マチカネハットリ

5 落語みゅーじあむ

 池田城をあとにして、続いての目的地は落語みゅーじあむ。
 池田に由来する上方落語の演目が2つあることが説明されておりますが、市立で博物館を作る理由としては薄いので、おそらくなにかもうちょっとちゃんとした理由があるんだと思います。
 如何せん私はニワカですので、「池田の猪買い」「池田の牛ほめ」という池田が出てくる2つの落語の話のことは全く知りません。したがって、特に何の感慨もわかないのでありました……。



 まあ、ここがあることで定期的な落語会は開かれているようですし、2階の図書室には様々な本や落語音源がおさめられているようなので、意味のある施設ではあると思います。無料なので特に文句もありません。

落語みゅーじあむの近くには
呉服座という芝居小屋
呉服座というのは梅田にもあるみたいですね
落語みゅーじあむ 顔出し みゅーじあむ内の高座 駅にも落語の顔出しが
ありました

 そのあと、栄町商店街を抜けて、線路の反対側へと向かいます。


6 呉服神社

 線路の反対側に出て、呉服神社へと向かいます。正直なところ、参拝した時点でごふくじんじゃなのかくれはじんじゃなのか分かってませんでしたが、今になってホームページを見たところ、くれはじんじゃであることが判明しました。この程度の頭で参拝しているから、御利益がゼロなのでありますよ。
 荒木村重の乱の際に一旦焼失した本殿が、豊臣秀頼に命じられた片桐且元の手で再建された、というのは、歴史好きとしてはポイントが高いですね。

石鳥居 呉服神社へ 縁起 神門 呉服の額 境内 謡曲呉服と呉服神社
ここにふりがなふられてた
拝殿 左右には綺麗なガラス装飾 恵比須神社 ご神木 手前に「伊勢月參講」とあります
(もう1文字埋まってるようにも見える)
天満宮と梅 本殿への叩き板 千羽鶴が奉納されてました 池田駅

7 大石塚古墳・小石塚古墳

 続いて、岡町へ移動。
 目的地は原田神社だったんですが、ふとGoogle Mapを見ると、駅の反対側に古墳があったので、寄ってみることにしました。
 検索したところ、この古墳は桜塚古墳群に含まれる古墳のようです(そして、気付いたら豊中市にいるようです)。Wikipediaによれば、岡町周辺に44基の古墳があり、うち39基が破壊され、残っているのは5基とのこと。こんな駅前一等地の古墳がよく残ったな、と驚く次第です。

岡町に到着 一本道を間違えた

 この前方後円墳というのは鍵穴型の非常にインパクトのあるかたちをしていることもあって、一度見たら忘れられないネーミングと形をしてるんですが、形状からどうしても鍵穴が浮かんでしまうため、前方後円ではなく前円後方墳のイメージを持ってしまいます。なぜ方形が前で円形が後ろなのでしょうか。
 てなわけでWikipediaで前方後円墳を見てみると……前方後円墳と名付けたのは江戸時代の国学者蒲生君平。宇都宮出身ということで、宇都宮の蒲生神社となにか関係があるのかと思ってみたら、蒲生神社のご祭神がそのものズバリ蒲生君平先生でした。で、Wikipediaベースではありますが、前方後円という呼び名は「慣習と便宜」であるとのことです。

史蹟大石塚小石塚古墳 南が大石塚、北が小石塚です
両方とも円が北側にあります
昭和31年につくられた解説
なぜか大石塚古墳の柵の中にある
西から東方向を見る
右手が大石塚、左手が小石塚

 古墳は当然ながら柵で囲まれているため、端から見たら丘です。岡町ってまさか古墳の丘があったから岡町なのだろうか、と思いたくなるくらいに、たんなる丘です。

 まずは大石塚古墳。


 続いて、小石塚古墳。こっちは通路的なものがあるので、もしかして中には入れるのか、と思わせつつ、中には立入できません。


8 岡町商店街

 駅の反対側に出て、原田神社へと向かいます。
 岡町駅回りにもしっかりとした商店街が形成されております。このあたりはまだまだ郊外の国道沿いの店に客を持っていかれずに済んでいるようですね。


