方寺を目指します。唐招提寺の方に,奥の院への行き方を伺ったところ(奥の院の存在はGoogleMapで知ったのだから,場所は分かってたんだけど),「行ってもしかたないよ」と言われたのが若干気になりましたが……。
金堂 |
そんなわけで,西に5分ほど,線路を越えて奥の院西方院であります。
うむ,確かに人気が無く,あの唐招提寺の奥の院とは思えない雰囲気。今は檀家寺なのかな?そんなわけで,お寺というよりも完全に住宅な雰囲気に圧倒され,外観だけ眺めて退散。
山門 | 築地塀 | 山門 | お地蔵様 | この石の雰囲気だけなんか凄い |
というわけで,尼ヶ辻駅を目指して歩きます。すると,左前方に見えてくるのは垂仁天皇陵。不勉強すぎて,垂仁天皇がどういうお方なのか,これを書きながら調べるレベルなのではありますが,そのへんは気にしないことにします。
これまでにも,いくつか天皇陵や古墳には行ったことがありますが,ここまでしっかりお参りしたのはおそらく人生初だな。
道を挟んで反対側には,垂仁天皇陵陪塚ほ号。いろはにがどこにあるのかはよく分かりません。
歴史地区 | 垂仁天皇陵 | 宮内庁より | まっすぐ進む | 拝 |
そんなわけで,尼ヶ辻駅。あとは新幹線で帰宅であります。お疲れ様でした。
尼ヶ辻駅 | 京のおばんざい |
にしても,奈良ってほんと教科書で見たお寺がわんさかあって凄いなあ。こんなんだから競輪へのやる気がでないんだろうけど,競輪でしっかり稼いで文化財にお金を回してほしいものです。競輪場の客なんて8割方文化財に興味が無いと思われるので,文化財に興味が無い人のお金を文化財に回すっていうお金の回し方はいいと思うんだよな。