最期の荒尾その1

 この日の模様については、訪問された多くの方々がTwitter等でつぶやく等されておりました。
 私が発見できた限りのものをまとめたものをTogetterにてまとめておりますので、そちらをご参照ください。

0.はじめに

 2011年12月23日。荒尾競馬場が幕を下ろしました。
 私が荒尾競馬場に行ったのは2011年3月27日。東日本大震災からわずか2週間後のことでした。この時点で荒尾競馬の廃止は決まっておらず、2011年末に廃止となったので、これが最後の訪問となったのであります。なお、2011年3月の記事の題名を「最初で最後の荒尾」と書きましたが、まさか最後の最後にもう一回訪問することになるとは思ってもいなかったのでありました。

 それから10年以上が経ち、いよいよ荒尾競馬場に残されたスタンドが取り壊される日が近付いてきました。そして荒尾市は、2022年8月28日、ありがたいことに最後にスタンド見学会を開いてくれるようです。
 10年以上経ってまだそのままなのか、それなら競馬続けても良かっただろ、といいたくなる気持ちをぐっとこらえて、荒尾に向かいます。

荒尾市報をコピーしてきました

 2022年は、2020年に勃発したCOVID-19騒動の余波がまだ残っており、羽田空港はまだ全盛期の混雑にはほど遠い感じ。そんな中、福岡へと飛びます。

羽田空港

 福岡空港から天神経由で、大牟田へと向かいます。

西鉄天神駅 西鉄大牟田
例によって終点駅大好きです
炭鉱的な置物もある
遠くに見えるのがJR大牟田 跨線橋から見下ろす

 そして、JR大牟田駅。ここには機械仕掛けのロボ大蛇がいましたが、残念ながらエラーで止まっておりました。いつから止まっているのかは分かりません。それにしても、炭鉱関係のものがたくさんあるのは分かりますが、大蛇はどういう由来なのだろうか。

JR大牟田駅 団体列車がいました ちょっと待てば電車が来ます 燃える石のふるさと チュッチュッ
ロボ大蛇 プロジェクト支援者 有明高専が作ったようです エラーの報告しなくていいのでしょうか

1.荒尾駅

 そんなわけで、無事荒尾駅に到着です。ここで友人の到着を待ちます。競馬が廃止されたときは二度と来ることは無いだろうと思った場所に降り立つのは、なかなかに感慨深いですね。
 地図は2つありましたが、1つには荒尾競馬場の文字は無く、もう1つは競馬場跡となっておりました。どちらがより悲しいか、といわれると難しいですが、とりあえずBAOO荒尾の存在感がないのが気になりますね。

荒尾駅に到着 電車が出発 隣のホームにあった観光案内
ここに競馬がないのは寂しい
時刻表
基本的に1時間に2本
階段 跨線橋の上 跨線橋からの眺め 万田抗アピール
やはり世界遺産は強い
駅の地図
荒尾競馬場の名前はありません
改札口 待合室のショーケース 汽車の音
まるごとマップ こちらは「荒尾競馬場跡」 文学のさんぽみち 緑化記念 荒尾市よかとこ・よかもん

2.競馬場への道

 さて、友人と合流して、競馬場へと向かいます。
 駅から競馬場への道には「国道沿いの店」的なものすらありません。

駅を振り返る タバコとテレホンカード 薬局 ハンコ屋 ボートピア長洲の案内
新しそうな看板なのですが、
競艇表記が残っているということは
10年以上前のものでしょうかね?
国道を歩きます やっと出てきたBAOOの案内 見えてきました競馬場

 そして、競馬場が見えてきました。
 「荒尾けいば」の看板はまだ残っているんですね。これを大きくBAOOに付け替えないのは、そのためのお金が無いからか、荒尾競馬の文字を見れば場外があるのは明らかなのか。

荒尾競馬の看板 荒尾競馬場スタンド 荒尾競馬の看板 荒尾競馬場への横断歩道

3.入場

 そんなわけで、荒尾競馬場に入場です。
 前回荒尾に行ったときは、新聞売り場には3社入っておりましたが、今残っているのは競友のみです。競友は今もここでBAOO向けの新聞売ってるんでしょうか。
 そして、一番右のシャッターの絵は前回見られなかったので、今回初お目見えです。前回も書いたけど、この豚と兎の絵は誰が描いたんでしょうか。

