メイジョウウエスト

7. 御深井丸

 続いて、御深井丸を目指します。まず気になるのが、「なんと読むのか」というところになりますが、「おふかいまる」ではなく、「おふけまる」が正解であると判明しました。江戸時代からオンライン時代を見越してオフ会を開いていたのか、と感動してしまいそうになりますが、世の中そんなに甘くありません。

 もう1つ気になるのが、なぜ「御」がついているのか、ということです。深井丸じゃいけなかったのか。おそらくは、かつて離宮があったことが原因なのでしょうが、曲輪の名前にも「御」をつけなきゃいかんのだなあ。



7.1 不明門

 というわけで、正解が不明な中くぐるのが不明門です。非常に分かりやすい埋門で、二之丸側本丸搦手馬出まわりの埋門に比べると目立ちますし、構造もはっきりしております。
 解説によると、厳重に施錠されていて開かずの門と言われていたとのこと。そういう門にかぎって燃えてしまうかは世の中は無常であります。

不明門 御殿椿。てっきりこれかと思って写真を撮ったんですが、
解説によると「現在は根株だけが残っている」とのことで
果たしてこれでいいんでしょうか

 不明門を抜けると、北側の内堀になります。橋は非常に頑丈ですが、これはさすがに後世につくられたものだろうな。
 先ほどの東馬出まわりの石垣がここにも保存されております。そのせいもあって、堀の雰囲気が橋で区切られた向かって右側と左側とで大きく異なりますね。

門を出てぐるっと 御深井丸から見る不明門
御深井丸を見て左側の堀 右側の堀

 そして、こちら側から見上げる天守もまた趣があります。外付けエレベーターが目立つのがまあ興を削ぎますが……。


7.2 本丸搦手馬出への虎口

 先程来言及している本丸搦手馬出への虎口は、工事中のために封鎖されております。ぱっと見、非常に立派な枡形構造になっておりますね。


7.3 天守礎石

 御深井丸に並んでいるのが天守礎石。旧国宝天守の礎石で、地下穴蔵の地盤の上に残っていたとのことです。野ざらしにしてしまったら風雨で浸食されちゃうんじゃないかとちょっと心配になりますが、まあそれでも仕方がないのでしょう。


 ちなみに、この近くに井戸があります。
 この井戸が「御深井丸」の名前の由来なのかどうか、解説がないので分かりませんでした。まあ城内に井戸なんていくらでもあるだろうからなあ。


7.4 石棺式石室

 唐突に登場する石棺式石室。解説によると、松江にあったものが寄贈されたようです。寄贈者の長谷川祐之氏とは、一体誰なのだろう。財力とコネの両方を兼ね備えた人だったのだろうな。
 ちなみに、こちらのブログによると、かつては中に入ることも出来たようです。


7.5 御深井丸から見る外堀とあらためて天守

 御深井丸の北側の水堀。まあ特に特別なものがあるわけではないのだけれど。

北側の水堀 このあたりから天守を見る

 そして、北西の角あたりから天守を見ます。ここから見ると、東側にあるエレベーターが視界に入らないのがいいですね。

天守石垣
扇の勾配です
天守を見上げる 石垣と堀をぐる〜っと見回す

7.6 御深井丸展示館

 ここは特になにかを見ようと思ったわけでもないのですが、ふとみたら信長さんが休息を取ってました。休んだところを敵襲に遭うのではないかと思ってしばらく見ておりましたが、襲いかかってきたのは記念撮影を求める観光客のみでした。平和な世の中で良かったです。


 そして、西北隅櫓にむかってふらふらと歩きます。以下は特になんの目的もなく撮った写真。


7.7 西北隅櫓

 重要文化財の西北隅櫓。普通だったら昔の名前通り戌亥櫓という名前になりそうですが、なぜあえて名前を変えたのでしょうか。軍部がなにかしたのかな?そして、北西でなく西北というあたりにもこだわりがありそうです。早稲田の影響があるのでしょうか。
 この櫓は清洲城天守を移築し、清洲城の木材を転用した可能性があるとのことで、色々と興味深いですな。
 重要文化財なのですが、場所が悪いのかここまで見に来ている人はほとんどいません。まあ、中には入れるわけでもないし、そんなもんだよね。



 このあたり、北側の水堀の様子。


7.8 乃木倉庫

 続いて、重要文化財の乃木倉庫へ。そこまでの道すがら、枯れた池があります。これは明治期遺構につくられた日本庭園なのだろうか。
 金城温古録についてはまったく知りませんでしたが、名古屋城の全盛期を正確かつ詳細に知ることができる書物とのこと。

謎の池 金城温古録 限りない夢を託したさくら道

 そして、乃木倉庫。乃木希典氏が建てたのではなく、乃木希典氏が名古屋鎮台におられたときに建てられたために、誰ともなく乃木倉庫と呼ぶようになったとのこと。
 名古屋空襲の際、ここに保管されていた天守閣・御殿内の障壁画などは焼失を免れ、今に残ったとのことで、何の変哲もない倉庫だからと馬鹿にしてはいけません。


