称名文子

1 日ノ出町

 金沢文庫というのは、昔から聞いたことがある場所なんですが、「文庫」と言われてもイマイチイメージがわかない場所でもあります。なんか分からんけど、図書館でもあるの?という程度の認識でありました。
 で、今回は織田さんのライブに行くことにしたので、その前にどこで何をするか、という問題が出まして、せっかくなので浄土式庭園で有名な称名寺と名前だけは知っている金沢文庫に行ってみることにしたのでした。

 横浜まで行くとなると問題になるのが、どこに泊まるか問題です。もちろん、家で寝て早起きしてもいいんですが、それは地獄なのでどこかに泊まりたい。なのだけれど、コロナウィルス騒動がほぼ終焉を迎えつつある昨今、横浜のホテル料金は爆上がり中でありました。1年前のホースメッセのときには横浜のホテルに3000円程度で泊まっていたことを思うと隔世の感があります。
 となると、第2候補として挙がるのが快活クラブ。そして、個室DVD店であります。横浜の伊勢佐木町まわりには快活クラブと個室DVD店が複数あります。ここの混雑具合は予想がつかないのですが、とりあえず乗り込んでみることにしました。最悪、自宅に帰ることの出来る時間に動きます。
 結果、日ノ出町駅前の個室DVD店でギリギリフラットの部屋を確保できました。これでなんとか4000円以内で宿泊できたわけですが、早く動いてこういう店に入らないといけないというのはなかなかきつい。そしてビックリしたのが、外国語を喋ってる若い3人組の方がおられたことです。う〜ん、海外までこの個室DVD店が広まるとなると、今後さらに部屋の確保が大変になりそう。

朝の日ノ出町

2 金沢文庫駅

 そして、京急で金沢文庫駅へ。駅前商店街のドトールで小休止。

金沢文庫駅 商店街 ドトール

3.1 称名寺赤門

 で。ここからが本番です。てくてく歩いて、称名寺へ。まずは赤門がお出迎えです。私の記憶が正しければ(=おそらく間違ってる)、将軍家から姫君を迎えた大名家は赤い門を建てられるかなにかだったと思います。この「将軍家から姫君」というのが某前田家と某東大で有名な徳川将軍家だけのことなのか、鎌倉時代から脈々と受け継がれてきた武家文化なのか、私の知るところではありませんが、いずれにしても、称名寺の赤門が鎌倉執権北条氏との関係性から赤くなった、というわけではないのではないでしょうか(根拠無し)。
 それにしても、解説板を読むと分かりますが(私は当然読んでなかったので、金沢文庫でのビデオを聞いて知った)、「かねさわ」北条氏一門の菩提寺が「きんたくさん(金沢山)」称名寺であり、「かなざわ」文庫が隣接して設置されているのであります。Why Japanese Pepole!?と言われても文句は言えないんではないでしょうか。

地図 赤門 称名寺
「称」の字が旧字です
門には北条氏の家紋 内側から外を見る 脇には石標
正面を見ると、参道が真っ直ぐ ここから称名寺なので、案内板も出てます お寺を経由せずに
金沢文庫へ向かう場合はこっち
地図

 参道を進むと、脇に塔頭が出てきます。時間も無いし体力的にもきついので適宜スルーします。光明院の表門にだけ一応挨拶。三渓園にあるものを除けば、創建年代がはっきりしている門の中で市内最古であるとのことです。
 これを見ていて、そういえば自分が神奈川県の各地の位置関係・距離関係をしっかり把握していないことに気付きました。というか、金沢文庫は鎌倉でなく横浜にあることを、分かってはいるのだけれど理解しきれていないことに気付いたのでした。横浜のこのあたり、鎌倉時代は一体どういう場所だったのでしょう???

光明院の表門 脇のお地蔵様

3.2 仁王門

 続いて、仁王門です。
 左右にででん!と仁王様。鎌倉と仁王様というと運慶快慶が浮かんでしまう受験脳なのですが、特に解説も何も無いので、多分違う人の作でしょうね。
 逆側からは思いっきり逆光だったので、写真撮る場所に苦労しました。

仁王門に接近 仁王門! 門をくぐることは出来ません サムネイルだと見えるのだけれど、
チャント見ようとするとピントがずれててよく見えない仁王様
逆側から

3.3 称名寺

 というわけで、いよいよ庭園がお出迎えです。浄土式庭園というと、平等院や毛越寺にも行っており、何年ぶりなのかは分かりませんが、久しぶりであることは明らかです。鎌倉期の浄土式庭園としては、ほかにも永福寺と願成就院に浄土式庭園があったということのようです(PDFですが、こちらの京都造形芸術大の仲先生の論考

 正面に見えるのが阿字ヶ池。そこを突っ切るかたちで反橋〜平橋、それを繋ぐ場所に中島。シンプルな構造で、分かりやすいです。先に見えるのが極楽浄土、というにしてはちょっと殺風景な気もしますが、昔はまた違った伽藍だったのではないでしょうか。