見学会会場
住宅展示会っぽさがある
新聞売り場 入場口 その右手 BAOOのイベント案内

 最後に何か記念品でも配布しているのか……というと、荒尾市としてはこれから壊すだけの場所に金をかけるわけにもいかないので、特に何もありません。ただ、一応スタンド内の立入禁止箇所を明示するためのフロアガイドだけが配布されておりました。この図面が、一般向けに開示された最後の荒尾競馬場スタンドの図面ということになるのでしょうか。
 あと、現地の水のペットボトルの写真が残されているのですが、いつ貰ったものなのかちょっと記憶にない。

この日の配布物 参考:前回訪問時の場内案内図 よく覚えていないのだけれど、この水もここで貰ったんじゃないかと思う

 なお、この日の行動パターンは、1階→2階→3階→BAOO→再び3階→1階となっております。
 これを場所ごとにまとめるか、行った順番に旅行記形式でまとめるかは悩んだのですが、場所ごとにまとめることにしてみます。

4.スタンド裏・食堂棟

 まずは、入場口を入って真っ直ぐ進みます。
 向かって右手がスタンド、左手に食堂棟、直進するとパドックです。

入って正面 正面右手 振り返る スタンドまわり 末端試験弁

 てことで、荒尾競馬を象徴するスタンド裏手の看板の見納めであります。
 潮風をきって感動が駆け抜けます!
というのは、荒尾競馬らしい、非常に綺麗な案内ですね。綺麗すぎてインパクトに残りづらいといえば残りづらいのだけれど。

 なぜか名前だけが残っている矢ヶ部徹騎手。引退後調教師になり、2006年に廃業となったニュースが、小田切ワオさんのブログに残されておりました。厩舎のウェブサイトは既に消えているわけですが、Internet archive経由で残骸を見ることが出来ます。
 こちらは2006年1月4日のアーカイブ
 ここから、2005年12月の荒尾競馬の公式サイトにも飛ぶことが出来ました。当時はまだまだフレームのHTMLでつくられたウェブサイトが主流です。未だにそれを引きずっている私はどうすればいいのか、時代の流れに取り残されすぎてもはやどうにもこうにも身動きが取れません。

 適当に過去を探ってみたところ、
 2004年4月4日時点の荒尾競馬の公式サイトは、まだ荒尾市のサイトの中にあったことが分かります。当時のURLはhttp://www.city.arao.kumamoto.jp/araokeiba/。
 同年の半ばから、荒尾競馬でドメインをとったようで、同年の後半のアーカイブを見ると、荒尾競馬へのリンクで飛ばされるようになっております(2004年9月22日
 アーカイブされている最古の荒尾ドメイン(http://www.araokeiba.com/)のページは、2004年5月28日のものです。2004年4月の予算でドメインを取れるようになったんでしょうかね。
 なお、若干の歴史についてはBAOO荒尾内の年表に載っておりました。

 2004年の荒尾競馬公式からは、キサスキサスキサスの特設サイトへのリンクも出来ていました。こちらもまだアーカイブが残ってます。インターネットアーカイブ、本当に凄い。それにしても、ディープインパクトの像問題でJRAは色々と叩かれましたが、ハルウララにしてもキサスキサスキサスにしても、地方は特定の馬のプッシュって結構やってましたよね。
 なお、キサスキサスキサスのWikipediaによると、現在所在が分からなくなっているとか……。

スタンド裏手の看板 騎手の勝負服が並びます
矢ヶ部徹騎手の名前だけが残ります
騎手引退後調教師になった矢ヶ部調教師は2006年廃業のはず
潮風を切って感動が駆け抜けます!

 そして、パドックに向かって左手が食堂棟。屋根も崩壊しかかっていて、競馬廃止後10年以上よくぞ壊れずに踏みとどまったな、というのが正直な感想でした。
 こちらでお店をやっておられた方々はどうなさったんでしょうかね?ほかにもお店を持っていたのであれば、中の備品を持って出たりしたのでは無いかと思ったりもしますが。

食堂棟

 食堂は全部で5店舗。
 ぱっと見で唯一原形を留めている朝日屋さんは、2022年5月29日のスタンド閉鎖まで営業していたとのこと(西日本新聞魚拓)。
 こちらの食堂が現役だった頃の姿は、例によって詳細な荷桁さんのブログにて見ることが出来ます。こういう素晴らしい写真を残す人間に私もなりたい。というか、なんで私は前回行ったときに食堂棟の写真を残さなかったんでしょうか。
 また、荒尾けいば嬢報部マネージャーの部屋というブログが今もなお残されており、こちらには各食堂の案内が残っておりました。このブログ、意地でも後世に残してほしいところです。問題は意地を見せるべき人が誰なのかもはや分からないところにありますが。

