マチカネイケダ


 2日目。元々の予定では、この日は妙見山登山を企んでおりました。自分の中では妙見山というのは高尾山ばりにみんなが仲良く登る、幼稚園の遠足の定番コースだと思ってたんですが、どうやらそんな生やさしい場所では無く、しっかりと登らないと登れない山のようです。そうであれば、暑い時期に登るとメタボな私の体力的にきつい。ってことで、3月なら行けるかな、と思ったのでした。
 そして、色々と調べるうちに、行きはリフトとケーブルで登って帰りは歩くという石清水八幡宮方式にすることにした……のですが、あらためて検索したところ、どうやらリフトもケーブルも未だオープンしていないということが判明。あれ、もしかして想像以上に高いところにあるのか。

 なんにせよ、北極星というHNを使っている以上人生で一回は行ってみたい妙見山、今回はスルーとなったのでした。

 となると、どこに行くか。目線は川西方向を向いておりましたので、今回は池田に向かうことにしました。
 この日の宿は新大阪だったんですが(前年の大阪行きの際に泊まったので慣れてたのが大きい)、実は新大阪から阪急に出るのがちょっと面倒くさいということが分かりました。正確には、阪急に出るのは面倒じゃ無いんだけど、池田方面に行くのがちょっと面倒くさい、という感じです。

 そんなわけで、新大阪のロッカーに荷物をぶっ込んで、動き出します。クリアソン新宿の試合を見に来てたはずなのに、気付いたら浦和のナップサックを背負ってます。

1 石橋阪大前

 まずは石橋阪大前で降ります。大阪の電車事情は全く頭にないんですが、こんなところで阪急が分岐してるんですね。石橋阪大前という響きは、どこか駒場東大前に通じるものがあります。ほかにも「地名+大学名+前」という場所はあるのかな?

西中島南方。新大阪から歩くか1駅電車を使うか非常に迷う 石橋阪大前 阪急石橋駅 散策案内
商店街 不二家が石橋ロールなるものを出しております SHOPPING STREET いしばし 卒業おめでとうございます

 ちなみに、ここ池田市は安藤百福氏がインスタントラーメンを開発した、安藤氏の自宅所在地でして、インスタントラーメン記念館(正式名称はコロコロ変わっている様子)もあります。本当はここにも行きたかったんですが、時間的にきつかったので今回は回避しました。
 そんな池田らしく、ひよこちゃんのマンホール。昼バージョンと夕方バージョンがあるようです。なお、このひよこ、適当にひよこちゃんとか書きましたが、本当にひよこちゃんという名前のようです。


 箕面という場所は(裁判例的に)非常に有名な場所ですが、ここから行くんだということを学びました。いずれ忠魂碑を見に行く機会もあることでしょう。



2 大阪大学総合学術博物館

 さて、今回の目的地は大阪大学総合学術博物館です。
 ここにはマチカネワニという、馬田かワニだか分からない名前のワニの化石があるようです。
 そもそもお前は自分の出身大学の博物館に行ったのか、と言われると、確か一回大学内で迷子になって博物館らしき場所に紛れ込んだことがあるだけで、そもそもどこにあるのかもよく分かってないレベルなんですが、まあ人間ってそんなもんですよね。

 さて、マチカネと聞いて皆が思い浮かべるのはホソカワミクロンと細川益男さん、そしてその所有馬です。マチカネタンホイザにマチカネイワシミズ、そしてマチカネフクキタルです。そして、細川さんがマチカネの冠を待兼山から取ったことはよく知られております。
 が、細川さんが待兼山の名前を使ったのは、細川さんが旧制浪速高等学校の出身だからであり、この旧制浪速高校はのちの大阪大学教養学部ではあるのですが、細川さんご自身は大阪大学では無く京都大学のご出身です。このあたりは択一試験で引っかかりやすいところなので注意が必要です。

 なお、この博物館、「展示室内写真撮影禁止」の案内が出てました。となると気になるのが、「エントランスホールの撮影の可否」なんですが、ネットを見るとエントランスホールのワニ骨格レプリカの写真は上がってたので(窓口は仕事中だった……)ここは気にせず撮影することにしました。
 マチカネワニについては、博物館のページはもちろんのこと、Wikipediaがそれなりに詳しいので自分的にはこれで足りるかな。