9 原田神社

 商店街を歩くと、原田神社への入口が出てきます。商店街の裏手に神社境内があるというのがなかなかびっくりです。そして、境内が思った以上に広い。キャッチボールどころかサッカーもできそうですね。
 そして、こんな場所にあって本殿が国重文のようです。そこまでしっかりチェックしてなかったので、本殿はスルーしております。
 Wikipediaによれば、ここの社殿も荒木村重に焼かれたようで、このあたりは荒木さんにやられまくったのか、それとももしかしたらこのあたりで起きた不幸はすべて荒木さんの責任にされている可能性もありますね。また、このあたりの商店街が栄えたのは能勢街道と伊丹街道の結節点だたためとのことです。能勢街道については、このあと存在を認識することになります。

商店街から原田神社へ 本殿は国重文 神事について 境内
拝殿 摂社の十二神社は
豊中市の有形文化財
十二神社


10 服部天神

 この旅最後の訪問地は、服部天神です。その名もズバリ、服部天神駅で降りてから徒歩数分。交通の便がいいと行きたくなるのが人情です。
 駅に降りると、気になるものが見えるんですが、それは後回しにして天神様へ。駅を出ると参道の矢印が出ているので迷いません。


 この参道が、先ほどもちょっと出てきた能勢街道のようであります。また、解説には、落語「池田の猪買い」にここ服部天神が出てくると説明されております。いかんせんこの落語を知らないからコメントできないのであります。初天神の天神はどの天神なんでしょうか。Wikipediaによれば元々上方落語らしいので、大阪方面の天神様だとは思うんだけど。


 さて、矢印に沿って境内にはいると、そこは城でいうところの搦手口でした。神社のこの裏側の入口ってなんていうのか、未だに知りません。
 裏側の参道脇には、解説ボードがあります。表から入ってたらスルーしてたと思われるので、裏から入ってよかったといえるかもしれません。


 そして、天神様と、その横のえびす神社にお参り。えびす神社は元々サントリー創始者の鳥井さんの邸内社だったとのことです。いやはや、お金持ちは凄いですね。

天神様 えびす神社

11.1 服部会館

 これで終わりにしてもよかったんですが、もう1つ気になるものがありました。駅から見えた、あれです。そう、どこから見ても忍者ハットリくんにしか見えない広告看板。
 ネットで「服部会館+ハットリくん」とかで検索しても、もちろんここが著作権的にどうなのか、的な記事はたくさん出てくるんですが、実際にここのオーナーにインタビューしたりした記事は出てきません。どうやら有名なパチンコグループのお店らしいので、それくらいしている人がいても良さそうだけど。

駅から見えた景色 正面からは普通です こっちにもいました

11.2 商店街と一号艇

 続いて、商店街。商店街自体はどうでもいいんだけど、服部会館の目の前に気になる店が。その名も麺匠一号艇。どっからどう見ても競艇な名前で、てっきり元競艇選手がやってるかなにかかと思って検索したら、FC店なのは分かりましたが、競艇との関係性が分かりません。
 ここに店内の様子が載っていて、店内の雰囲気は競艇とは真逆の方向を向いてるっぽいことは分かりました。

一号艇 商店街

11.3 服部天神駅

 そして、最後に服部天神駅。
 ふと見たら、駅のホームのど真ん中を木が貫いており、上に神棚が。なんと、服部天神駅は元々服部天神の境内にあり、これは服部天神のご神木であるとのことです。いやあ、凄いですね。


 てなわけで、大阪は正直まだまだ全然回れておらず、土地勘も地理勘もないのですが、徐々になんとかなるでしょう。
 帰りは南方から新大阪まで歩きたかったんだけど、疲れてたので一駅電車に乗ってしまいました。お金もったいないよなあ。

マチカネイケダ


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