7.9 御深井丸南側の土塁と天守剣塀

 そんなわけで、御深井丸をあとにします。
 南側、西の丸との間には水堀があり、南側は土塁が盛り上がっております。

天守の西側からぐるりと。南側には土塁があります ここにも井戸

 西の丸に抜ける通路は土塁で枡形ができあがっておりますが、今は植え込みが植えられているので土塁も分かりづらくなっております。
 東側は石垣でゴツゴツしておりましたが、西側は元々土塁だったのか、それとも明治期に軍部が利用する際になにかやったのかな。

引いたところから
南側の土塁
分かりづらいけれど、枡形になっております。
左の写真、写真だとぱっと見土塁があるのに気付きませんね
左右の土塁の間を抜ける

 ここから天守・本丸方向を見ると、大天守・天守台と、小天守、そしてそれを繋ぐ廊下の剣塀がよく見えます。

天守を見上げる 天守台〜西南隅櫓方向の石垣
剣塀 天守。この角度もよいですね 西南隅櫓

8 西の丸
8.1 鵜の首

 御深井丸から西の丸に向かうところは水堀が出っ張ってきているため、非常に狭い通路となっております。その通路のことを、鵜の首と呼んでいるようです。名古屋城には合計5カ所、この鵜の首があるとのこと。分かりやすいところだと、先ほど見た本丸搦手馬出と御深井丸・二之丸への道もこんな感じになってますね。

鵜の首〜御深井丸南側の土塁 鵜の首解説
鵜のことを英語で”Cormorant”と呼ぶことも分かります
鵜の首から堀を見る

8.2 西の丸

 西の丸、今回はほぼ通路としてしか使いませんでした。

通路 ヒトツバタコ 売店前にあった刻銘石 金のシャチホコ

 西の丸には御蔵蔵宝館があるようなのですが、今回はスルー。パンフレットだけ貰ってきました。



8.3 西南隅櫓と堀と石垣

 先ほど、鵜の首部分から見えた西南隅櫓。近寄って見ることにします。
 この西南隅櫓まわりの空堀に鹿がいるはずなんだけれど、見当たりません。3月頃はべつのところにいるのかな?
 この西南隅櫓、後述する榎多門とともに濃尾地震で大破し、1923年に宮内省が再建したとのこと。そのため、瓦には葵の御紋ではなく菊の紋があるとのことです。あらためて東南隅櫓の写真を見たら、確かに葵の紋で、菊の紋があるここ西南隅櫓とは異なります。面白いですね。

解説 接近します 見上げます 西側の堀 見上げます 天守とセット
天守とセットその2 南側から 破風の様子
確かに菊紋です
シャチホコを撮ろうとしたらカラスが横切った図 南側の石垣と堀

 遠くに、東南隅櫓が見えます。確かシャチホコは明治になってから江戸城の鯱が取り付けられたんだったな、と思いながら、頑張ってアップで。


 そして、ちょっと引いたところから。


8.4 正門(榎多門)

 最後に、正門。正門とはなんぞや、という疑問が出てきますね。大手門とか追手門とかいう言葉はよく目にしますが、正門なんて競馬場とかで目にする名前だぞ。
 元々は榎多門があった場所のようで、榎多門は1911年に濃尾地震で大破したとのこと。かつては南側に冠木門があり、枡形虎口があって、長屋門的な榎多門があったようです。つまり、今の姿とは全く違う!
 その後、1911年に江戸城の蓮池門を移築するかたちでここに門を設置し、これが名古屋離宮の正門となったとのことです。正門というのは、このときの名称なのですね。

正門解説 名古屋城解説 西の丸から正門を見る
正門から外側を見る
この間売店に寄ってたんですが
空が明るくなりましたね
旧冠木門あたりから正面を 最後に正門

9 外堀
9.1 外堀その1

 正門から外に出て、最後に外堀。

正門からでて東側 正門出て西側 少し西に進んでからぐるりと西〜北〜北東

 木に隠れて分かりづらくなっておりますが、しっかりとした外堀であります。現在水がある部分は、昔からこんな感じだったんでしょうかね?

 そんなわけで、名古屋城に別れを告げて南方向へ歩いて行きます。

9.2 外堀その2

 南方向に進みます。先ほど、県庁舎向かいの外堀を見ましたが、それが西側に延びた堀と土塁の跡が、若干残されております。

法律ヤクザが仕事をするビル 法律ヤクザがたくさん入っているビル

 その先に土塁が登場。Google Mapでは三ノ丸南外濠土塁とされている土塁です。なかなかの規模感。途中、道路のために土塁が寸断されているのも分かります。よくぞこの状態で土塁を残してくれたものです。単に土のやり場がなかっただけかもしれんけど、土塁の土砂で堀を埋めたって良かったわけだしね。
 とにかく、こんな場所にデカデカと土塁と堀がある、ということでございます。このあたりは石垣じゃなかったというのも面白いですね。

土塁 道路のために
土塁が切断されています
その先に大きな外堀

メイジョウゴテン / ミレイからゴッホへ


旅行記TOP / テーマ別