大阪大学へ
入っただけで頭がよくなりそうな場所ですね
博物館への案内も出てます 博物館です 待兼山修学館 マチカネワニのマンホール
     

3 池田駅まわり

 つづいて、池田駅です。
 池田はHello Cyclingのシステムに加入していて、シェアサイクルが使いやすい……かと思ったんですが、台数が少ないし自転車があったと思ったら壊れてたりと、まあイマイチ。故障車両の報告ってみんなしないものなのだろうか。それとも、申告してもちゃんと対応しないだけなのだろうか。
 とはいえ、一応電動自転車で坂を登って城に到達することはできたのでよかったです。時間の節約にもなったしね。
 あと、池田はいかにも大阪のベッドタウン的な雰囲気の街なのに、駅に観光案内所があって人が常駐しているからビックリです。あと、ハッピィマップというのはラッキィ池田を意識した名勝なのでしょうか。

池田駅に到着 池田のガイドマップ ハッピィマップ

4 池田城

 そんなこんなで池田城。
 Google Mapを見ていて全く気付かなかったんですが、池田城は小さな山の上にあり、池田駅から池田城に向かってそこそこ急な坂道をのぼることになります。城が山の上にあることそれ自体は当然といえば当然なんだけど、まさかあんな坂が待ち構えてるとは予想してなかった。これは現地に行かないと分からなかったし、これを知れただけでも行った甲斐があった。

4.1 東門

 東門に到達したので、とりあえずここで自転車とはお別れをして(誰も使わないかと思ったら、あっさりと誰かが乗って行ってました。需要はあるんだからもうちょっと頑張れHello Cycling)、城に入ります。
 池田城は完全に遺構が破壊されているという認識だったので、いきなり深い堀とそれを超える木橋が出てきてビックリ。これも、Google Mapだけ見てたらまさかこんなところにこんな堀があるとは気付かなかった。これも行ってよかったポイントです。

東門への道 木橋からぐるっと見回す

 東門まわり。解説パンフレットによると、「正面玄関となる東門は本来はありませんでした」とあるので、おそらくこれは観光や公園の利便性のためにつくられたものだと思われます。
 それにしても、本来無かったもののためにこんなに大々的なものをつくってしまうとはビックリです。

パンフレット 地図 東門 鵬飛萬里の碑 東門を内側から

 さて、城跡を歩くとなると、まず気になるのが縄張りです。これがよく分からない。現地になにも解説がないから困る。
 どうやら、ジオラマが五月山体育館内にあるとのことなんですが、この五月山体育館がどこにあるのかからしてよく分からないし、探して底に向かうのも手持ち時間的にきついのでスルーすることにしました。
 今これを書きながらネットを検索すると、現地説明会の資料が見つかりました。縄張りに色づけしている素晴らしい方のページも合わせて発見されたので、ありがたく拝見します。パンフレットに鳥瞰図が載っておりますが(同じものはあとで城内で発見)、どっちが北なのかもよく分からない鳥瞰図(手前が東です)で、もうちょっと親切設計にしてくれてもいいのになあ。

 そんな程度の知識量で、城内に入ります。繰り返しますが、私が入ってきた東門は当時は無かった門なので、ここからの眺めに言及する意義は本来的にはありません。

東門入って正面 てるてる坊主の照子さん 管理棟にあった展示室
中を覗きましたが、何かを展示する気はなさそうです

4.2 北門

 続いて北門です。こちらも、当時は無かったもののようです。現地に行ってるときはそんなことだとは思わず、嬉しそうに虎口っぽい風景を撮ってました。お馬鹿さんであります。

外から北門に入る虎口
現代になってつくられたものです
門が閉まってるので堀は封鎖されているのかと思ったら
鍵はあいていて、普通に歩けるようでした
五月ヶ丘寮々歌

4.3 庭園・公園

 さて、東門と北門を制覇したので、公園内を歩きます。
 庭園内には色々と見所が散らばっており、歩いていて飽きません。

しだれ梅 広々とした原っぱ しだれ桜 復元礎石。何をどう復元したのかは分からず
滝からの水の流れ
パンフレットを見る限り、枯山水では無く
きちんと水が流れるものだと思われます
結婚式の前撮りしてる
カップルがおりました
枯山水
パンフレットには「復元」とあったので、
かつて本郭内に実際にあったのでしょうね
井戸
こちらも復元
排水口跡。これも復元 土塁。本郭の周囲が土塁で囲まれていたのは縄張り図のとおりです
ただ、この土塁が元々の土塁のどの部分なのか、正直よく分からない……