称名寺庭園 正面に向かってぐるりと パノラマ 反橋の上から仁王門
反橋 反り橋の上から左方向 反り橋から右側をぐるっと
反り橋から正面を見下ろす 平橋へ 振り返ってぐるっと
振り返ってパノラマ 渡りきって右手に出てから橋を振り返る

 そんなわけで、無事対岸(浄土?)にたどり着きました。これで私の未来は安泰です。

 正面の本堂、そして右にある釈迦堂にお参りであります。

解説板 鐘楼
本堂 香炉 扉は閉まってます 横から見る本堂 石仏 石塔
釈迦堂。本尊は、京都嵯峨の清涼寺の釈迦如来立像を模刻したものとのことです
ぱっと見、正面にお不動様がおられますが、お釈迦様は秘仏なのかな
鐘楼越しに橋を見る

 思ったよりも伽藍があっさりさっぱりしていたので、そんなに時間をかけずに進むことが出来ます。あらためて、池を眺めます。
 手前にちょこっと出ている岩、狙ってるのかたまたまなのかちょっと気になってたのですが、どうも「金沢四石」の1つ、美女石がこれにあたるとのことです。金沢四石の姥石も称名寺にあるようなのですが、こちらのサイトによると、昭和14年には姥石が美女石と並んで立っていたのに、昭和62年に調査した際には発見できなかった、とのことであります。
 ぱっと見、なにか仏像をイメージしたのかな、と思って見てたんですが、

美女石が入った構図と入っていない構図 パノラマで撮ってみた ぐるっと ちょっと移動したあたりから
称名寺百観音 石仏
上にダルマさんが乗ってます
このお守り?は庫裏で買えるようです
本堂から遠ざかる 楷の木(孔子木) 奥の石仏群

3.4 隧道

 奥を見たら、看板が見えたので近づいてみました。中性の隧道、ということです。ここに扉があったとされており、何らかの目的があって作られたことはほぼ間違いないようであります。東側よりも西側の方が状態がよいということなので、あとで逆からも見に行くことにします。


 そして、金沢文庫方面へ。金沢文庫へは、現在の隧道を抜けていくことになります。金沢文庫は称名寺とは完全に区切られた場所にあるんですね。

ここを抜けて金沢文庫へ

 金沢文庫も気になりますが、まずは隧道の西側を見ます。西側の方が状態がいいとのことですが、西側の方が頑丈に封鎖されていて、あまりよく見えませんでした……。


3.5 金沢文庫

 そして、金沢文庫。昔からあったものなのに今風の建物です。そういったあたりから、一体どういうことなのかよく分からなくなっていたのですが、かつて金沢文庫があった場所に、「金沢文庫」という博物館を建てている、という状況のようです。なお、金沢文庫内は撮影禁止でした。
 (旧)金沢文庫をつくったのが金沢流北条氏。このよみかたが「かねさわ」であって、「かなざわ」ではないのがポイントですね。中で見られるビデオの音声を聞いて初めて知りました。そして、それを聞いてもしかしてさっきおりてきた「金沢文庫」の駅も「かなざわ」でなく「かねさわ」なのかと不安になりましたが、「金沢文庫」は「かなざわぶんこ」で合っているようです。紛らわしい。ただ、Wikipediaだと旧金沢文庫は「かねさわぶんこ」になってます。パンフレットだと、現在の金沢文庫は「かなざわ」なのですね。

 北条(金沢)貞顕が10日間だけ執権になって失脚した嘉暦の騒動(「かれき」でなく「かりゃく」であることは今知った)を経て執権になったのが北条(赤橋)守時です。守時さんは大河ドラマ太平記でかっこよく描かれていたのでイメージいいです。そういえば、称名寺の橋は欄干が赤い赤橋なのが皮肉ですね(?)。

 昭和生まれのおっさんとしてはもう1人、金沢文庫と言ったら思い浮かべる人物がいます。まあ、思い浮かべるだけでなにか思い入れがあるわけでもないのですが。


3.6 ふたたび、称名寺

 称名寺に戻りました。ここに胸像があります。誰だろう、と思ったら金沢文庫の創始者、北条実時でした。これを見て思ったのは、この手の胸像を見ると無意識のうちに明治以降の近代の人間を思い浮かべてしまう自分がいるということです。中世の人物だと全身像が展示されていることが多い印象です。


 あらためて、池を眺めます。金沢文庫から浄土へ。

パノラマその1 ぐるっと見まわす
パノラマその2 ぐるっと見回す

 最後に、仁王門まわりの石碑などを見ていきます。

あらためて、仁王門 忠魂碑
陸軍大臣の本庄繁氏の
筆によるようです
金沢文庫の碑 最後に池を見る 最後に橋を見る

 浄土は名残惜しいのですが、現世を生きる者として、称名寺に別れを告げて旅を続けます。


幻奏の横浜へ


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