旧朝日屋 若干下からの角度 旧だるま食堂 旧大吉食堂 旧八幡屋食堂 味自慢の焼そば 旧ダービー

 そして、パドックまわりなので、いくつかテレビモニター……の痕跡があります。このあたりは廃墟感があっていいですね。現役の競艇場(びわこ競艇)で似たようなものを見た記憶もありますが。

JRAコーナーのモニター跡 廊下まわり その奥にもモニター跡

5.パドック

 奥に進むと、パドック跡が登場します。
 荒尾のパドックについては完全に記憶からぶっ飛んでおりましたが、当然のように左回りパドックで、佐賀とは異なります。掲示板は騎手名含めてすべて手書きなのも佐賀と異なります。さらに、佐賀とは異なり、体重の増減の表示もありません。同じ「手書き掲示板」でも色々と種類があるのであります。
 そして、掲示板の右半分を占めるのが騎手の勝負服表示。荒尾競馬が廃止されてから10年以上が経過しましたが、思いのほか日焼けがありません。

パドックの掲示板


 なお、本題と全く関係ありませんが、これを書いている2024年10月5日の直前、9月30日に佐賀競馬場の手書き掲示板が使用停止となりました。今までお疲れ様でした。

昨日9月29日(日)をもちまして、佐賀競馬場名物として長らくご愛顧いただきました手書き下見所掲示板(黒板)の運用を終了いたしました🙇‍♀️

昨日は、沢山のファンの方や関係者が下見所掲示板を写真に収めている姿&見つめる姿が見られました📷️✨… pic.twitter.com/KWqhpMg9fG

— さがけいば(佐賀競馬場)@JBC2024 佐賀開催決定🎉 (@sagakeiba) September 30, 2024


 掲示板と並んで特徴的なのが、パドックの真ん中に立つ一本木。思いのほか整っております。色々とTwitterなんかを見ていると、この木はかなり丁寧に手入れされていたのではないかと思います。京都競馬場改修の際、パドックの木を切らざるを得なくなったことは話題になりましたが、荒尾パドックの木も同じように切られるのでしょう。京都の木は時計になったりしてますが、荒尾の木はどうなるのでしょうか。

 ちなみに、次のページに登場するおじさんから伺ったところによると、荒尾競馬場の現金はパドックの奥の出口から搬出していたとのことで、さらにかつては地下を通していたとのことです。しかし、その地下は水がたまったために使わなくなったとのこと。本当でしょうか。本当か嘘かは分かりませんが、こういううさんくさいことを教えてくれるおじさんがいるというのは競馬場の良さであります。

 また、当時の私のメモには、「平坦なパドックは実は珍しい」とあります。
 これ、どういう経緯でこの事実をメモに残したのか分からないんですが、この「平坦」というのは馬が通る部分では無く観客側の部分のことです。普通、パドックは見やすいようにすり鉢型になるわけですが、この荒尾は平坦。かつては台でも置かれていたのかと思ったりもしますが、自分の過去の写真を見る限り、そんなこともなさそうです。大レースの場合はどうだったのかは分かりませんが、出したり引っ込めたりする労力と引っ込めた際の置き場の方が問題になるでしょうから、昔から平坦だったのでしょう。

 これまたちなみに、うさんくさいおじさんによると、観客が増えたので2階からパドックを見下ろせる橋をつくったとのことです。

パノラマ
右側が変になったのは私のカメラ操作の限界
入場口から真っ直ぐ進んで
出てくるパドック
右手にスタンド ちょっと斜めから パドックの木
斜め側からパノラマ
歪んでるのは私のカメラ操作の限界
斜め側からぐるっと スタンドのパドック口 あらためて、木
スタンド側を進む そこから振り返る もうちょっと進んでパドックを見る
道路側から木とスタンド 道路側の奥

 パドック側から見るスタンドは、ありがちに小学校の校舎のような雰囲気を漂わせております。非常に目立つ「あらおけいば」の文字の裏は階段塔になっており、小学校であれば生徒達がここからものを落として先生にこっぴどく叱られる場面が想像できますね。

出入り口と、そこから上を見上げる パノラマで撮ってみた 見上げる
あらためてスタンド側 改めて階段側 見上げる

 という具合に、スタンド裏側を見終えたので、続いて中に入ります。


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