4.4 虎口門

 続いて、虎口門。場所的に、これこそ元々あった門に違いない!と思ってパンフレットを見ますと、「織田信長の配下になってから虎口が採用されたと考えられています」とあり、なるほど、その時代のものか、と思わされますが……「復元されている場所は実際とは異なります」とあります。がっくり。
 それにしても、実際とは異なるのにしっかり虎口構造をつくったのはそれはそれで作庭者の意気込みを感じるところではありますね。さっきの北門の虎口にも引っかかったから書くわけじゃ無いけど。

 ちなみに、私が虎口の外側に出ていると、虎口門で前撮りの方々が撮影されておりました。まあそれならいいんだけど、お子様と楽しげにされていてなかなか撮影を終えてくれません。果たして私はこの冠木門の外にいて邪魔じゃ無いのか。そして私はいつまでここで耐えねばならないのか。まあ時間にして数分だと思うんだけど、体感的に結構長く感じた数分でありました。参勤交代とかで行列に頭を下げてる町民も、行列がのんびりとしてたら似たような気持ちになったのかもしれません。

虎口門へ 虎口門 虎口門正面の土塁の様子 外側から虎口門を眺める
虎口門から堀を見下ろす 虎口門を出ると
通路は右に曲がります
虎口門から中を見る

4.5 池

 滝には水がありませんでしたが、池には水が満ちております。そして、池と展望台の組み合わせは絵になりますね。ここまできたら「復元か否か」「昔ここに何があったのか」はどうでもよく、令和に生きる現代人が池と櫓を見てまったりできればいいのであります。


4.6  櫓風展望休憩舎

 なかなか凄い名前です。これは私が皮肉でつけた名前で無く、パンフレットに載っている表現です。そして、パンフレット上の解説でも、「この建物は、当時あったもので無なく、一般的な城の雰囲気を醸し出せるように演出したものです」というかなり攻めた解説がなされております。世の中にある模擬天守の解説で、ここまでリアルに説明を書いたものはあったでしょうか。
 みんな大好き茨城豊田城も、もちろん「当時の天守です!」などという嘘を積極的に書くことはしませんが、ここまで正直に書いたりはしていません。「お城に天守閣を造った殿さまは,それはもう,鼻たかだかでした」とか書いてた唐津城はちょっとはこの池田精神を見習ったらどうでしょうか。

 さてさて。この休憩舎(「休憩舎」って言葉は聞き慣れないのですが、関西だとよく使われる表現なんでしょうかね?)、2階建ての木造建築。元々が復元でも何でも無いので、文化庁なんて怖くありません。でも、階段に車いす用の装置がついているのはちょっと驚きでした。現代的です。

階段 2階の様子

 この休憩舎、「展望」という名前がついているので眺めは当然ばっちりです。いやあ、風もあって気持ちいいですね。

北西〜東方向
南東〜北西方向

 1階は池を見るための休憩所、という感じでしょうかね。能舞台的な舞台がありますが、ここでなにかイベントが開かれたりするのでしょうか。


 そして、休憩舎1階には池田城に関する様々な解説展示があります。ちょっと光とガラスの関係で見づらいけど。

1階の様子 鳥瞰図 池田城と休憩舎について
池田城の誕生 池田城の沿革 池田城の構造と変遷 池田城の廃城とその後

 そんなわけで、この休憩舎は歴史的に価値はないわけですが、モデルがないということは「不格好なのはモデルが悪いから」という言い訳ができません。その意味で、この休憩舎を設計した人はなかなかプレッシャーがあったんじゃないかと思う次第です。


4.7 南門、西門

 残る門は2つですが、もうここで時間を使っていられないので西門から帰ることにします。なお、この時点で自分が乗ってきた自転車は既に別の場所にあったんですが、正直こんな短時間で自転車を使う人がいるということにびっくりです。

南門 西門を内から 西門を外から 見上げる
西門登城路 下にあったお社とお地蔵さん あらためて西門登城路

 帰りは徒歩でもうちょっと池田を見て回ることにします。後半へ続く。

ウメノトヨナカマチカネハットリ


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